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強迫観念

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有り難し有り難し 6

 私は神様を侮辱してしまいます。私は過去に神様に怒られたことがあります。そこから鳥居の外に出てからも神様は心の中を見られている、と意識すると、家の中にいる時に神様を意識して毎日話しかけてしまいます。さらに侮辱してはいけない」「馬鹿にしてはいけない」と思っています。
 しかし神様を前にすると「〜思っちゃいけない」「〜馬鹿にしてはいけない」と思ってはいけない事を思ってしまいます。思ってはいけない事が自動的に浮かんできたり、「もし、言ったらどうしよう」「どうしよう、どうしよう、どうしよう」「言ってはいけない!!!」と強く思い、結果的に言ってしまいます。
 辛いです。どうすれば神仏を意識せずに生活して、見下さずに敬う事が出来ますでしょうか?
 仏道の方にこのような質問、恥を忍んで質問させていただきます。
お返事早く下さると幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

少し生き方を変えればいいです。

レンさんのお悩みお察し申し上げます。

そうですね。たしかに神様に対して侮辱したら不安になるでしょう。
神様も仏様も遠い彼方で、自分とは違う存在だと思うと、又、神様や仏様が罰を与えると思うと、つい距離を持ちたくなるでしょう、自分の思い通りにならないとなんで言うことを聞いてくれないのかとボヤきたくもなります。

でも、本当は神様も仏様も、レンさんも同じ尊き存在なのですが、今レンさんは人間として様々ことを経験中なのでそのような意味では完璧な状態ではありません。
それに神様や仏様は遠い存在であると教えられてきました。

しかし実は、神様や仏様に文句を言うことは自分自身に言っているのと同じで、侮辱してはいけない、馬鹿にしてはいけないとは、自分自身の噓、偽りの部分に対してのことなのです。

どのように接するのか、自分の中に、いや自分自身が発展途上の仏であり神であるならば、自ずから接し方も変わりませんか。
自分自身を労り、愛すること、それは神仏に対することにもなります。
自分が努力、精進することはもちろんですが、他人に対しても労り救う行動こそが、神仏と同じ働きであると思ってください。
それが神仏を意識せずに見下すことがない生き方ではないでしょうか。

~追伸:返信~
「してはいけない」ある意味では、持ち越し苦労ということで、前もそうだったので、今回も同じ過ちをしそうという不安。しかし、その不安は現実化するので、やっぱりとなり、さらに落ち込みという悪循環です。ちなみに思うことが現実化するのがこの世の仕組みです。
「してはいけない」ではなく「しない」でいいのです。
まして、今回のことは、侮辱そのものは自分に対して言っている、思っていること同じなので、自分を認めれば、そういうことを”してもしかたない”ゆえに「しない」となります。

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日蓮宗のお寺で、名古屋市南区にあります。 ”お寺は生きている人のためにも...
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神様は怒っていますか?

レン様

こんにちは。ご相談ありがとうございます。

あらら。大変なことになっていますね。「神様に怒られたこと」ってどんなことなんでしょう? もしかしたら、神様は怒っていないのに、あなたが勝手に「怒られた」と思っているだけってことはないでしょうか?

「やってはいけない」と思えば思うほど行動に出てしまう人がいます。社会的にいけないことになってしまったりします。ご本人はかなり苦しいと思います。

たぶんですが、神様はあなたが侮辱してもビクともしないと思いますよ。それより、神様は怒ってもいないのに、「神様に怒られた」と思われる方がイヤなのではないでしょうか? 私は浄土真宗の僧侶です。「神祇不拝(神様を拝まない)」を宗(行動の指針)としています。こんな私のことを神様は怒っているかもしれません。でも「怒られた」と思ったことは一度もありません。そんな人もいますね。

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おきもち

福祉施設に駐在し、医療・福祉専門職と協働する坊さんです。 ●真宗大谷...
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質問者からのお礼

鈴木様
 お返事、ありがとうございます。侮辱は自分自身に対して行っており、自分自身の嘘、偽りの部分なのですね。そこがうまく分かりません。なんとなく言っていることは分かります。
 また、侮辱した過去を思い出して「また、同じ過去をしたらどうしよう」と不安になり「してはいけない」「してはいけない」となります。
 この不安もどうすれば良いのでしょうか。

鈴木様
 さらなるお返事、ありがとうございました。
 貴方様のおかげで、私は侮辱したいから神様を信じているのだと気がつきました。
 しかし、「侮辱しないために、神様を信じない」と認めても侮辱の言葉が心に浮かんで出てきてしまいます。どうすれば良いでしょうか?
 次々とお忙しい中、失礼致します。ご教授いただけますと幸いです。
 

「心・体の障害と向き合う」問答一覧

逆エンパス

閲覧いただきありがとうございます。 僧侶の皆様の見解を知りたいと思い相談させていただきます。 世の中には逆エンパスなる性質を持った人がいると最近学びました。 逆エンパスの特徴の一つとして ①知的障がいを持った人。介護者が必要なぐらいの障がいがある人。 ②社会的にきちんとしていない人(一般的に言われる変な人・異常者)正義感や純粋なエネルギーを浴びると居心地が悪くなり怒って反発したくなるようなタイプの人。反社会的な人。 (出典:阿倍野まことカウンセリングルーム) ①②に絡まれやすいという特徴があります。 私自身、上記のような人に遭遇しやすいと感じています。 外出すれば、3回に1回は見ず知らずの人に絡まれます。 具体例を上げますと、家族とスーパーで買い物中 「これ安いね。買おうか。」などと話していると、いきなり見ず知らずの人が近寄ってきて「うっせーな!」と去りながら捨て台詞を吐いて行かれることが良くあります。 その際、決して大きな声で騒いで話しているわけではありません。むしろ、こういった事がよく起こるので声量はかなり小さくしています。 絡んでくる人の特徴は •母娘。娘が突っかかてくる。娘は母親にピッタリくっついている。 •母親の方は我関せず。知らないふり。 •娘の年齢層は10代〜30代と幅広い。 •見た目は異常者に見えない。 このような感じです。 対処法としては 逃げる。気づかないふりをする。が 取り入れやすい方法のようです。 実践している最中ですが、 余りに酷いとつい睨みつけてしまいます。 頭では 「こいつは異常者」「私が悪いわけじゃない」と言い聞かせつつも感情が落ち着きません。 正直なところ、外出も怖くなってしまいます。医療機関などには相談しています。 家族は私以外鈍感で、私が言うまで気付かなかったり こういった事を経験したことがなく理解者はいません。 僧侶の皆様の中で似たような経験をされた方はいらっしゃいますでしょうか。 また、この逆エンパスについて見解を伺いたいです。 長文失礼しました。よろしくお願いいたします。

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