贖罪について
こんにちは。お世話になっています。お忙しい中申し訳ございません。贖罪について質問があります。
私は幼い頃から、いじめや意地悪、暴言を吐いて育ってきました。
こんな罪を犯して来た私が、普通の生活を送っていて良いのか気になります。
また、罪滅ぼしをするためにどう生きていったらいいのか教えていただきたいです。
ご返信お待ちしております。どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自己満足の贖罪よりも皆が笑顔で救われるような人間性を目指そう
うちで飼ってるニワトリちゃんがサイコパスでして。🐓ツンツンと言います。ツンツン(♀)は初代ボス鳥の正妻でしたが、初代ボスの度重なる浮気とメスの意地悪と夜中にボスが目の前で狸に食い殺されるという凄惨な光景を見て(鳥目だっつの)心が病みました。他の鳥もみな狸に食われてしまいましたが運よくツンツンと二番手(♂)だけが残りました。人間だろうが、鶏だろうがつついてくる不思議な鳥なのでツンツンと名付けられました。ツンツンは現在、二番手との間に授かったわが子「ツンタ」でもつついています。あまりにも地獄絵図なので別々に飼っております。するとそのツンツンからつつかれたツンタもまた負の連鎖で他の弱いメンドリをつつくのです。負が負を生む。悪が悪を生む。私はそこであることを学びました。負の人間(🐔)性は過去の負の影響によって生まれる。必ずその人間性は過去の何らかの影響によって連鎖している、と。だから、この世に正義も悪もないとか言う人がいたらうちのツンツンでその人の顔をつんつんして目を覚まされてあげたいものです。あるんですよ。良くない事って。ホント。何か思い当たることあるでしょう。自分がなぜそうなったのか。きれいごとじゃなくて、嫌なことはイヤだもん、なのです。そこに向き合うこと。いい意味で恵まれた家庭の人にはそういうことはわからんもんです。
単純に言えば、正義とか善だ悪だとかより誰でも「ツンツン」されたらチョー痛いだけ。それだけのことです。DVやきっつい叱られや自己否定も同じ。負が負を生む。それこそ言語や理屈を超えた絶対悪、絶対的苦痛なのです。
このツンツンのように自分も誰かをも不幸・不運・負の心に導く「よ・う・な行為」をこそ悪と言うべきで贖罪うんぬんではありません。
過去の歴史が作っちゃった人間の意志も超えた残念な精神状態というもんが生み出す負があるのです。そこを自覚したら、もうそれとは異なる自分も人も心地よくなれることだけに正直に生きる。心底今の心を今、安らかにするために今、わが心を安心させることが贖罪です。
ツンツンからメッセージです。
「過去に受けた不幸で今も不幸になっていると言い続けたらそれは言い訳。あらたに今日、今も負のアクションを選択するのは誰?今の悪を今生み出すのもあなた自身。」
今の心の状態を決めるのも今。人間は良き縁を今、新たに自分に加えることで今、救われます。
質問者からのお礼
こんばんは。ご返信ありがとうございました。
自分の心を安らかに、余裕を持つことをこれからは意識して過ごしていこうと思います。
拙い文章にもわざわざご返信いただき改めてありがとうございました。