自己嫌悪がとまらないです…。
初めて相談させていただきます。
わたしは昔ついた嘘や自分の行いに
とても後悔しています。
もしかしたらあの時の嘘が、行いが
今も人に迷惑を掛けているのではないかと
心配になってしまいます。
(詳細はプロフィールに書かせていただいてます)
これ以上人には迷惑を掛けずに
生きていきたい、善い行いをしたいと
考えていますが
ずっと自責の念で頭がいっぱいで
そればっかりになってしまいます。
わたしはここからどのように
生きたらいいのでしょうか。
拙い文章ですが
アドバイスいただきたいです。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自責の念を持ち続けても意味がありません。
睡蓮さんのお悩みお察し申し上げます。
随分とご自身の過去の行いで反省し、自己嫌悪になっておられるようですが、まずは、ここで一旦、その事から断ち切りましょう。
過去の出来事を冷静に振り返ることができたのはいいことです。
大抵は順調に行っている時や、過去を顧みる機会がない時は、そのまま走り続けています。それがいいとか悪いとかではありませんが、それなりの結果は出てくるでしょう。
今回、睡蓮さんは、一度立ち止まり過去の出来事に対して、反省をし、生き方を変えようと思ったのですから、それでいいと思います。
過去の出来事は変えることはできませんが、反省や懺悔することはできます。そして二度と同じことはしないと誓うしかありません。
又、自責の念、すなわち罪悪感を持ち続けることも意味がありません。
いくら自分を責めても意味がないと思ってください。そこには何の発展もなければ解決もないのです。
それよりは、ここでしっかりと反省したなら、これからはみんなに迷惑を掛けずに生きていこう。みんなが楽しくなるように振る舞っていこう。と思えばいいのです。
これからの人生が大いに楽しくなるように考えることです。
身口意の三業、六根を清浄なるものに。
人間の行いには大きく分けて3つしかありません。
身の行い、口(ことば)の行い、心の行い。
シンプルに考えると、言葉と行動を統制する心を納めればよいのです。
その為に坐禅があり、仏道修行があります。
また、人間の感覚は6つに分けられます。
般若心経にも説かれる眼耳鼻舌身意。
すなわち目と耳と鼻と舌と体と心です。
この六つの感覚器官の行動を丁寧にする。
具体的にしてみるとわかりやすいものです。
目線、耳を傾ける、嗅ぐ、味わう、話す、行動する、思う。
これを他人目線で考えてみましょう。
眼、どういう様相でいるか、ファッション、表情、態度。
耳、どういうトーン、口調、声色、テンションで言葉を話すか。
鼻、香り、香水、雰囲気。
舌、相手に話しやすい態度であるかどうか。おいしいものを提供できるか。
身、相手に心地よく過ごしていただくような環境的な配慮ができているか。
心、相手に不快のないような接し方ができているかどうか。
これがお店であれば、店内の環境づくりに役立てることができるでしょう。
眼 対象とするお客さんにとって好感を持たれる作り
耳 店内BGM 静寂さ
鼻 お店の空気 香り
舌 お出しする飲食物の品質
身 サービス 快適さ
心 満足していただけるような心遣い オモテナシ
このように人間の行いというものを身と口と心の三業として単純に考えて、言葉や行動、心の在り方を清浄なるものにしていこうと志すことです。
また、六感、六根、六門とも申しますが、目と耳と鼻と舌と身と心のインプット・アウトプットを工夫する。
自分自身でもこれが良いと感じることはあるでしょう。
他人さまも同じです。
また仏教では布施、愛語、利行、同事というお互いに心が安楽になる行動の法則を説いております。
布施 ほどこし 相手のためになることを提供する姿勢
愛語 相手を傷つけることなく優しい言葉を発する
利行 自他ともに利益される善行をつとめる
同事 立場や条件や好き嫌いなく純粋な善意で自他の隔てなしに相手のことも我が事のように助かる行為をする
何をやっていいか、どうすればいいのかということが具体的にハッキリすると、人間は手ごたえを感じられるようになるものです。
あなた自身を高めるためにも仏の教えを取り入れてみてください。
質問者からのお礼
有難いお言葉をいただき
誠にありがとうございます。
繰り返し読ませていただき、その度に
心が軽くなっていく気分です。
しっかり自分と向き合い、いま側にいてくれる人達を大切にしていきます。
本当にありがとうございました。
丹下様
お言葉を掛けていただき
誠にありがとうございます。
おっしゃってくださったことを
胸に善行を心掛けていきます。