人と比べる必要はないのに比べてしまう
長らく悩み続けていることがあり、こちらを投稿させていただきます。
私は、人のいいところを見つけると
「ああ…羨ましいな…ズルいな…」
「いやズルいってなに。それ相応の努力をしてはるわけだし。」
とか
「ああ、あの人いつも周りに人がいていいな…」
「でも私は別にそうなるように努力しているわけでもないし…」
と、ひたすら堂々巡りをしてしまいます。
頭では、その人と自分は違う存在だから比べてもしょうがないと思っています。それに、見るたびそういった”モヤモヤ”が生まれる相手についてはもう合わないからさっさと離れた方がいいのだろうな…と思いつつ、大抵モヤモヤする相手はすごく魅力的で、すごく好きな人だからついついしがみついてしまいます(昔はそれでよく人間関係を破綻させていました。最近マシになりました)
結局のところ、そうやって考えてしまう、人を妬む自分が嫌いで仕方がないのです。
一体どうすればこういった気持ちを断ち切り、さっぱりとした目で優れた人間を見ることができるでしょうか。
他人の成功に嫉妬する 人に執着する 自分の思う通りに動かないとイライラする 情を大切にしたいのに効率を重視してしまう 自分以外誰も悪くないが、私にとってつらかった思い出がよくよみがえる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
救いは自身の外ではなく内側にある
比較することは良くない。これは、比較することができるという人間の素晴らしい機能があるわけですが、それを使って自らを苦しめるのは良くないということですよね。
苦しみの原因はご自身の「ご都合主義」です。ご自身の「都合がよいようにしたい」
という願いからくる我欲ですよね。
人をねたんでも仕方ない。比較しても意味がない。そこまでわかっていれば。そのご都合を立てているジブンを捨てる覚悟で思いを握らないようにするのです。
理想や都合はそれとして、思ったようにならないという真理をまずはわからなければいけません。明日休みにならないかなー。と思って御祈祷しても休みにはまずなりません。
思いは思い、マボロシです。理想の自分があったらそれに向けて努力する。努力した分だけ変化がある。それを他の人と比較していたらいつまでたっても満足できません。世界一になっても不満が残るのでしょう。
今のあなたの様子を丸ごと受け入れ、それが全てであることを明らかにするのです。これはけっして悲しいことではない。都合を立てなければ自由になれます。
自分自身の中に充たされた世界があります。
質問者からのお礼
お言葉を頂きましてありがとうございます。その後こちらを実践しようと奮闘していますが、なかなかうまくいくものではありませんね
ですが、こういった感情を抱いたときに立ち返ることのできる言葉として、胸の中に置くことができました。本当にありがとうございます。