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障碍者は お坊さんになれませんか?

回答数回答 5
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私の息子は 18歳  今年高校を卒業し  京都 聖護院様にて
得度式を受け  僧侶になりました
しかし  障害を理由に  受け入れてくれる  お寺が見つかりません
何とか 私が元気な内に  一人でも 生きていけるように したいのですが


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夫(=住職)は一般家庭出身の視覚障碍者です。

まずお尋ねします。仏教の修行をしたい、僧侶になりたいというのは、息子さん本人のご意思ですか?であれば、答えは簡単です。
「放っておいてください。手助けは必要ありません」。

本気でやりたいのであれば、前例がなかろうが、親が泣いて止めようが、隠れてでもやります。どんな細かい情報も集めるし、これはと思う人には会いに行きます。多少の困難、周囲の冷たい声にも揺れません。
うちのお寺にも「僧侶になるには」「お寺を開くには」というご相談がよくあります。第一報がご本人からではなく親御さんからですと、正直あまり親身になろうとは思えません。逆にマナーもなっていないような若い子が、荒削りでも、目をキラキラさせ自分の言葉で理想を語ってくれると嬉しくなります。こんな素敵な子に僧侶になってもらえたら社会にとってどれほど良いかと思うので、できる限りの情報を伝えますし人も紹介します。結局のところ周囲を動かすのは、その人の熱意、本気度です。志が本物であれば、理解者協力者は必ずついてきます。親があれこれ先回りして手助けしては、その貴重な機会を失わせかねません。18歳、もう一人前の男性でしょう。挫折も赤っ恥も財産。息子さんの人生、選択し切り開くのはご本人です。

夫はお寺と全く縁のない一般家庭出身です。先天性疾患で外見上も特徴がある視覚障碍者です。高校卒業後僧侶の学校に進学し、本山別院で勤務した後、自分のお寺を作りました。「どうやって食べていくんだ」と陰で笑われ、奇異の目で見られもしましたが、全く気になりませんでした。みんなに足を運んでもらえるお寺にしたい。その目標に向かって活動する毎日が楽しくて、必死で、夢中でした。

困難も含めて楽しめる。「自分ならできる」という根拠のない明るさ、自信を持ち続けられる。それくらいの気概がないのなら、やめたほうがいいです。厳しいようですが、先例のない新しいことをする、というのはそういうことです。

ここからは息子さんにお尋ねしたいです。
「なぜ、僧侶になりたいのですか」
「数ある宗派の中から、本山修験宗を選ばれたのはなぜですか」
「仏教の勉強は、在家でもできます。年をとってからでもできます。あなたの夢は、いま、僧侶にならなければ決して叶えられないものですか」
「その目標を叶えるため、今までに何をしましたか。何人に会いに行きましたか。“きょう”何をしましたか」。

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青森県生まれ、宮城県在住。ミャンマー語が好き。子ども3人。 お寺の生まれ...

他宗のことは解りませんが・・・

 息子さんは非常に残念でなりません。ワシからは頑張ってとしか言えません。
 ただ、ワシは他宗のことは解りませんが、割り切って欲しいことがあります。ワシはいわゆるお寺の子として生まれました。それなりに得度をし、修行もしましたが、肝心のお寺の仕事が無い。あれレのレ?と思いました。調べてみるとほとんどのお寺は檀信徒さんが少ないし、お寺の経営もままならない。住職でなければ、副住職という名のニート。もし、あなたが息子さんが僧侶になったことを就職としているならちょっとした勘違いかもしれません。僧侶は職業でなく生き方です。佛道を極めた者と認識していただきたい。
 結局、ワシは兼業僧侶となりました。今は、紆余曲折を得て、介護の仕事をし、今年介護福祉士の資格を取りました。どこか、仕事の態度とか僧侶の行いが入っているような気がします。
 得度してすぐには居場所は見つからないかもしれません。在家出身の方には風当たりが強い時期もありますが、六波羅密の精神を忘れずに僧侶を務めてください。ワシからはこのことをエールと替えさせて頂きます。(失礼しました。)

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おきもち

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ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。

すこし確認を

かこさん、こんにちは。

お子さんの高校のご卒業、おめでとうございます。
ご子息は、障がいを持ってらっしゃるのですね。
ご子息が一人でも生きていけるように、と心配する親御さんのお気持ちを強く感じます。

そして、ご子息は「得度式を受けて、僧侶になった」とのこと。

ひとつ、伺いたいことがございます。
「かこさんの思う“息子がなった僧侶としての地位”」とはなんでしょうか。
一人前の僧侶、たとえば・・・どこか大寺の寺務員としてやっていけるクラス。法要に随喜(一緒に出席して、お経をよむetc..)のことを考えてらっしゃるのでしょうか。

なぜここに注目したかというと、「得度式を受けて、僧侶になる」だけでは、半人前にも届かない可能性があるからです。
障がい云々の前に、これでもう“見習い僧侶”として大丈夫・・・よりも前の段階に、ご子息のがいらっしゃる可能性を思いました。

ご質問にあった場所のウェブサイトを拝見しましたが、どうでしょうか。年中行事・講習会など様々あるようです。そちらに参列されることをおすすめいたします。

そして、違っていたらごめんなさい。“見習い僧侶レベル”ということでしたら・・・得度式を受けることを行っているのですから、本山や得度されたお寺さんにご相談されることをおすすめいたします。

かこさんにこのようなご質問をいただけたことは、我々僧侶にとって大変有り難いことです。感謝いたします。
そしてご子息が仏道を志すという御心をお持ちでらっしゃること。仏門の同志として励みになります。一緒にがんばりましょう。合掌

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「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

祈り続けることを大事にして下さい

聖護院ということは、息子さんは得度式だけではなく、加行、伝法灌頂もお済みになって阿闍梨位を頂いているのですか?

もし、得度式だけだと法名を頂いただけの段階ですのでお寺に入るのは大変難しいです。

お寺にはいるとすると、僧侶ではなく「見習い」という事になります。

「見習い」が入れるのは大きなお寺だと思います。一般のお寺では見習いをおく程の余裕があるお寺は少ないかもしれません。
そして大きなお寺が「見習い」をおく場合は、かなりな重労働が課せられると思います。
それが出来ないと置いてもらう事は難しいでしょう。

ご子息のお師匠さまは何と仰っておられるのでしょうか?

一般の家から出家した場合、ご子息が全ての修行が終わって僧侶となった場合もお寺に入れると言う補償は全く有りません。

仏教のお坊さんは仏教の教えを元に一生修行して行く人の事だと私は思っています。
何かの会社に入って生活を保障してもらうことではないのです。

今はお寺の跡継の僧侶や たまたま役僧になれた僧侶がお寺にいますが、
お寺にいるひとだけが僧侶とはかぎりません。

僧侶になりながらも、お寺に入れずに一般の仕事をしながら修行を続けていく人もいるのです。

もし、僧侶となったのであれば、まず自分の生活を考える前に人のために祈る事を優先してはいかがでしょうか?

その心が神仏に必ずや届き、相談に訪れる人や法事や祈願祈祷などをお願いに来られる信者さんが出来て来るやも知れません。
そういった信者さんのために祈り続ける事でいつのまにか生活も成り立つようになる事もあるかもしれません。

僧侶になったのであれば、肝を据えてとにかく祈るように…と私は思います。
祈り、祈り、祈り続けてほしいです。

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

ハンデを乗り越えて・・

かこ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

拙生、以前に精神障害者・通所授産施設の社会福祉法人の理事長を勤めさせて頂いたことがございます。

それだけに利用者の皆様のおかれている現状、現実につきましては、ある程度理解をさせて頂いております。誠に頂ける社会訓練の作業としての受注内容や工賃などの待遇の改善もなかなか難しい中で、社会復帰、就職となりましても本当に厳しい現実・・そのあまりの厳しさ、難しさに対して、拙生は無力さ、申し訳なさを痛感することが多々でございました・・

誠に抱えておられる障がいの種類や度合いによっても色々とケース・バイ・ケースになるかとは存じますが、何とか修行の受け入れを行って頂けるお寺が見つかりますと良いのですが・・健常者と同様の修行が難しい場合、僧堂においては、居士(在家出家修行者)として受け入れて頂けるところや安居会という短期間集中しての修行を数年繰り返す制度を設けているところもありますので、僧籍の取得可能の有無も含めて、(ご宗旨は、京都・聖護院様で得度とありますので、恐らくは本山修験宗になるのではないかとは存じますが)お確かめになられましたらと存じております。

また、ご本人の意思における僧侶への志が誠に熱くございましたら、他宗での僧籍取得の方法も検討なさられると良いのではないかと存じます。是非、各宗派の本山や宗務庁にお問い合わせもしてみて下さいませ。ハンデがある分、厳しいことも色々とあるかもしれませんが、ハンデを乗り越えられて、確かなる仏法興隆、衆生済度を果たされる僧侶と御成りを頂けましたら、本当に有り難く、尊いことであるかと存じております。

また、「障がい」に関する拙生の考え方につきましては、これまでにも下記の各問いにても述べさせて頂いておりますのでご参照下さいませ。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/tag/障がい

『・・また、「○○障がい」・「○○症」・「○○依存症」といったものに、変にマイナスに囚われてしまわれずに、私たちそれぞれにおいてのより良い幸せのためには、それぞれの心をより良くに変容させていくことが必要となります。・・』

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

さっそく ご回答 ありがとうございます
就職とは考えていません
私が 介護事業所を経営しているので
将来  兄と二人で お寺と介護事業を
やってくれたら 安心です
得度式だけ受けて  修行をする場所が無いのです
引き受けてくれる お寺がないのです
それも  障碍者だからという理由です
宗教って  普通の人だけのものなんですね

ご回答ありがとうございます
とても 温かいお言葉で 嬉しかったです
  私も  得度式だけを受けて 一人前の
お坊さんとは 思っていません
これから  長い月日をかけて
唯一無二の人になってほしいです
世の中が かなり 進んできたので
暮らしやすくはなりましたが まだまだ
偏見や差別は 無くならないのが
現状です
障碍者には 卒業後 施設に入るか
福祉作業所に行くかしか 選択はありません
就職できるのは かなり優秀なお子さんです
でも  心のきれいなこの子達に
宗教という道も  あるのではないか
と思い  まず 得度式を 受けました
しかしながら  その後の 受け入れがないのです
地道に  探します
いつか  本当の意味で お坊さんになれた暁には
声を 掛けてくださいね
笹生 類  といいます

陽岳寺  向井 真人様
お礼を書く場所が 
違ったかもしれません
偶然  このサイトを見つけ
数あるお寺の中から
一番 最初に ホームページを
見たのが  
観音寺様と 陽岳寺様でした
そのお二人から
お返事頂いて  不思議な気持ちです
是非  会いに行きたいと思います

「出家・得度・僧侶になりたい」問答一覧

はじめまして

はじめまして、ぽん太と申します。 家族に病人がたえず悩んでますが、毎日仏壇などで般若心経など他の経典も 読んでます。僕は、学生時代は一般在家でしたが、道元禅師などの教えにすごく興味があり、もちろんお釈迦様も、仏門に入ろうと永平寺などへ出家を考えた時もありました。40すぎですが、仏門に入るのはもう困難でしょうか。 自分はよくないいじめとかによくあい死のうとも何回も思って首を吊りかけた時もありまぶした、今でもありますが、仏教のことを思うと気が少しは変わります。それと僕は霊感は無いほうですが、頭の中などでは何かが見えたり、聞こえたり、光見たいのが見えたりもしてます。 いろんな宗教宗派をもっても大丈夫なんでしょうか。今では新興宗教とかもあるみたいですが、 家族の病気がちを考え仏教の勉強をたくさんし、仏 菩薩様などにいろいろお経を唱えることで気持ちを和らげていました。 お経には深い意味があることもわかってました。 お坊さんたちに深い教えをいただけたら嬉しく思います。 お経などにも出てくる仏教の苦の意味を知りたいです。 お坊さんたちと交流出来たらいいなと思ってます。 よろしくお願いします。仏教をさらに学んでいく所存です。

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出家の是非について

長文で失礼します。 下記のような問いを持っており、その考究(あるいは超克)に残る人生を費やしたいと考えております。 現在そのための生活様式を模索中で、出家もひとつの選択肢として考えております。   早速質問ですが、 ①下記のような問いは、仏教の中で取り組むに値するのでしょうか。 ②考究にあたり、仏教はもちろんなのですが、その他の学問の助けも借りたいと思っています。出家した場合それは可能でしょうか。   ご回答いただければ幸いです。   ーーーーー   私は相互作用の世界の中に生きている。それはすなわち、常に他者に対して影響を及ぼしている、ということ。しかし、そのような在り方は自然・当然なこととして無視されてよいものではない、と私には思われる。   私の眼前には生きるか死ぬかの選択肢が平等に与えられており、自覚的にしろ無自覚的にしろ、前者を選んで生きている。裏を返せば、私には自死という、他者への影響を自発的に止められる能力が備わっている。   一般的に生きることは尊いとされ、自身の幸福の追求が当然の権利としてみなされている。しかし私が生きるということには、他者の生や意志を損ねる、負の影響が必ず伴う。   そうであれば、生とは害悪ではなかろうか? その害悪性を無視してまで、この生は礼賛されるべきものなのか? 私はただ、生きたいという自分本意な欲求に盲目的に従っているだけではないのか? 生と死を選択肢として与えられている私が、なお自分を生かし続けるのはなぜなのか? 私が生きようとすることを、私はいかにして是認できるのだろうか?

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師僧について

自分は仕事でもプライベートいつも選ばれない人間だと感じていて、今までそれを周りのせいにしてきました。周りを恨んできました。でも最近「それは違う、それは自分のせいだ」と思うようになり、それもまた苦しく数年間悩み続けてきました。その結果、仏教を学びたいと思いある寺院を訪問しました。 そこの寺院は家からはかなり遠いのですが、住職の日々のブログの文章に感銘を受けて訪れました。仏教の制度についての勉強をあまりしておらず、未だよく分かっていない部分もありますが、一度目の訪問のときに在家得度をして修行をすることになりました。得度式までに2回訪問し、お経や念珠について教えていただき、衣の購入と着用の仕方などを教えていただきました。 しかし、実際に師僧にお会いしてみると文章の印象とはかなり違っていて戸惑いを感じました。他の修行僧の悪口ばかり言い、〇〇さんという人がいるけどあの人は声が小さいんだよね覇気もないしありゃダメだとか、××さんという人がいるけどあの人は覚えが悪いんだよねいつまで経っても覚えないとか、事あるごとにこぼします。 更に、他の修行僧や私の個人的なこと(懺悔でお話するような超個人的な内容)を「この人はこういうことで悩んで僧を目指してる」などと大声でみんなの前で言われたのにも驚きました。一緒に修行をするので、そういいったことは公にして共有するものなのでしょうか。 そしていつも尼僧たちにばかり声を掛け師僧の両脇に座らせ、頂きものの菓子を尼僧たちにだけ分け与えていて、これも驚きました。お坊さんだから清廉だとは思いませんが、イメージしていた姿と全く違い戸惑いを感じています。 自分のような考え方は偏っていて堅苦しいですか?会社でも部下のことを重箱の隅をつつくように悪い部分ばかり見て、一方で女性ばかり可愛がる上司もいますが、その上司がどんなに仕事ができても仕事のやり方は参考にしますが、尊敬はできません。 でも師僧には尊敬を求めたい。尊敬できる師の下で修業したい。こんな考え方は青臭いでしょうか。会社と同じように、修行も仕事も同じで、師僧から技術を教わればよしとするものでしょうか。もう得度式も終わってしまい、実際の修行に入っていますが、もやもやとした迷いが生じてしまい悩んでいます。

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得度に関して

大学院に通う22歳です。 将来、浄土真宗本願寺派で得度させていただきたいと考えています。 しかしながら、実家は寺院ではなく、無宗教で所属寺院もなければ、現時点で私は門徒でも無いため、どのように立ち回ればよいのか悩んでいます。 近隣に本派の寺院はあるのですが、学生の身分で足を運ぶのはすこし勇気がいることで、なかなか難しいのが現状です。 もともと宗門大学で4年間仏教について学び、より深く学びたいと思ったため、今年4月からは同大学の大学院に進学しました。 得度したいと思うに至ったのは、僧侶として生計を立てていきたいという訳ではなく、この大学で4年間過ごしてきたなかで様々なご縁を頂き自分の中で信仰心が芽生えたこと、またもっと深く知りたい学びたいと思ったこと、そして自らが仏教をこの先も研究していく過程においてやはり実践者として知見を心得ることは重要になるのではないかと考えたからでした。 正直なところ、このような動機で得度したいと言って良いのか、お門違いで身のほど知らずなのではないか、と考えることもあります。この点についてもご意見を賜りたいと共に、こういった場合はどのように動き、ご縁をいただくのが良いのか、ご助言をいただきたく思っています。 何卒よろしくお願い申し上げます。

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僧侶になりたいが別の職も目指したい

有難き法縁を最近恵まれて、僧侶になることを考えている者です。仏道に生きることは自分にとって良いだけでなく、それを世に広めることは非常に大きな意味があると思っています。教行信証を読んで、これは広めるべき教えだと深い感慨を得ました。寺族でない者が僧侶になる道もいろいろと調べました。 しかし、私が今まで積んできた学業を捨てて僧侶になることは本当に社会にとって最善なのか、と思いました。(現在、米国の大学に在籍し工学を勉強しています。ちなみに浄土真宗の寺に毎週通うようになったのもこの地です。) もちろん、そこには自分が工学をやりつつ仏教もやるという煩悩もありますが、私がここまで工学の勉学を多額の費用が掛かるにもかかわらず進められてきたのも立派なご縁で様々な人のおかげです。技術者になれば社会に貢献できるとも思います。寺族でない者が別の職業に就きつつ僧侶になり寺を開くことは現実的でしょうか。 親鸞聖人は非僧非俗といいました。関東の農民とともに農作業にも励んだと聞いています。今日でも、別の職業に就き世の荒波に揉まれつつ、僧侶として(例えば、毎週日曜日に自宅をお寺にするなど)人々とともに仏道を歩むのは意味があることだと思うのです。 休日を持たない覚悟はあります。また、通常の寺という形に囚われず、布教所のように小さな形でも仏法を広められるのなら良いと思います。しかし、寺族でない人が別の職を持ちつつ寺を開くケースを拝見したことがありません。実際のところどうなのでしょうか。

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師僧との関係と僧籍について。

この分野には詳しくありませんので、恥ずかしながら諸大徳にご相談致します。 私の師僧(60代独身)についてなのですが、元々精神的な問題を抱えている人で、感情が高ぶると御葬儀の場やお法事の席でも大声で叫んだり、真言宗の住職でありながら真言宗や弘法大師を否定してカルト宗教に入ったり、お檀家さんや周辺とも何かとトラブルが絶えない人なのですが、数年前師僧の母親が怪我で入院した頃からさらに言動がおかしくなり、私にも「これからは毎日8時間無料で留守番しに来なさい。」等々無理難題を言ってくるようになりました。 それまでも師が母親を病院に連れていく日などには勿論留守番やお手伝いにはこちらから行っていたのですが、それで何を勘違いしたのかだんだんと要求がエスカレートしてきた状態です。 ちなみに私はお寺に雇われているわけではなく、役僧でも内弟子でもありません。 2,3か月に一度御葬儀の助法をする程度なので、普段は他の仕事で生計を立てており「私も生活があるのでさすがに毎日無料奉仕というわけには・・・」とやんわりお断りしたところ激昂されてしまい、「そんな薄情な事を言うなら師弟関係を解消させてもらう!!」と怒鳴られ師弟関係を人質に度々大した必要性もないような用事などに呼び出されております。 近所に買い物に行くだけのほんの数十分程度の外出にも留守番に呼び出されるので、仕事場からも「そんなにしょっちゅう休むんなら辞めてほしい。」と通告され、年齢的にもかなり厳しい状況です。 その旨を師に伝えても「弟子が師匠のために多少の犠牲になるのは当然の事だ。」等々しれっと言うので最早信頼などとてもできませんが、それでも在家から苦労して20数年なんとか必死の思いで続けてきた僧籍だけは消したくないと思い、ギリギリまで我慢してきましたがこれ以上の師の要求はとても受け入れられず、離弟(僧籍削除)してもらうしかないかと覚悟しております。 総代会も30年余りの間に正式に開かれたことはほとんど無い状態で、相談してもどうにもならない状態です。 そこで離弟する(僧籍が無くなる)ことでどういったデメリットや僧侶としての行動に制限が出てくるのか、師僧が無くてもできることはあるのか等、様々なパターンについてお詳しい方がいらっしゃいましたら御教示いただきたく思います。

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