時が進むことが怖く、生きるのが辛いです。
中学生くらいから、時が進んでいくことが恐怖で生きるのが辛いと感じていました。
具体的には、少しづつ老いていく祖父母や両親、クラスや学校段階が変わるにつれて自然に疎遠になる人間関係などが辛いです。
大学生になりその恐怖はより増しています。両親や祖父母は、小学生の頃の記憶と比較して、歳をとったなと感じることも増えてきました。
将来的に、自分の子供や孫ができたり新たな出会いが生まれたりということも勿論分かっています。
しかし、自分は後輩よりも先輩が好きなタイプで、多分自分の子供よりも母や父、祖父母のことを想ってしまうと考えています。
1日1日を重ねることが怖いですし、未来が全く楽しみじゃありません。
とはいえ死ぬ勇気はなく、日々辛さが増すばかりです。
このような辛さにどう対処したら良いのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
変化のスピードに追い付け追い越せ
すべての物事が生まれたからには必ず変化して変化して消えてしまう。諸行無常ですね。
どんなに楽しい時も、どんなに好調な自分も、いつまでもそのままでいることはできません。良い状況が続いているように見えても、本当は、それに関わるみんなが、気を付けて、頑張って、良い状況を必死で保ち続けているのです。何かのバランスが崩れただけで、すぐに状況が変わってしまいます。
今のままで居続けることはできません。少し戻ってもう一度過去を味わうこともできません。常に、一方通行の、生まれては消え、生まれては消え、の変化「生」滅ばかりです。
失うことを恐れるばかりではなく、「では、次は何が起こるのだろう。生じるのだろう」と、出会うことにも注目してはいかがでしょうか。親がおそらく先に死ぬ。先輩が先に卒業する。その代わり、新たな出会いも次々に起こってきます。
何もかも絶え間なく変化するのだから、それに対応するのは大変な努力が必要です。しかし、どうせ何もかも変化生滅し続けているのですから、波に飲まれて流されるよりも、波に乗っちゃって、「さあ、次は何が来る?」とか「さあ、次は何をしようか?」と、こちらから変化を迎え撃ち、先に変化してみてはいかがでしょうか。
鋭い観察力で一瞬ごとの変化生滅をとらえ続けることが悟りに至る気づきですが、日常生活でも、生き生きしている人は、留まりたいという気持ちをあきらめて?忘れて?、「さあ、次は何だ?」と常に変化し続ける今、今、今を楽しんでいるように見えます。また、すぐに失われるものだからこそ、余計に今を誠実に生きているように見えます。一期一会ですね。
未来も過去もなく、あるのは今、この瞬間
おはようございます!
時が過ぎて、いつの日か自分が一人だけになってしまうのではないかというのが不安なのかなと感じました。
しかし諸行無常、時間は今この時も過ぎております。出会いは偶然かもしれませんが、別れは必然です。
生きとし生けるもの、生まれた瞬間から死へ向かって歩み始めます。
そして昨今はコロナ禍という未曾有の災禍にあり、満足に生きる事ができずに彼岸へ旅立たれる方々もおられます。
道元禅師は時間とは過去も未来もなく、今この時、この瞬間でしかないと説かれました。過去は遠くに思うけどそれを思っているのは今現在の自分であります。
1秒経つのは老いたとすれば、1秒先の未来に到達するという事、今をひたすらに丁寧に生き、それを持続する事が後悔のない未来を生きるという事ではないでしょうか。
親しい方々を心配するお気持ちは大変優しいと思いますが、どうかご自身も大切になさってください。
質問者からのお礼
回答頂きありがとうございました。
過去に思いを馳せてしまうことが多かったのですが、変えられない過去や、必然の未来を恐れるよりも行動で何かを変える勇気を持つことが大切なのかなと思いました。
非常に丁寧にお答え頂き、はげまされました。ありがとうございました。