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仏様は救ってくださるのかなぁ

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

女子高校生です。
おばあちゃん家が浄土真宗です。
浄土真宗の方にお答えして貰いたいです。私は次のようなことをしたことがありますが仏様は救ってくださるのでしょうか。
・浄土真宗のお仏壇の前でふざけて南妙法蓮華経ととなえた。
後日、お母さんに南妙法蓮華経となえたの?と聞かれてとなえてないと嘘ついた。
・帰命無量寿如来から始まるお経(お経の題名分かりません)を読みたくないといったり、ふざけて読んだりして笑わせた。
・極楽浄土よりも人間界の方が楽しいと思ってた時があった。中学校生活が楽しかったたら。
・仏様になりたくないと思っていた時があった。
・お数珠をポケットにいいれたままにしちゃって洗濯しちゃった。
・お数珠のひもがとれちゃった。
どれも、不浄説法(なんかこうい熟語あったような…)ですよね?
今はお経をちゃんと読んでるし、極楽浄土に生まれ変わって仏様になりたいと思っています。

本当に、はっきり言ってほしいです。
こんな私でも南無阿弥陀仏をとなえたら救われるのでしょうか。

2021年5月30日 8:16

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その程度は想定済みです。大丈夫。

こんにちは。
ご質問拝見しました。

浄土真宗僧侶40年目の者です。

手のかからないお利口さんなら阿弥陀如来の出番なくても勝手に一人前の仏になりましょう。

ご質問いただいた箇条書きレベルなら阿弥陀如来さまは想定済みです。
だから、大丈夫。
棺桶に入るまでは、しっかり自身の人生を大切に生きてください。

そう言える根拠として、
きーみょーむーりょーじゅーにょーらい
の次のページには

とーけんしょーぶーじょーどーいん
こくどーにんでんしーぜんあく

という一節があります
阿弥陀如来は修行中、いろいろなところを見て回り、仏の世界が保たれる原因や、天や人の国のいい事悪いことを把握して、みんなを救う誓いを立てました。
で、実際に救うためのプランを長いこと思って、実行するぞの誓いも立てたということも書いてあります。

すみっこさまレベルの悪さは、想定済みです。そんな程度で無視したり、ふてくされる如来ではないので、安心して阿弥陀さまの名前を呼んでください。

ただ、間違っちゃいけないのは、なんでいたずらとか悪いことしようと思ったのでしょうか。

面白そう、楽しい、という感情や欲だけが理由なら、仏教の智慧や慈悲は必要とされてない自分の都合教である状態です。

仏教に甘えたいなら、仏教が大事にしてることにも興味を持ってください。

なんまんだぶつ、なんまんだぶつ。

あと、生まれ『変わって』の仏でないです。

子どもが成人するときに生まれ変わるとは言わないように、『仏に成る』だけで大丈夫です。

本願信じ念仏もうせば仏に成る。
すみっこ様の生き様がそのまま仏の糧になります。
だから、そのまま、自信を育てながら人生歩んでください。

変わるでなく往く教え。
だと私は思っています。

2021年5月30日 13:07
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有り難し
おきもち

自分のことはあまり好きじゃない。 でも、だから、せめて自分だけは 自分...
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最終的に自分を救うのは

すみっこさま

https://hasunoha.jp/questions/53394

前回の拙回答にも書かせて頂きましたが、(来世に浄土に行けたとしても、行けなくても)最終的に自分を救うのは、自分自身の行い、業(カルマ)となります。

悪い行いをなさずに善い行いに努め励むことが大切となります。

もちろん、私達凡夫、普通の人間は、誰しも悪い行いをしてしまうものです(無明、倶生諦執、真実執着、煩悩により)。

例えば、普通に何気に生きているだけでも、どれほどの命を殺生しているか・・考えただけでも恐ろしくなります。(今朝もよく下を見ずに歩いてしまい、不注意でカタツムリを踏んで殺してしまいました・・ごめんなさい)。挙げられている行為などそれから考えても、大したことのないかわいいものです。

しかし、このままでは何も変わりません。

反省、懺悔、慚愧、供養して、そして、善い行いにできる限り努めていくことにより、仏縁を紡ぎ、浄土を近いものとしていくことが求められるものとなります。

例えば、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つの徳目、六波羅蜜となります。

それらをどのように実践していけばよいのかは、是非、シャーンティーデーヴァ大師の「入菩薩行論」から学ばれると良いでしょう。更により詳しくとなりましたら、ツォンカパ大師の「菩提道次第論」もお勧めです。

川口英俊 合掌

2021年5月30日 10:09
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました!
今までのことを反省して、いい行いを心がけるようにします。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

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薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ