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浄土真宗のお坊様にお尋ねしたいのです

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昨年の4月に夫をすい臓がんで亡くしました。闘病3か月、55歳でした。
発見時にはすでに末期で、本人も家族もあまりにも急なことで戸惑いの中あっという間に亡くなりました。最期は激痛を緩和させるために麻酔で眠らせた中逝ったのですが、その瞬間は仮眠をとってて気づかず、ちゃんとした会話もできず。

1周忌を迎えるのにその後も後悔することだらけで、引っ越しのどさくさで大事な形見の腕時計を無くしてしまったり、情けない限りです。

未だに夢にも現れず(鈍感で気づかないのかはわかりませんが)、夫は本当に安らかにいるのかどうか、まだ病院や前の住まいに迷っていないでほしいとか、仏壇に手を合わせて祈りますが、法事でお願いしているお坊様は自分の願いを言ってはいけないとおっしゃいます。こういう気持ちはどうしたらよいのでしょう。
 
正直実家の曹洞宗といろいろ違いすぎることも影響しているかもしれません。どうかアドバイスお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

往相回向 還相回向

この度はお悔やみ申し上げます。

浄土真宗は阿弥陀如来(阿弥陀さま)の本願を聴く教えです。
ほとけさまの願いを聴く教えです。

縁起でもない、としかられる例えかもしれませんが・・・
ぽんたさまご自身が亡くなることを想像してみてください。
布団の中で一人ぽんたさまが目を閉じて、寝ています。
どうやら寿命はあとわずかみたいです。

ぽんたさまは最後に何を思うでしょうか?何を願うでしょうか?

残していく家族のこと?ありがとう?ごめんね?

では亡くなったご主人は最後に何を思ったのでしょうか?何を願ったのでしょうか?

残念ながら今となっては知るすべはありません・・・

が、少なくとも、残していく家族、妻に対して、

苦しめ!悲しめ!後悔しろ!もっと苦しめ!

と思ったでしょうか?願ったと思われますか?

そのお坊様が言われた「願ってはいけない」という言葉は、
おそらく、現世利益的なことを求めて願ってはいけない・・・
というような趣旨で言われたのではないかと思います。

ぽんたさまがどんなに信じられなくとも、信じなくとも、
ご主人は間違いなく!お浄土に往き生まれ、ほとけさまとなられています。

ぽんたさま、ぜひ、これまで通り、ご主人の成仏(しあわせ)を願い手をあわせてください。
そして、ぜひ声に出して「南無阿弥陀仏」とお念仏してください。
そして、いつしかぽんたさまが、ほとけさまになられたご主人から願われていた身であったことに、お気がつきいただけること願っております。

最後に中西智海和上という方が詠まれた詩をご紹介します。
-------------------
人は去っても
その人のほほえみは
去らない

人は去っても
その人のことばは
去らない

人は去っても
その人のぬくもりは
去らない

人は去っても
拝む掌(て)の中に
帰ってくる
-------------------
ご主人が夢には出てこなくとも、
もうすでに拝む掌(て)の中に帰ってきている・・・

ぽんたさまが「安らかに」「しあわせに」日々を過ごされること、
ご主人ともども私も願っております。

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有り難し
おきもち


思いは止められません。そのままで大丈夫です。

ぽんたさん、はじめまして。石田といいます。

闘病三ヵ月、そして、いわゆる働き盛りの年代での、あっという間の急逝だったのですね。
想像することしか出来ませんが、そして想像が追いつくものでもありませんが、大変だったのですね。形見をなくされるというのも、おつらいことのように思えます。その瞬間を起きて立ち会って看取ることもできなかったとのこと。

「もっとこうしていたら…」という思いが強いのかもしれない、と思いました。

看取りのお話を聞いたり読んだりすると、必ずしもみなさん「その瞬間」に立ち会える方ばかりではないようです。「照れ屋だった」とか「ええ格好しいだった」とか表現はいろいろですが、その瞬間だけ一緒にいられなかったという場合はよくあるようです。意外でした。ただ、その瞬間を除けば濃い時間をともにすごせた、ということをゆっくり感じられるようになると、折り合いがつくようでもあります、が、無理に納得しようとすることもないように思います。

ご法事でお願いする僧侶の方が「自分の願いを言ってはいけない」とおっしゃるのは、恐らく二つくらいの意味があると思います。

一つは、「浄土真宗の救い主である阿弥陀さまは、お浄土にいって生まれてさとりを開いて仏になっていくという、わたしたちの本来的な願いを叶えてくれる仏さまなので、それ以外のことを願ったり祈ったりしても、関係ないです」という意味。

もう一つは、「だから、ぽんたさんが「迷わないでください」と願わなくても大丈夫、まったく心配ないんです。」という意味。

ただ二つめの「まったく心配ない」はちょっとフツウの常識とは違う内容なのでこれを言葉で表現するのはなかなか難しいです。わたしもなかなか出来ません。

夢もいろいろのようです。心が沈むと先にお浄土に往かれた方々が「大丈夫だよ!」と言ってみんなで出てきてくれるとおっしゃる方もあるし、かと思うと、友だちのお父さんは七回忌が済んでから出たそうです。重大な懸案が一つ一つつ片付いていって「親父おれ頑張ったよ?」みたいな気持ちにフッとなった時に満面の笑みで出て来て握手を求められたそうです。「ずっと見てくれてたんだな」。

ですから、なぜ夢に出て来てくださらないのかはわかりませんが、出てきてくださらないからといって、今をともにいらっしゃらないというわけではないようです。

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おきもち


石田 智秀 (ちしゅー)
お寄せくださった質問について考えさせていただくことで、必ず回答できる場合ば...
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お辛い想いをされましたね。

そのなんともやりきれない寂しい想い。おご自身の身をそがれるような思いだと想像します。
できれば、出てきてほしい!!もう一度、話したい!!、顔を見たい。一言でいいから現れて笑顔を見せてくれたら私も救われる。あなた様のお気持ち、私にも、ジーンと伝わりましたよ。
お願いごとと言っても、世俗的な現世利益、お金持ちになりたいとか、出世したいとか、
そういうことについては、熟慮がいると思いますね。お金があったら幸せ?出世したら幸せ?
と考えると結論は出ますよね。私は否定はしません。なぜなら、弱いから、切ないから人間なんです。
明日をもしれぬ人生、いつどうなるかわからない人生を歩んでいるんですから、
いろいろな悩みをかかえるのは至極当然ではないでしょうか?
その苦しさ、辛さを一体誰にぶつけたらいいんでしょうか?
それをお願い事はしていはいけないの一言で否定されたんでは、救いはありませんよね。
どうか、お仏壇の前で、お仏壇の前でなくともいいんです。
今は亡きご主人さまの、あなたの想いを精一杯語り掛けてあげてください。
心の底の想いを思いっきり吐き出してください。
ご主人さまは、きっと、必ず、受け止めてくださります。
身体は亡くなりましたが、魂は不滅です。輪廻転生。生まれ変わり死に変わり。
魂の向上という、仏様になる修行を繰り返し、繰り返し、生きて行くのです。
いっぱい、いっぱい泣いて、涙が枯れるまで泣いたら、
極楽浄土で、ご修行されているご主人様のものと、あなた様も行かれるように、
この人生を、ご主人様に恥ずかしくないようにどうか生き抜いてくださいませ。
お浄土きっと、また再会できます。その時に「よく頑張ったな!」
とご主人様から褒めていただけるように、
私もあなた様の為に祈ります。
阿弥陀さまは、きっとそんなあなた様を温かく見守ってくださりますよ。
南無阿弥陀仏 合掌

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浄光寺の花山雲吉です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

石田 智秀 さま 三浦 康昭 さま 釋俊道 さま
お答え頂きありがとうございました。

 嫁ぎ先は他県からの分家のため最初から仏壇が無く、また親より先に亡くなってしまったので、主人の死で浄土真宗ということを初めて知ったので細かい作法もわからず、痴呆症の両親に尋ねてもわかりません。お寺様も斎場から紹介していただいた方ですからご法事だけのお付き合いです。なのでお式の終わりの説法?しか聞けず、あれこれ聞けないでいました。そんな中での不安な気持ちをここに投稿させていただきました。

 主人が夢に出てこなくても、いつかお浄土で再会できたときに恥ずかしくないよう、息子と二人で頑張って生きていこうと思います。今まで通り手を合わせて祈ろうと思います。ありがとうございました

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