我慢は美徳なのでしょうか?
昨年から続くコロナ禍の中で一年以上
マスク、自粛と続けてまいりました。
それが当たり前だと思い行動しました。
しかし今年に入り何も変わらぬどころかむしろ悪化している中、早く普段の生活に戻りたい…
早く遊びにも行きたいという抑えてたものが我慢できずにいる自分の弱さに落ち込んでおります。
そして、このコロナ禍の中でもオリンピックを開催するという無茶という夢物語を総理大臣本人の口から聞き呆れております。
嗚呼、国はオリンピックが開催できたら
国民が死んでも良いのか…と思い始めて
国に対する怒りと我慢している自分が情けなくなってきております。
我慢は美徳という言葉があります
この一年色んなことを我慢しましたが
何も得たという実感がありません。
人と出会う機会が無くなり自身の精神もギリギリの中で我慢するという事が愚かに見えてきております。
花を見ても美しいと思えず
食事をしても美味しいと感じられず
これ以上我慢していつかパンッとはち切れ何をするかわからない自身の邪神がとても怖くご相談致しました。よろしくお願いします
執着心として愛情と友情など 他者に対して過剰なまでに依存してしまいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きるためにできること
本当、訳がわかりませんよね。
実体のわからないものに怯え、信頼性の乏しい薬で対処する、今はそんな状況でしょうか。すっかり消毒&マスクが必須の生活になりましたね。
極端な考え方かも知れませんが、この度の混乱が、私は「人が人を殺めることを是とするような悲しい争い」でなくて良かったと思っています。
聞くところによると日本の歴史上、ある程度の規模のものは70年ほどの周期で起きているようなので、ちょうど今頃がその時期に当たっているのですよね。
国民が、いや全世界の人々が、同じ目標に立ち向かう。相手がどうにもタチの悪い輩なのですが、血で血を洗うような場面に無理やり立たされることは無くて、我々の我慢と管理でとりあえず生きていられる。
不条理を感じてしまいがちなのはおそらく皆同じでしょう。身の回りの誰に聞いても、本当のところはわかりませんし、根本の打開策は持っておりませんし。
ですが過去の乱世を生き抜いた先人達は、これと同等いやそれ以上の危機を乗り越えて今の世の中を創建されてきたはずです。手を合わせお参りする度に、どこからか「頑張れよ」と声を掛けられている気がします。
国や行政レベルであれ、どうしても場当たり的な対処しかできないのは仕方がないとしたら、あとは個人の考え方次第なのでしょう。
新しいことを始めて慌てている、今はその途中経過だと思います。今後これを乗り越えられるのか、はたまた押さえ込めるのか、それとも常態化するのか。
もっと言えば外出の自粛や接触の忌避、ウイルスそのものよりもこれらこそが今後の最大の難所でしょうね。当たり前の生き方が変わり続ける昨今で、この風潮というか国策は相当な追い風になってしまいました。
貴姉のお気持ちにあまり寄り添えたものではなく、申し訳ございません。
とにかくお身体を大事に。今できることをコツコツと積み上げてまいりましょう。
「美徳」という概念は幻
仏教では、人間が頭で考える観念や言葉で表現する概念などは全て実体がない、幻みたいなものだと説きます。
なので、「美徳」という概念も実体がない幻であり、「美徳」に執着する価値はありません。
「我慢」という概念もまた同じでしょう。
なので、あなたは、毎日毎秒、その都度その都度、メリット・デメリットを考えて行動を選択しましょう。
また、過去は過ぎ去りもう無いし、未来はいまだ来たらずまだ無いのです。
「昨日まで我慢してきてまた今日もか」と、わざわざ昨日の記憶データと結びつけると余計に腹が立ちますよね。
人それぞれの立場で、今できることをできる範囲でやれば良いだけだと思います。
後楽シーズンに山や河や海の事故で亡くなる人は毎年いますが、そうとわかっていても観光地を閉鎖しません。
被害者には子供たちもいます。
オリンピックもそれに似ているのかもしれませんね。