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幸せを感じると死ぬのが怖い

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有り難し有り難し 15

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。

ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。

しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。

この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか?

今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。

乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏教徒としての具体的な選択が必要では

こんにちは。

仏教とご縁があったことは、喜ばしいことです。
なるべく簡潔に申します。

「お釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました」というのは、仏教の基本的な部分、お釈迦様が元々説いておられたという意味で大切な理解です。

では、ここで問題になるのが、もともとインドで説かれた教えが、どうして様々な宗派に分かれたのかという現実です。「執着」をできるだけ抑えていく方向性の宗派もあれば、「執着」を手放せないのが人間であるという前提の宗派もあるのです。それは、文化、風土、思想、人間、時代等によって様々な発展を遂げたからです。

親鸞聖人は、お浄土に急ぎ参りたいと思う心は起こらない、やはり慣れ親しんだこの世が愛おしいという思いを語られています。それが、人間であり、私なのだ。その私を引き受けてお浄土につれゆくと仰る阿弥陀様の有り難さよ、心強さよと。これは、「執着」を手放せないのが人間であるという前提の宗派の考え方です。

「この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています」という感慨は私も同様です。

あなたが今後、「この世への執着を手放すこと」、死への恐怖を「克服」するべきという方向性の宗派で学ぶのか。それとも、「手放」さなくても、「克服」しなくても良いという方向性の宗派で学ぶのか。お釈迦様の説を、後の僧侶、仏教徒がどう捉えていったかをたどり、具体的に実行していく(つまり修行)のかという選択が必要であるとも思います。

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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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諸行無常のことわり

拝読させて頂きました。
あなたが死ぬのは怖い、執着を手放すこと、幸せを感じながら生きることに様々な疑問や迷いを抱えていらっしゃることを読ませて頂きました。あなたがそのように試行錯誤お考えなさることは至極当然かと思います。
誰しもがやはり死は怖いですし、幸せに生きたいと望むものですからね。なかなか愛しいものと離れ離れになることも、自分がこの世を離れていくことも受け入れることは難しいですからね。
とはいえ「諸行無常」の真理の通りものごとは一瞬一瞬で移り変わりゆきます。いっときとしてその流れがとどまることはありません。どんなに止まってほしいと心から願ったとしても私達の生きる世界では不可能なことです。
ものごとの移り変わりをマイナス面ばかり目を向けてしまいますと、心配や不安や恐怖ばかりになってしまいます。とはいえものごとの移り変わりのことわりは悪いことばかりではありませんよね、あなたが健やかに成長なさっていくのも、素晴らしい出会いに恵まれて皆さんと一緒に幸せに心豊かに生きていくのも時の流れが必ず必要ですからね。
まして私達は外見もそうですけども内面も時の経過や様々な経験により様々なことを体感しながらも豊かに成長していくこともできるのです。普段は全く意識していなくてもふと自分の人生を振り返ってみればかけがえのないものが沢山生み出されきていることを見いだすこともできるのです。
まして死は必ず誰しもが迎えることですけどもそれが終わりではありません。
様々な形で生まれ変わっていく過程の一つでもあるのです。
いかがでしょうか?恐れる前にゆっくりと今までのことやこれからの未来にお向き合いなさってみて下さいね。

あなたが素晴らしい出会いの中で心豊かにうるおいある毎日を皆さんと一緒に幸せに生き抜いていかれますようにと心よりお祈りさせて頂きます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

釋 悠水 様
ご回答ありがとうございます。宗派によってお考えがかなり異なること、また親鸞聖人のことを詳しくご教示くださり、大変勉強になりました。私は今まで、仏教を一括りにして見ていたのだなと反省致しました。自分がこれから、執着を手放すのか、受け入れるのか、どのように行動していくのか…これから考えるべきことはまだまだ沢山あるのだなと気付きました。また、小さな幸せに対する感慨を、お坊さんも感じられていると知り安心致しました。これからまた、少しずつ行動に移していきたいと思います。この度は本当にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma 様
ご回答ありがとうございます。諸行無常は悪いことばかりでは無いとご教示いただき、ハッと致しました。私が大切な家族や友人と会えたのも、時間が流れているからこそであったと初めて気が付きました。私は、諸行無常のマイナス面ばかりを誇張して考えていたのかもしれません。また、死は終わりでは無いとのお言葉、とても救われました。未来について、少しずつ考えられる気がしてきました。そして暖かなお言葉をかけていただき、とても安心致しました。物事の良い面にも目を向けたいと思います。この度は本当にありがとうございました。

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