仏様のお茶と水
見つけてくださってありがとうございます。
お坊さん方,仏様にぶんなぐられる覚悟で質問させていただきます。
先に謝ります。ごめんなさい。
いつも,仏壇に お茶(緑茶)と水とごはんをお供えしています。
なぜ,緑茶,水,ごはんをお供えするのでしょうか。
時々,緑茶がコーヒーや紅茶,水がサイダーになってお供えしたら,仏様が「あれ?いつもとなんか違う?!」とビックリした顔を想像しています。そんなびっくりしたお顔の仏様を想像して,けけっと笑い,満足している自分もいます。
私個人としては,仏様が毎日同じものを召し上がってて,飽きないかな?と思う気持ちと,ちょっと面白そうだな,という興味と。ごめんなさい。
また,ごはんを焚き忘れた,焚くのが面倒なときは,仏様用のお皿(五百円玉くらいのお皿に指2本分くらいの足がついたもの)にお餅やパンを入れてお供えします。
もちろん,故人の好きな飲み物は別のコップでお供えしていますが…。
仏様にお供えする飲み物は,なぜ水とお茶なのでしょうか。
そして,ごはんの代わりにお餅やパンをお供えしてもいいのでしょうか。
ご回答の程,よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おはようございます。
精米されきれいに炊かれた白いお米や、安全に飲める水、温かいお茶などは、現代では、ごく当たり前に食べたり飲んだりすることができますが、ほんの100年くらい時代を遡っただけで、当時は大変貴重なものであっただろうと容易に想像できます。
ほとけさまに、良いものを召し上がっていただきたい、という気持ちから、そのようなお供えをしているのだと思いますよ。
コーヒーや紅茶やサイダーなども、ほとけさまは喜んで飲んでくださると思いますよ。私は檀家さんには、朝がパン食なら、パンをお供えしても良いですよと伝えています。お餅でも良いですよ。大切なのは、ほとけ様を敬い、大切にしようという気持ちです。ケケッと笑いたくなるような(意地悪な)気持ちでお供えするのは、お供えとしてはふさわしくないでしょう。
仏さまへの感謝の表現
今現代では飲食は普通のことですが
昔は本当に有り難いことでした。
今でも何か災害があれば
それこそコロナ禍の今こそ
1年前の普通の生活が有り難いことだったと
誰もが実感しているはずです。
毎朝に食する主なものを
仏さまにお供えして感謝するのも
「今日は無事に食べられます」という気持ち表れでしょう。
何をお供えするかはそう重要ではありません。
朝食がパンでも麺でもシリアルでも
それをお供えすればいいのです。
飲み物も
自分が飲むものをシェアすればいいのです。
食文化によって、供物が異なってくることもあります
供養とは、仏菩薩や亡くなった人に読経礼拝したり、供物を供えたりする行為を言います。
供養の分類法はいくつかありますが、基本的にはとして、
①法供養ーお経を唱えたり礼拝したりすること
②利供養ー供物をそなえること
供物にも、いろいろと種類がありますが、五供と呼ばれるものが一般です。
五供とは香・華・灯明・水・飲食(おんじき)の五つを指します。
灯明というと、ローソクを連想すると思います。でも、御釈迦様の時代にはローソクは出来ていなかったようです。油を入れた容器に芯を入れて灯りをともしていました。
水のことを閼伽(あか)とも言います。サンスクリット語の arghaの音写語です。聖なるものや尊い方に捧げる水のことを言います。ですから、水を供えることには宗教的な意味が伴います。サイダーをお供えするのはご自由だと思います。(積極的にはお勧めしませんが)
回答のタイトルに書きましたように、飲食(おんじき)は、地域の風土や食文化によって異なってきます。中国や日本では、お茶は高価で貴重で健康に良いものとして尊ばれてきたから、仏前に供えられてきたのだと思います。緑茶を飲む文化が無い国の場合なら、紅茶やコーヒーを供えることも有り得ると思います。同様に、日本だから御飯と味噌汁と漬物を供えますが、国によってはパンとスープとサラダを供えるのが一般的ということも有り得ると思います。
日本でも朝食がパンの家庭も多いと思います。そういう場合は、パンを仏壇にお供えしても良いと思います。
意味はあります
私が習ったことについて伝えます。
①水をお供えする→洒水(しゃすい)と言って『正法眼蔵・洗面巻』では仏様に洗面をしてもらうためとお示しになっておられます。あれは洗面器と思って下さい。
②お茶をお供えする→お茶だけでなく、湯・菓・茶をお供えします。来客に対するおもてなしの順番です。お客さんが到着したら、密湯(砂糖の入ったお湯)・お菓子・お茶(抹茶が望ましい)でお迎えします。仏様をお迎えするためにお供えするのです。
③朝はお茶をお供えする→仏様の目覚ましにお茶・密湯をお供えする。
④お膳→朝昼晩お供えする。基本的に精進料理(肉魚は使わない)。朝はお粥・沢庵・ごま塩などお粥に合った品。昼はご飯・汁・おかず2品・漬物など。晩はお膳は無し。11時過ぎたら食事は摂らない。上座部仏教では昼食まで。禅宗では晩ご飯のことを藥石(やくせき)と言います。これは「焼く石」が派生した言葉で焼いた石を布で巻きお腹に乗せて空腹をしのいだ名残らしい。
⑤上記の基本を踏まえて、自分なりにアレンジして真心を持ってお供えをして頂きたい。私が修行した永平寺では仏様に朝、お茶の代わりに珈琲をお供えした修行僧もいました。目覚ましという理由の上ではアリだと私は思います。
私はあなたがおふざけや悪気がなく、真心や純粋な気持ちでお供えするならばアリだと思います。ただ、最後にお供え物を下げた時は基本的にあなたやその家族がお下がりとして頂くことも供養ですから、あなたが食べても抵抗ないものをお願いします。
質問者からのお礼
お坊様方、ありがとうございました。
普段自分が何気なく、食べている・飲んでいるもののありがたみを改めて考えました。当たり前どころか、あって当然というものは、考えてみれば、当たり前ではなかったのですね。ハッとしました。
そして、仏様に毎朝お供えするお水やお茶にも意味があり、適当に済ませては失礼だということがわかりました。
改めて、仏様、お坊様方、ごめんなさい。そして、ありがとうございます。
明日の朝ごはんは、食パンにする予定なので、食パンをお供えしようと思います。
ありがとうございました。