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生きていて辛くて死にたいです

回答数回答 2
有り難し有り難し 48

小学校、中学校、高校、そして就職した会社でもいじめられ続けてきました
現在心療内科に通院中ですが症状はよくなる気配がありません
今でも過去にいじめられた事がフラッシュバックして何回か自殺を試みましたが失敗してしまいました
今まで僕をいじめてきた人等が今も何事もなく生きているのが納得いかないです
今も死ねる機会があれば死にたいと思っています
僕には友人や味方がいないので相談する相手がいない哀れな者なのでここに相談してしまいました
ご迷惑でしたらすみません


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたをお待ちしてますね

拝読させて頂きました。
あなたが今までいじめや嫌がらせを受けて辛い思いをなさっていらしたこと、そして今なお辛い思いをなさっていらっしゃることを読ませて頂きました。今までの詳細なことはわからないですけども心よりあなたのお気持ちをお察しします。
宜しければあなたのお気持ちや様々なことについてじっくりとお聞かせいただけますでしょうか。
あなたの心の中で様々な思いがあふれるように浮かんでくるでしょうから一つ一つじっくりとお気持ちをお聞かせくださいね。
あなたは決して独りではありません、あなたはもうここでも私達とつながりを持っています。そしてあなたのことを大切に思っていらっしゃる方々がいるのです。
あなたは今も沢山の方々やものごととのつながりの中で生きていらっしゃるのですし、これからもあなたは生きていかれます。
あなたのことをここでお待ちしていますね。

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おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

いじめるような人間をよりよく導く心を持つ

私も小学校時代にいじめられた経験があり、いじめっ子の経験もあります。
ですが、どっちも救われない生き方であると気づいて、そうではない生き方をみつけました。いい方法があります。
一度いじめという言葉を捨ててしまうこと。
相手も思ったことをやっているだけ。確かに悪意をもってやってくるショーモナ人間はいます。
いじめという行為はそもそもが負の連鎖。止めるべき人が止めなければ永久に繰り返されるショーモナ行為。だから、あなたも他人からもいじめられない、自分の心からもいじめられない!との志を持つのです。善導の精神。より高い人間性を目指す精神。心の強さを求める心です。私もその心を奮起して「こんなことでおわってたまるか」と心がより高い心を求めるようになったような気がします。怒りの心とはそういう向上心を持ったり、志を奮起するためにそなわっているのでしょう。
よって、怒ったらよいのです。
(# ゚Д゚)「こんな人生冗談じゃない!」「こんな不条理誰も救われない!」と怒りを持つことです。乱世の時代の宗教者たちもみな人間同士が争い合い、殺し合う姿に怒りや嘆き・悲しみを持ったことでしょう。ただ、その心の方向性が悪意に向かわなかったのです。人間の世界のショーモナな心同志がショーモナイ争いを繰り返していじめたり、殺したり、ブラックなことをする。そんな心をも救ってやる!という志(菩提心)を持つのです。お地蔵さんの精神。六道という天上・人間・修羅・餓鬼・畜生・地獄というショーモナな世界をも救わんと言う精神こそが実は人間誰もが持つべき救済の精神なのであると思います。なんとなく私の言わんとするところを読み取って頂いたらありがたいです。わからん時は電話でもかまいません。私もシニテー時がありましたが、どういうわけかそんな心を奮い起こせたことで何とか今日まで生きているもんです。それでもまだまだ世の中は今日もどこかで人間ならではのショーモナイ人間性でショーモナなことが起こっているもんです。だから、一人でも二人でも菩提心という救済、おたすけ、善導の心を持つ人が増えることで世の中の善玉菌マンが増えるのです。私は私のできる善玉菌活性化活動をします。あなたもどうか死にたい心をカスタムしてこんなことでシンデタマルカ!と自分も世界をも善導せんと奮起してみてください。その心が生まれるだけでも生きる気持ちは沸くのです。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

もう少しだけ頑張って生きてみます

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ