命を削って治療を受けるって?
「難病です。」と専門医から診断された時はかなりショックで無言で暫く落ち込みました。数年前から私はもうこれ以上辛い事に遭遇したくないという思いから(難病以前から)殆ど毎朝、神棚に手を合わせています。なので暫く落ち込んだ後は「これは運命なのかもしれない」と思うようになりました。だって毎日神様に「もう不幸は勘弁してください。」と手を合わせていたのだから。
ある記事を読んだら「この難病の患者さん達は命を削って治療をしている。だから役所ももっとよく考えてください。」と患者さん目線の事を書いていたお医者さんがいました。
完治はないし薬の副作用も大きい。治す為の治療じゃないの?治療をやめてしまえば症状が悪化して結局、大変な治療を受けなければならなくなる。
漢方薬で寛解を保っている方もいらっしゃるようですが同じ漢方薬でも人によっては効果がないそうです。その病院は私の家からはとてもとても遠くて通える距離ではありません。
もう身体の力が抜けて目尻や目頭から訳がわからないけれど涙が出てきます。
お坊様にお話を聞いて頂きたく書きました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
先が見えない不安
治らない病にかかると先が見えず、辛いですよね。
私自身昨年、指定難病になり治る保証のない病のため、検査を定期的に受けつつ毎日薬を飲み続け、生活を送っています。もちろん治す薬ではなく、症状を抑える薬です。
幸い私の場合は薬を飲んでさえすれば、一応普通の生活を送ることができます。
そんな事で私の場合は、この病と付き合いつつ、とにかく生き抜くということになります。これは受け入れなければならない事実だと思っています。命は誰でも一秒一秒生まれた瞬間から削られています。これが早まるのかどうかは、二度同じ条件で人生を歩まない限りわかりません。辛くても受け入れるしかない。他に道はないのですから。ただ悔やむより、最後まで人生全うすることを前向きにしていきたいと私は思っています。
合掌
研究はすすんでますよ。
ご質問拝見しました。
難病って、原因を特定することが難しい,
臨床試験でどんな人にも適応する薬を承認するに至ることが難しい『状態』という一面もあります。
これから先も、医療の研究や進歩の恩恵を受けられないというわけではありません。
知人で86万分の4,という症例が少なすぎて難病指定にすらならない疾患と診断された人がいます。
最初は戸惑いましたが、環境を整えて、言葉による刺激を減らし、穏やかに状態を保つことで不幸は遠ざけています。
3年前はその病名をネットで検索しても難しそうな論文しか出てきませんでしたが、最近は情報も少しずつ増えてきました。
難病と不幸が必ずしも一致しない人生もあります。
引き続き、手を合わせていただき、神仏の加護が保たれるよう、私も念じ申しあげます。
質問者からのお礼
邦元様
早速のご回答どうもありがとうございます。
泰庵様
ご回答どうもありがとうございます。
ありがとうございますは何度言っても気持ちが良いですね。昨日は検査の為病院に行きましたが朝から合計33回トイレに行き大腸内視鏡検査を受けました。いつも外来でお世話になっている担当の先生が検査をしてくださいました。それだけでも嬉しかったです。強がらず必要以上に落ち込まずこの病気と付き合っていく事にします。服用している薬の影響で酷い便秘なので看護師さんから「次回の検査は3日前から食事に気をつけて検査しましょう」とアドバイスを頂きました。体制を整える事にもっと目を向けたいと思います。