お守りを買えば幸せ、、、?
こんにちは。いつもハスノハを拝見させて頂いております。自分には無い視点や考えに触れることができ、様々なことに気づされます。
先週、とあるお寺を訪れました。
目的は自身の未来について九識霊断法で未来を占ってもらうためです。
お坊さんからは、親切に相談に乗って頂き占いも終わりにさしかかった時に、お守りを買わないかとの提案を受けました。そのお守りがあればより物事は上手くいくとおっしゃっていたのですが、信用できないと思いました。パワーストーンやお守りを持つだけで幸せならみんな持つのでは無いでしょうか?また、頼んでも無い品を勧めるなんてお寺もやはりビジネスなのですか?
その他にもなぜ、強く願っても叶わない事があるのですかと聞いた際に祈りが足りなかったと言われた時はどこかの新興宗教かと思いました。
物事に対して純粋な視点で見ることのできない私にぜひ、お守りを買えば幸せになれるかどうか教えて頂きたいです。
お忙しい所、ぜひよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
定番の挨拶です
Mimiさん、お守りの件、ご忠告ありがとうございます。私も祈祷してお札やお守りをお渡しすることもあります。肝に銘じます。
しかしながら、そのお寺の僧侶が言ったことは挨拶のようなセリフかと思っていただけないでしょうか?
先日あるテレビ番組で服屋の店員は何故、「その服私ももってます」を言うのか?と言うものでした。客の側から見ると不快に感じる方もいるそうです。しかし、店員からすると一か八か客との縁を深め、その服のメリット、デメリットを説明したいためらしいのです。
他にも店や職業により色々な挨拶や言葉があると思います。観察してみましょう。店と同じでお寺にも決まり文句はあります。
でも、あなたの中にもお寺や僧侶は正直に生きていると言う観念はありませんか。皆がそうではありませんし、それぞれの僧侶が個性を持ち、あなたや皆さんに接していることだと私は信じたいです。合わないなら、あなたから会いに行かなくて良いと思います。
私の見解はお守りはあなたを幸せにするかどうかは分かりません。幸せとは私もよくわかりませんが年老いてむかしを思い出すとき「あの時は…色々あって楽しかったなぁ」と思えれば良いのかな。と感じるときはあります。幸せは気の持ちようで、それを具現化したものがお守りだと思います。だから、自分の祈りを忘れないようにするのが、お守りの役目なのです。
だから、金銭的なもので解決すべきものではありません。
ただ、自分に合わないことには意思表示して良いと思います。
お守りや祈祷、祈願
Mimiさま
お守りや祈祷、祈願というのは、想いの実現へ向けて、その前へ進めるための「勇気」や「元気」を頂くためのものとなります。あるいは注意や警告として気を付けるためというものもあります。
もちろん、実現する、成し遂げるには、色々な縁が調わないと難しくありますが、その中でも自分自身における問題が一番大きなものとなります。
お守りを買えば幸せになれる、というのではなく、
お守りに、「勇気」や「元気」を頂き、より実現へ向けた縁が調うように努力していくということで、その結果としての幸せへと向かって参りたいものとなります。
川口英俊 合掌