何もする気力がない
大学院を受けるつもりでここまで勉強してきました。
もともと希望の研究室には入れず、苦手分野を扱う研究室に配属されてしまったのですが、今までそれなりに頑張ってきました。研究室が成長できる環境であること、研究に面白さを感じたことから、大学院に進学して、専門を極めようと思いました。
しかし、ここ最近何もする気力が起きず、家に帰ったらボーっとスマホを見て時間を無駄にしてしまいます。
また、勉強も嫌いになってしまいましたし、かつて面白さを感じていた研究にも興味が湧かなくなってしまいました。
新しいことを学び、変化し続けなければこの社会では生きていけません。
もはや、他人に迷惑をかける前に死んだ方が良いのではないかという考えが頭から離れません。
大学院の試験の日が近づいてきて、焦っているのに、体も頭も思うように動かず、そんな自分が嫌いで早くこの世から消え去ってしまいたいです。
また、自分には「優等生らしく振る舞おう」という癖があることに気づきました。
勉強する姿勢や大学院に進学したいという気持ちも「優等生でありたい」という癖に基づいたものに由来しているのかもしれません。
でも、もうこの生き方に限界がきているように思います。しかし、これ以外の生き方・モチベーションの保ち方を私は知りません。
勉強嫌い、やる気もない、生き方がわからない、というような状態でどうやって生きていけば良いのでしょうか。それとも早くこの世から消え去るべきなのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心が疲れているときは身体から元気になりましょう!
ご相談の答えはちゃんと御自身で出していらっしゃるではないですか。
…『新しいことを学び、変化し続けなければこの社会では生きていけません』
ならば、生きていけるようにあなた御自身が変化しましょうよ。固定観念捨てましょうよ。まさに今日本が頑張っている「柔道」(!)を歩みましょうよ。「柔よく剛を制す」…柔軟なものこそが、そのしなやかさによって、剛なるものを制することが出来るのです。
あなたは今御自身の思いに凝り固まっています。「勉強嫌い、やる気もない、生き方がわからない」…そんな思いに凝り固まっていますね。大体それはあなたの本心ですか。『何かそんな気分…』くらいのお気持ちではありませんか。
柔軟心というものがあります。「固定観念や先入観、思い込みといったものにとらわれない心理状態」を意味する禅宗の言葉だそうです。
今のあなたの堅く凝り固まった御心、まずは捨てましょうよ。
本当に大学院に行きたいのか、実は何か他にやりたいことがあるんじゃないか、かつて追った夢があるんじゃないか…御自身に優しく柔らかに問うてみて下さい。
無ければ…探しましょう。真っさらな心で、ちょっと前の御自身を思い出して…。
今、あなたは大学院試験勉強に必死に取り組みすぎた為、心が疲れているように感じます。
だったら、その疲労回復が先決です。
その為にはじっとしていることは避けて、何かをなさって下さい。
少しでも興味のある何処かに出掛ける、今の勉強とは全く違うジャンルの本を読む、出来れば人に会う、話を聞く…等 いろいろとなさってみて下さい。
心身は一つです。繋がっています…心を元気にするために、まず身体を動かし元気になりましょう。
大丈夫です。あなたには長い人生の時間と、無限の可能性があります。
そのことを見つめ、明かし、誉め、そして人生をしっかりと生き抜かせて下さる存在を仏様と申します。その仏様が今あなたに御一緒下さっています…。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
あれから、変化しながらもなんとか生きてます。