コロナ収束してほしくないと思う最低な自分
新型コロナウイルスが収束してほしくないと思ってしまいます。最低な人間でしょうか?
医療関係の仕事ということもあり、コロナ禍でも仕事にそこまで影響が出ていないのもありますが…
就職氷河期や自分の努力不足、運やご縁のなさもあり、現在まで不本意な形で医療従事者として勤務してきました。本来はもっともっと社会の中枢で働きたいのに、しぶしぶ末端の現場で働いています。
一方で、社会の中心でバリバリ活躍している人をずっとずっと妬んで生きてきました。
そんな人たちがコロナ禍で仕事に影響し、漸く自分との幸せの差がほんの少し縮まったように感じてしまいます。
また、コロナの影響で、わずらわしい職場の飲み会や親戚づきあいも激減してることもあり、正直今がいちばん気分が安定しています。
自分にパワハラをした以前の上司は、コロナの影響でシンドイ目をしているとも聞きました。正直「ざまあみろ!天罰だ!」と思っています。そんなことを思ったところで自分が幸せになるわけでもないのに…
ニュースで「今日の新規感染者は1000人を超えました」とかをみると心の中で小さくガッツポーズをしている最低な自分がいます。
コロナが落ち着けば、また自分と他人の幸せの差は元通りに開いてしまい、わずらわしい人間関係もまた復活してしまうのかと思うと、このまま収束しなければ良いのにとさえ思ってしまいます。
私は最低な人間でしょうか?
また、どうやって気持ちを持てば幸せになれるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
怨憎会苦
くりんさま
人間自己中心的に考えてしまうところが、無明(根本的な無知)・煩悩によりありますから、そういった考えを起こしてしまうのは仕方のない面もございます。
戦争は当然にいけないことと分かっていながら、戦争が起きれば儲かる軍需産業とかもそんな感じであるでしょう。
しかし、それはやはり自己中心的、自分さえよければ良いという悪い考え方であり、そんな動機と行為は、悪業となってしまうため、仏教的には誡めないといけないところとなります。
皆の迷い苦しみ、悩み苦しみが和らぐ、無くなるように、そんな動機と行為による業は善き因縁(原因と結果)として、いずれ善い果報を頂けるものとなります。そういった方向にもっていきたいものでございます。
疫病は、災害や飢饉、戦争と同様に人類を悩まし続けてしまうものであります。
大小少なからず、皆会う「怨憎会苦」なるものであります。
ですから、自分だけが苦しんでいるというわけではなく、皆一様にそれぞれの立場で色々とそれなりに苦しんでいるのであります。
そんな苦しみと共に私たちにあるあと代表的な七つの苦しみも含めての解決を目指すのが仏教でもあります。
是非、このご縁から仏教を学び進めて頂けましたら有り難くに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。一度仏教についても調べてみようと思います。