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おどおどしてしまうのを治したい

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有り難し有り難し 21

上司におどおどするのを治すように言われています。

テキパキ、元気いっぱい、自信満々なみんなを引っ張るリーダー(リーダーシップ)を目指したこともありましたが、無理しすぎて疲れて挫折しました。

私はおとなしめで、不器用、テンパりやすく、自信がなく、そして他人を陰で支えるのが好きなタイプです。

それを補うために必死に勉強して、資格を取ったり、通信講座をしたりしています。

上司には実力も経験もあるんだから、自信を持っておどおどするのを治してと言われます。

個人的にはおどおどしているつもりはないのですが、そう見えてしまうようです。

よくわかりませんが、自信がとにかくありません。

これは性格かなとも思います。

なのでおどおどするのだと思っています。
 
なにより、上司におどおどしないでと言われるのが辛いです。

どうしたら、おどおどするのを治せるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その場で答えを出さない

おどおどするときって、焦っているときや、目の前の出来事に思考スピードが追いつかないときではないでしょうか。
私もそういうことはよくあります。
まずは、その場で判断・即答しないで良いと考えてみてはどうでしょうか。
「ちょっと今は判断できないので、後で落ち着いて考えますね」と、堂々と言うのです。
自分が最前線のプレイヤーであったとしても、監督のようにドッシリ構えて眺めておきましょう。
そうして、良いアイデアが浮かぶのを待つのです。
また、作業をするときには、二つ先の作業予定を考えながら動きましょう。
目の前の作業を速くやりたい欲を抑えて、たとえ作業スピードが落ちてでも二つ先の計画を考えることを優先するくらいの気持ちで仕事しましょう。
その方が、トータルの作業時間は節約できる可能性もあります。
速さより早さ、早さより効率を考えましょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

おどおどしながらでもいい結果は出せます

いきなりおどおどやきょときょとは治せませんが、脳が「なるほどこのようなものか」と認識して全体像を把握すればおどおどすることもキョトることもすぐ瞬時になくなります。そのためにも自分が「よくわからん」ということをなくす。わからないから人は恐怖や不安が生ずるだけの事。
うちには目の見えないドンという犬がいました。
生まれながらに目が開かず散歩の際にも門の一段高くなっているところにいつも鼻先をぶつけてしまって可哀そうでした。
ドンは雷が鳴ると何が起こっているかわからんもんですから、ガタガタブルブル震えるのでした。母が大丈夫だよ、大丈夫だよと安心させてあげていました。寒い時は家の中に入れてあげるとうれションをしたりで、若かった私はヒーと思いましたが、亡くなってしまいその思い出も今では誰かの悲しみや苦しみを導く作用になってくれているのだと思います。申し上げたいことは、おどおどを無くすということではなく、人前でしゃべる際でも脳がその場所がどういう所なのかをわかれば自然に緊張が無くなるように「よく見ろ」「よく知れ」「よく状況を把握せよ」ということです。実際にそうではないのに、過剰に心配しているところがあるでしょう。
それは事実以上の自分の妄想です。大丈夫です、刺された、殴られた、市中引き回しにされたなんてこともありませんでした。なにかあなたにとって失いたくないことや最悪の事態を想定しているところがあるのかもしれません。
ダイジョウブです。それでも平気でいる人がいるのですから何とかなるのです。
失う前にあれこれ考えすぎて過剰に心配する必要はありません。
それよりもなによりも、毎日仕事仕事と言ってもおおよそやることは決まっているはずでしょう。だから、何をやるにしても何に向かうにしても自分の恐怖や不安やおどおど、きょときょとを無くす最短ルートはそのことに関して自分がこわくならなくなるまで熟知するということです。
お釈迦様や覚者、如来の十の呼び名の一つに世間解という呼び名があります。
世の中のことをよく知る人と言う意味でもありますが、まず何より自分自身を正しく知ることです。心の道理を正しく知ることです。恐怖のメカニズムも正しく知ることです。やるべきことの具体停な内容を正しく知ることです。
わからないからこわいのですから、わかることでおどおどもすぐにおさまるでしょう。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

コメントをいただきありがとうございました。
2つ先を読みつつ、自分自身のことを見つめ治していこうと思います

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ