一番大事な事
お恥ずかしいのですが、私は実家暮らしで転職を繰り返しています。先月転職したばかりです。
今度こそ家族の為に、両親に恩返しする為に頑張ると決めたばかりですが、摂食障害等で心身共に辛い毎日です。
特に精神的に辛いですが、家族の為に自分を犠牲にして頑張るべきだとは思いますが、考えれば考える程に辛く何を大事にすべきか分からなくなります。
常識的に自分より家族や周りを一番に大事にすべきだとは思いますが、それが分からない私は間違っているのでしょうか?
稚拙で愚問で大変申し訳ございませんが何卒宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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傾きすぎたバランスを修正して
こんにちは。
「摂食障害等で心身共に辛い毎日」とのことで、先ずはお体お大事になさって下さい。
あなたは、次のように問うています。
「常識的に自分より家族や周りを一番に大事にすべきだとは思いますが、それが分からない私は間違っているのでしょうか」と。いや、あなたは「自分より家族や周りを一番に大事にすべき」という道理をとても良くわかっています。むしろ、分かりすぎているから問題なのではないでしょうか。
「家族の為に自分を犠牲にして頑張るべき」、というお気持ちは素晴らしいものです。自己中心で家族のことは全く考えないより数段良いです。しかし、あなたは自分と家族のバランスが極端に家族に傾きすぎている。それは家族が95で自分が5ぐらいの割合ではないでしょうか。
それは、あなたが「摂食障害等で心身共に辛い毎日」にも関わらず、歯を食いしばって「家族の為に自分を犠牲にして頑張るべき」になるべきと述べていることからそう思うのです。
だから、あなたはその傾きすぎたバランスを修正して、自分50、家族50にするために思いっきりわがままになってみましょう。それは決して悪い意味ではなく、家族がどう考えているか、家族に何が出来るかではなく、自分がどう考えるか、どうしたいか、自分にどんなご褒美が出来るかと考える、という意味です。
「摂食障害等」はすでにお医者さんと相談しながら向き合われているのでしょう。そのお医者さんのアドバイスに沿いながら、なおかつもっと自分を自分として感じていくのです。
あなたは、短い文章の中で「頑張るべき」「大事にすべき」と複数回「べき」を用いています。「べき」とは、義務であり、理想、正論に合わせる必要性を論じる表現です。義務と必要性の前に人間の心は抑え込まれ続けます。思考の中に「べき」が出てきたら、これを感じ取って一旦お休みにする。そういった、自分を先ず開放することはご自身の問題を少しでも緩和できるのではないかと考えます。
「お恥ずかしい」と恐縮する必要もありません。
あなたは、あなたなりのスタート位置から始めればいいだけのことです。自分の現実から丁寧に向き合っていきましょう。
お大事に。
脳を使いすぎず
常識や世間体のことは忘れましょう。
今のあなたのままでよいのです。仏さまはありのままで充分足りている。不足なんてないのだと赦してくださっております。
あなたの、恩返ししたいという気持ちは大変尊いです。しかし、今は無理をするときではないですよ。
今は無理をせず、地に足付けて頑張らず、肩の力を抜いて、目の前のことをしっかりこなすことです。食事の時は食事。トイレはトイレ。お風呂はお風呂。いつも目の前のことを行じます。
考え方や思い、他人の考え、他人の目などは相手にする必要ありません。すべて妄想です。現実ではありませんから。
事実、満ち足りた目の前のことをしっかり行じてください。
質問者からのお礼
有難いお言葉頂きありがとうございます。今も辛く今すぐ死にたいです。