自分自身の価値が見出せません。
はじめまして。
ご質問させていただきます。
私は小さいころから、両親に褒められたことがほとんどない状態で育ちました。
テストで100点とっても「続かないと意味がないのよね」と言われたり、世間では難関と言われる大学に合格しても「何で第一志望落ちたの?」と言われたり。
「何をしても認められることがないんだな」と思うと、自然と口癖が「死にたい」になっていきました。
そのうち、難関資格の勉強をしていたときに躁鬱病を発症し、倒れました。
その時に言われたのは「何やってるの?」の一言。
打ちのめされました。
そんな私でも結婚はできるもので、今の主人と結婚することになりました。
でも、「自分になんて結婚してもらうだけの価値があるのだろうか、自分は死んだほうがいいんじゃないか」と思うと、「死にたい」という口癖が消えることはありませんでした。
この前主人から「お前が『死にたい』というのをもう止める気力もなくなった」と言われました。
見捨てられたんだ、と思いました。
「だったら死んで、保険金残したほうがいいでしょ?」と真顔で言ってしまいました。
はっきり言って、「死にたい」ということを口癖にすること自体が甘えと言われても仕方がない、とは思っています。
生きていたくても生きられない人がいるのに、そういうことを口にするのは罰当たりであることも頭では理解しているつもりです。
ただ、私は自分が生きていることに価値を見いだせないのです。
自分が生きることで誰かが救われるのか、誰かを幸せにできるのか。
まったく自信がありません。
昔から勉強はできるほうだったので、派遣会社の人がびっくりするような資格もいくつも持っています。
でも、「こんな資格持っていても使えない自分じゃん」と思ってしまいます。
いっそ、自殺して脳死状態になったときに、臓器提供して移植を待つ患者さんのところに自分の臓器を届けたほうがよっぽどいいんじゃないかと思う今日この頃です。
自分自身の価値を見出す方法を教えてください。
そんなものない、ということでしたら、人間の価値というものについてどうお考えか、お聞かせ願えれば幸いです。
自分が生きていてはいけないのかと思う
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親だからといって正しい訳ではない
まず、わたしはこう考えます。
「わたしの親は特殊だったのだ(笑い+諦め+赦し)」と。
ぶっちゃけ、この世には本気で子どもを褒めちゃいけないと思っている特殊な親はいます。
「子供がテングになる、進歩しなくなる、ワガママになる」と思っているのだそうです。
完全なるショーワ思考ですな🙍。子供も親が本能的に大好きだから親の為に一生懸命やっているのに、親は子供の承認されたい欲求をまるで知らんのでしょう。心の会話が成り立たんのです。
「子供をいつまでも子供扱いする未熟な親は、子供に尊厳を与えられずに、自分の手元におこうと子供をコントロールする。だから、子供がいくつになっても精神的に独立できずに苦しい」のです。もうあなたも成人されました。自立、巣立ち、独立国家万歳です。
評価されるべき相手はもう親じゃありません。
完全にご主人と子供さんだけに限定すればいいのです。
ご主人さんから愛されることだけを考えて生活してさえいれば、すべて丸く収まります。
親を憎めもしない、愛せもしない。あなたに残された道はただ一つ。
特殊な親、未熟な親という不完全さの全肯定・容認(慈悲+愛)です。
それが親からの精神的な支配からの独立、自立、大解脱です。
何故なら親の教育が本当に正しくて聖人君子的な教育であったのであれば、少なくとあなたは自分を愛せたはずでしょう。そんな風には育たなかった。
あなたの自己否定感情、自己評価の低さという呪縛を植え付けたのは、あなたの愛すべき、憎むに憎めない親。でも親を憎んでも仕方ありません。
あなたの親御さんも、自分が子供の立場にあった時に愛されたり、肯定されたり、褒められたことが少なかったのであろうと思います。いわゆる親子代々続く負の連鎖です。
「お母さんも、小さい頃からずっと親から冷たくされてきたの?私とてもつらかったよ。もう私の代ではこの負の連鎖は断ち切るからね」
あなたにつらく当たってきた理由を聞いてみる、推測してみることです。
おそらくあなたの呪縛はそれによって解けるはずです。
「親の毒はマトモに受けなくて良いのです」
あなたの親御さん世代はもっと厳しい時代の中を生きてこられたのです、しっかりしなさい的表現でしか愛を表現できない親なのだと思ってください。
親を赦し、他人との冷たい比較競争エントリーから辞退させることであなた本来の純粋さを取り戻せるはずです。
人は役に立たなくっても良いんです。
あねぱんさん、こんにちは!
「臓器提供して移植を待つ患者さんのところに自分の臓器を届けたほうがよっぽどいいんじゃないかと思う今日この頃です。」
僕も、そんな風に考えた事、ありましたー。
なんも役に立たないから、せめて臓器だけはって思うんですよね。
「死にたい」という口癖、実は僕もあります。
本当に死にたいと思う事もありましたが、
今は、生きていくのは面倒だなって思ったときに「死にたい」という言葉が出ます。
で、言ってみて、別に死にたいわけじゃ無いけどなー。なんて思うんです。
そして、「良くなる」「良くなる」「もっと良くなる」と、プラスマイナス、プラスにするようにしてます。
実は、人間はなんも役にたたなくていいんです。
「死にたい」という口癖を止める気を無くした旦那さん、それでも旦那さんでいてくれるんですよね。
あねぱんさんから、何かのハッピーを貰ってるから旦那さんでいてくれるんですよ。
良かったじゃ無いですか。
元プロ野球選手の、長嶋一茂さんご存じですか?
実は選手を辞める頃からパニック症だったんです。
病を抱えながら、野球解説者をして、
「自分は役に立ってるのか」と不安の中でテレビに出ていたんです。
ところが、あるとき「呼んでくれるってことは、ここにいて良いんだ。」と思ったそうです。
それから、急に楽になったと仰っていました。
自分で役に立っているかどうかは、分からないことです。
しかし、一緒にいてくれる人がいるって事は、お互いに存在を許し合っているからです。
なら、自分の存在を許し、認めてくれる人に、
「おはよう」と声をかけるくらい出来るじゃ無いですか。
「ありがとう」なんて言えれば、もう、最高です。
僕は、もし、自分が老いたり病になったりして、身体が動かなくなっても、
出来れば、「ありがとう」が言えて、笑顔ができるといいなと思っています。
それだけで、一緒にいてくれる人が「役に立った」と思えるからです。
もし、「ありがとう」が言えず、笑顔が出来なくなったとしても、
一緒にいることは出来ます。
もし、誰かが「誰かと一緒にいたい。」と願っても、
一緒にいる相手がいなければ、願いは叶いません。
その相手になることが出来るのです。
良い事をするにも、相手が必要。
良い事をする人と、良い事をされる人は、二人で「良い事」をなしているのです。
先ずは、おめでとうございます!!
躁鬱病を経験されたとのこと。
あなたは人一倍、この世の苦しみを経験されたと思います。
私も過去にうつ病を患い、筆舌に尽くし難い苦を経験しましたので、あなたの辛さはよくわかります。
その上であえて言います。
今の平和な日本では、あなたのような苦しみを体験する機会が減りました。
だから、あなたはとても貴重な経験が出来たのです。
いつかきっとその事に感謝できる日がやってきます!!
人として生まれてくる確率は、1億円の宝くじに100万回連続して当たったのと同じ奇跡。(村上和雄筑波大学名誉教授)
あなたはこの世の中で、たった一人の存在なのです。
その事を実感するために『弘法大師空海』(ジョージ秋山)のマンガをぜひ読んで頂きたいと思います。
読み終えた頃には、私の言っていることが実感できると思いますよ。
生きる価値
あねぱん様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
生きる価値、生きる意味・・このことにつきましては、これまでも下記の各問いにても扱わせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/生きる意味
『・・意味や意義、目的というものは、実体として「有る」、あるいは全く「無い」というものではなくて、様々な「縁」に依って成り立っているものでございます。・・』
『・・「生きている価値」につきましては、相対的な価値判断・基準により成立しており、絶対的・決定的なものとしてはあり得ないものとなります。あくまでも様々な「縁」によりてあり得ているもので、もちろん「縁」次第で様々に変化していくものとなります。良くも悪くも、「縁」次第となり、もしも、良き価値判断・基準を望むのであれば、より善き縁をということとなります。・・』
問い「この世に生を受けたということ。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003004081.html
『・・例えば、善き縁を集めること(順縁)に努力して参りましたら、良い意味を見い出していけれるものとなりますでしょうが、悪き縁を集めること(逆縁)になってしまっていけば、やはりあまり良い意味は見い出せなくなってしまうというものになることでしょう。・・』
善い価値を見い出すには、善き順縁を得ていくことが大切となるため、心の状態、行動の動機をより善くに調えていくことも必要になるかと存じております。あまり後ろ向きなこと(「死にたい」など)ばかりを考えていては、とても善き順縁は望めません・・少しだけでも、前向きに、明るく、元気良くを心掛けていかれることだけでも、少しは変わっていくのではないだろうかと存じております。
善処を祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
最初に、皆様真摯なご回答を下さり、誠にありがとうございます。
心より御礼申し上げます。
木内様
教えていただいた本、さっそく読んでみます。
自分が苦しい体験をした分、人に何かを差し上げることができるように心がけたいです。
長谷川様
自分が昔から信じてきた言葉に「そこにいるなら役に立て」という言葉がありました。
そうじゃなくてもいいんですね。
少し楽になれる気がします。
丹下様
「親だから正しいというわけではない」・・・目が覚める思いでした。
いくら親が未熟だったにせよ、私をここまで育ててくれたのは紛れもなく親です。
感謝はしないといけないのでしょう。
だからといぅてすべてが正しいわけではないのですね。