何故こんな人生なのか
どうしてこんなにも人の運命には差があるのですか。
神様や仏様は人間をペットか何かだとお思いで、自分が可愛いと思う個体には幸せな運命を授けて、私みたいなのは嫌われてるから意地悪をされてクスクスわらっているのでしょうか。
運命が嫌いです。世界も嫌いです。私を追い詰めてこんな風に泣かせて、ずっと辛い人生を歩ませて、何をしたいのでしょう。
今は、神様も仏様もいなくて、偶然運の運びが悪い残念なくだらない人間という生物に過ぎないと感じます。
幸せな周りと、私を比べてつらい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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あなたの一存でいくらでも未来は変えられる
こんにちは。
あなたが、ご自身を「残念なくだらない人間」と卑下するには、あなたなりの人生の歴史と悲しみがあったからでしょう。そのご心情を察します。
ただ、「神様や仏様」「運命」という単語が有るからには、簡単に説明しておく必要があると感じました。
結論から言って、「仏様」は超自然的な「運命」を意のままに操るお方ではありません。そんなことは、お経に全く説かれていません。そもそも、「運命」という言葉が仏教にはありません。
故に、「自分が可愛いと思う個体には幸せな運命を授けて」、「嫌われてる」人に対して「意地悪をされてクスクスわらっている」というのは全くの誤解です。
人間は、自分の行いと予想のつかない縁(「運命」ではない)によって、今の自分があると考えます。だから、今からの行いによって成りたいものになれるのです。「運命」のような決められたレールをただなぞるだけ、という価値観とは全く別ものです。
あなたが、自分で未来を切り開きたいのならできます。
あなたの一存でいくらでも。
では。
運命の差は、それぞれにおける業の差
しめんそさま
文字通り、運命は、「命を運ぶ」となりますが、私たちのこの命、輪廻を運んでいる主体は、自分の意識(輪廻を司る微細な意識)と業(カルマ)となります。
仏様、神様は、どうすれば、良い命の運び、良い輪廻となるのかについて、私たちにアドバイスなさられているだけで、実際にそれを実践するかどうかは自分たち自身の問題となります。
しかし、この膨大に広い世界(娑婆世界・三千大千世界・一つの世界は宇宙が三千ほど集まってあると思っても)に人として生まれられることは、誠に稀有にて有り難いことになります。それなりの過去世からの善業、功徳がなければ難しい境涯であり、また仏法と出逢える機縁、学び修せられる機縁にも恵まれる(有暇具足)となれば、それはそれは更に有り難いこととなります。
とにかく、言ってみれば、運命の差は、それぞれにおける過去世からの業の差でもあります。
できるだけ善き業に努めていくことで、善き趣きへ向かう、仏教では、悟り・涅槃へと向けて取り組むことが大切となって参ります。
川口英俊 合掌