愚痴を聞き続けることがつらい
こんにちは、初めての利用です。よろしくお願いします。
お坊さんの皆様にお聞きしたいのは題名の通り、他人の愚痴を聞き続けることがつらいためどのように折り合いをつければ良いのか、またどのように振る舞えば良いのかということです。
もちろん私も多少の愚痴は言います。聞く方でも会話の中で多少出てくる程度であれば、慰めたり一緒に怒ったりすることができます。むしろ自分に心をさらけ出してくれたように感じ少し嬉しくもあります。
しかし、会話の内容があまりに愚痴や悪口、文句ばかりであると参ってしまいます。
愚痴を聞けば聞くほどに自分の心に澱みが溜まっていくような感覚です。あまりに聞かされ続けると自分が嫌な感情のゴミ箱にされているような気すらします。
そして、聞き始めた最初は同調できていても段々と受け止めきれなくなり、言っている本人を責めたくなってしまいます。実際に正論という名目で責めてしまっている気がします。
さらには責めるような事を言わせるくらいに愚痴を言いつづけた相手を恨めしくも思ってしまいます。
いま、この文章を書いていて自分の心の狭さが嫌になります。
過去に、愚痴を聞くのが嫌でとても仲の良かった友達と疎遠になってしまいました。
また仲良くしたいと思う一方で再び愚痴ばかりを聞かされるのかと思うと躊躇します。
また、最近は恋人も仕事の愚痴が増えてきました。本人もつらいだろうし聞いてあげることで少しでも気持ちが軽くなるのなら、と、聞いてあげたい気持ちはあるのですが聞いてるうちにうんざりして投げやりな返答をしてしまいます。
愚痴を聞かずに済むのであれば、正直なところ聞きたくありません。しかし生活をしていればどこかで不満を抱きそれを他人と共有したいという気持ちがわくのも良くわかります。
また、話している本人は心を預けてくれているからこそ、他人に言えない分を私に愚痴るのだとも思います。
それをぞんざいに扱うことでその心を砕いてしまう気がして申し訳ない反面、正面から受け止めるのはやはり辛いです。
他人の愚痴に対してどのように付き合えば良いのでしょうか。どう聞けば自分の心に澱みを溜めず相手の愚痴を聞けるのでしょうか。
お坊さんの皆様、どうかこの感情との付き合い方や相手への振る舞い方をどうか教えていただけませんでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
この問いも愚痴の塊たらたらと流れる汗は水に流そう
愚痴はアピールです。もっとわたしのことを心配してほしいという。
私はこんなにも苦しんでいるのだから、、こんなにも病気が重い、、あそこが痛い、こちらも痛い、、肩が凝る、あの人がいけ好かない、よくもこれほどと思うくらい不定愁訴を並べますね。
愚痴は衆生の武器でもあり盾でもある。
三毒、三つの毒だと仏教ではいい、貪瞋痴といいますが、あなたが苦にする知人や恋人の愚痴、これは人間の我の発露です。貪瞋痴を誰かにぶちまけることで、フラストレーションを軽減しようとしているのですが、会うたびにこれを聞かされる。
まったくたまったものではないですね。
あなたはまわりの人の貪瞋痴の愚かさに気づいてうんざりしている。
あなたのように周りの人間の貪瞋痴の救いがたさに気づいたひとは、愚痴を他人にこぼさない賢明な一歩進化した人なのでしょう。
あなたのまわりの人は貪瞋痴を持っていてあなたにそれを聞いてもらえることで、カルマが少し軽くなると思ってるんでしょうが実は少しも救われていない。
でも会うたびにまたくりかえす。
これを笑って根気よく聞いてあげられるかどうか、あなたは修行させられてるんですね。
hasunohaの人生相談は貪瞋痴の受け皿です。
回答僧のみなさんはあなた同様、うんざりの思いもしながら衆生済度、修行だと思って回答を書かれているんだと思います。あなたも回答僧になったつもりで相手を観察しながら、愚痴を聞いてみてあげてください。
べつの質問に先日書きましたが、貪瞋痴とは 欲張り すぐ怒る 本当は馬鹿 という意味だと書いて回答しました。
貪瞋痴よくばりおこりんぼうのうたりんなどと言われて気をとりなおす
●嫌なことを相手が言わなくなるような秘法を教えますから、実行してみてください。
向い合って椅子に座る時、相手をあなたの右前に座らせること。
あなたは向かい合ったら、左の手の親指を握って握りこぶしをつくりみぞおちに軽く当てて深呼吸をしてゆっくり吐き出します。こころのなかでオームとお唱えしましょう。
左前に座らせると愚痴をいっぱい聞かされます。
相手の要求はあなたの体の左側から入ってくるのです。
煩悩ポイントを分析してます
坊さんも、仕事柄結構な愚痴を聞くことあります(^^;)まぁ、疲れますよねぇー
ゆうづきさんは人から頼られる、優しい方ですね!
きっとこれからも沢山の方の悩みや愚痴を聞くことでしょう。
それで救われる人もたくさんいるはず。
少しでも、ストレスにならない聞き方をしたいですね。
まず知りたいのは、愚痴って字の通り、「愚か+痴か」言ってしまえばアホの極みってこと。
仏教では三毒のひとつで、煩悩まみれで正しいことを知らない証明ってもんです。
自分は、愚痴を聞きながら、この人の「煩悩ポイント」を分析します。
あ~、こうしたいのか。これを求めてるのかって。
分析してると色々見えてきて聞くのが面白くなりますよ(^_^)
ほとんどの人は、愚痴ればスッキリすることが多いのであまりアドバイスはしません。
正面から受け止めなくていいんですよ。
相槌くらいで。
毒の袋から、毒の空気がボエーって出てるのをまともに吸ってると毒に犯されますよ。
アドバイスは、それがなんとかなりそうなこと(自分次第)なら、人によってはします。
ならなさそうなこと(相手次第)なら、それは仕方ないことだねーってただ聞くだけです。
たまに、分析した煩悩ポイントを話したりはします。
仏教って煩悩をよーく分析してるんですよ。
それを知ってみると、これからの愚痴の受け止め方も変わりますよ!
「渇愛」「煩悩」「三毒」「餓鬼心」あたりでググってみて下さい。
きっと役に立つはずです。
ゆうづきさんが愚痴の聞き上手になれますように。合掌
愚痴を聞く!施しの心(布施)の修行です。
仏道を目指し悟りを求める時、捨てなければならないのが「愚痴」であり三つの毒の内の一つです。
その三毒は
1貪(とん)「貪り」淫欲、財欲、食欲、名誉欲等
2瞋(じん)「怒り」 自分を見失い怒りにまかせた状態
3痴(ち) 「愚かさ」 愚痴
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものである。
とされており元々人それぞれにあるモノで私達僧侶も愚痴は言ってはならないと分かってはいるのですが時折言ってしまい後に後悔してしまう事も多々あります。
これは毒ですから悪であり罪でもあるのですが人は元々持っています。だから出てしまうのです。
貴方は常に自分の考えを持っておられしっかりした性格の様に思われます。
人は自分と自分以外の人に無意識の比較を内行っています。
厳密に言えば僧侶を目指すのならいざ知らず、ましてや普通の方々があって当たり前なのです。
愚痴の意味を知る!そして聞く行為は、施しの心(布施)の修行です。
どうかこれからは、心していっぱい愚痴を聞いてみては、そうそう聞いてくれる人はいませんけれどこれもまた意味がある功徳なのです。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
恥ずかしながらこの回答で三毒という言葉を初めて知りました。早速色々調べてみています。
仏教にあまり詳しくはないのですが皆様のお話から、本当に人間の煩悩をよく観察しそれを克服しようとしている人間の生きる知恵のようにも感じました。
今まであまり仏様の教えに親しむ機会はなかったのですが、これを機に少し自分でも仏教に関して色々学んでみようと思います。
山内 宥厳様
ご回答ありがとうございます。
愚痴はアピールである、ということですがそれは本当にそう感じます。人は皆寂しいのですね、人にわかってほしい、自分を見てほしいという裏返しで愚痴を言ってしまうということにハッとさせられました。私もこの質問をしながら同じようなことを思っていたのかもしれません。
愚痴を聞くということも自分を高める一つの修行という発想は今までなかったので今度からは是非その心構えで挑みたいです。
たくさんの人の貪瞋痴を受け止めてきたからこそのアドバイスを自分のものにしていけたらと思います。
山内様の教えてくださった秘法、ぜひ実践したいです。
ありがとうございます。
日顕様
やさしいなど、温かなお言葉ありがとうございます。実際そうであるかは別として^^;
愚痴を聞きながら相手の煩悩を分析する、愚痴を聞く機会が多いからこそその聞き方にたどり着いたのでしょうか。面白いなあと素直に思ってしまいました。
毒を正面から吸うのではなく、なぜその毒が生成されているのかという原因の煩悩を探るということでただ聞くだけよりも自分にとっても相手にとっても人として成長する一歩になりそうで素晴らしいですね。是非真似させてください。
冒頭にも書きましたが、今回のお話から仏教は本当によく人の煩悩を観察しているのだと驚きました。今はネットで気軽に調べることができるので日顕様が教えてくださったキーワードを入り口として色々調べてみたいと思います。
ありがとうございます。
山口秀徹様
お坊様ですら時々はその毒におかされそうになるのですから、私と私の周りの方々のような普通の人間が愚痴を言ってしまうのは当たり前なのですね。
毒まで愛することはできませんがそれも受け入れることができるようになりたいです。
お布施という言葉は知っておりましたが施しの心として実践するとは考えたこともありませんでした。
また、それが功徳につながるというのも恥ずかしながらこのご回答を読んで初めて知りました。
今まで愚痴を聞く時は、聞いてあげてる、というように感じていました。自分の徳につながると思うとまた別の見方ができそうです。
ありがとうございます。