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供養は届いているのでしょうか?

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昨年末、父をがんで亡くしました。
半年たった今でも会いたくて辛くて毎日毎日泣いています。
毎日、私と同じ食事を供え、お菓子や果物を供え、ろうそくや線香を着けて話しかけています。
お寺さんのお経、私のしている事、ろうそくの火、線香の匂い、など、生きているものがしていることは父に届いているのでしょうか?
時々、生きている者の気休め、遺族の自己満足ではないか、父には何にも届いていなくて、父は無になって、遠いどこかへ行ってしまったのではないか、と思います。
そして私が死んでも父には会えない気がします。
会えると周りは慰めてくれますが、私は死後の世界は無いと思っています。
供養として行っている宗教的な事は遺族への慰めのような気がするのですが、故人に届いているのでしょうか?
故人は考えたり、遺族を見ていて守ったりしてくれているのでしょうか?

2021年6月18日 6:05

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まず、問うているあなた自身の立場を明確にして下さい

こんにちは。

先ずは、お父様を亡くされたことにお悔やみ申し上げます。
過去のあなたの質問からも、あなたの悲しさが伝わってきます。

ただ、お悲しみの心情を踏まえた上で、敢えて私はあなたに考えて欲しいことがあります。それは、あなたが「死後の世界は無い」という結論から動かない限り、「供養」を問うても答えはでない、ということです。

なぜなら、「供養」は死後の故人を想定して行われるものです。
「死後の世界は無い」のに、死後の故人を想定する、ここが既に矛盾しています。

あなたは、悲しみの中にあるから、どのように考えたらいいのかが整理できていないのかもしれません。

しかし、どこまでも「死後の世界は無い」という非宗教の立場でいる限り、「供養として行っている宗教的な事は遺族への慰めのような気がする」という宙ぶらりんな気持ちから脱することはできません。非宗教の立場から純宗教的、仏教的な行いである「供養は届いているのでしょうか」と問うても答えは決して出ません。

現在の自分の立場を維持するか、仏教に舵を切るのか。
後者であれば、「供養は届いている」という問いには自明のごとく答えが出ます。
まず、問うているあなた自身の立場を明確にして下さい。

2021年6月18日 7:51
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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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俱会一処

大切なお父さまが亡くなられ
本当に悲しいお辛いことと思います。

仏教では
亡くなった人は成仏すると説きます。
お父さまは仏さまに成られたのです。

また阿弥陀経では
「俱会一処(同じところで供に会う)」
とあります。
南無阿弥陀仏と称えれば
同じお浄土に往生し
先に成仏された方々と
再会できるとのことです。

あなたの想いは
お父さまに届いているでしょう。
そうイメージしませんか。

2021年6月18日 10:40
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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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『死後はどうなるの?』

というスマナサーラ長老の本が角川文庫から出ています。六道輪廻とそこからの解脱についてです。死後の世界があるかどうかがなんとなくわかると思います。仏教的に言えば、「死後」ではなく、いつでも自分が今生まれて生きている「今の世界」に生まれ変わるということになるでしょうか。
 供養が届くかどうかについては、拙著『功徳はなぜ廻向できるの?』国書刊行会があります。買うのが嫌なら、誓教寺ホームページから施本『供養ってなに?』がタダで読めます。

2021年6月18日 7:40
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初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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質問者からのお礼

生きている者が仏教を信仰してこそ供養と言うものが成り立ち、生きている者が無宗教なら成り立たない。
やはり、生きている者次第と言う事だと理解しました。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ