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自分の健康と親の介護の優先度は?

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

現在、風邪が長引き、多少体調を崩してはいますが、出来る範囲での親の介護(外出の付き添い・食事の下ごしらえ・マッサージ等)をいつも通りに行っています。

その行動に対して、「自分の体調が悪いならば無理する必要無いでしょ?」と言われました。
その根拠は、「体調が悪い中、嫌々、しぶしぶと作った料理には悪い念が入るから作らない方が良い」とのことでした。

私自身、がん再発の可能性はありますし、親の介護も私以外でも対応できますし、「どんな無理をしても私がやらなきゃいけないこと」という意識もありませんので、無理をするつもりも、無理をしているつもりもありません。

「自分に出来ることを淡々とこなしている」という感じであり、「こんなにしてやっているのに!」とか、「何故、ここまでしなきゃいけないの?」とか、「本当はやりたくないのに」などの思いはありません。

それでも、自分の健康状態が完璧な時以外は、他のために何かをしてはいけないのでしょうか?

自分の健康を回復するために親の介護を離れたとしても、「すべきこと」が無い状態では気を紛らすことも出来ずに、体調の悪さにばかり意識が集中してしまいそうです。
「起き上がれないほどに弱っている」ならば、静かにベッドに入って休んでいるでしょうが、「それほどでも無い」ならば、退屈してしまいベッドの中でテレビやゲーム・読書をしてしまいますから。

それでも、体調不良というマイナスオーラを伝染させないために、介護などのすべてを投げ出して自分の健康回復に努めるべきなのでしょうか?

2014年6月1日 21:18

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

気持よく行動を指針に

こんにちは。お悩みを拝読させて頂きました。

どうやら癌をお煩いになった事がおありのようですね。
大変でしたね。でも、回復されて良かったですね!

恐らくご家族も癌を回復された貴女の事を思いやって「無理に動かないで」と
仰っているのかもしれませんね。

ただ、無理をして動くな…の理由に
>「体調が悪い中、嫌々、しぶしぶと作った料理には悪い念が入るから作らない方が良い」
という理由があがるという事は、少々身体がシンドイ時にそれが表情や行動に出てしまっているのでしょう。

もし、貴女が介護をしたいと思うのであれば、多少しんどくてもされた方が心にも身体にも良いように思います。(もちろん無理をしてはいけませんよ。無理の無い範囲で)

ただ、その場合、ひとつ気にした方が良い事があります。

同じやるなら気持ち良くやるということ。

笑顔で明るい声で介護してあげてください。

それが出来ないときは、キッパリと今は調子が悪いから出来ないと体調管理に専念する事を自分に許してあげて下さい。

気持よく笑顔で行動していると、身体の不調も少しづつ整う事も有りますよ。

健康のご回復をお祈りしております。

合掌

ーーーーーーーーーー追記ーーーーーーーーーーー

質問者様の書き込みを拝見して追記をさせて頂きます。
人からどんな風に見られてもかまわないのです。自分がその事をして気持ちが良かったり、充実感が得られるのであれば。人の表情は様々です。笑顔で悲しくなく人もいれば、しかめっ面で安らぐ人もいるかもしれません。

要はあなたの本心が気持よければそれでいいのですよ。

辛そうに見えても、自分に取ってはかけがえのない時間である事を周りの人に説明すると良いかもしれませんね。

2014年6月2日 10:04
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有り難し
おきもち

仏道に入門して30年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

たんたんとなすがよろしい

お礼を頂いて再回答。
ですからそれを「たんたんと行ずる」と申し上げておるのです。
「たんたんと行ずる」とは「淡々、坦々、」これは何気ないようですが人生の極意です。
人が気になる、というレベルは私の申し上げる所のタンタンではありません。
人がどう思うか…と言っておられますが、それが他人の事ではなく「あなたの思いである」ということに気づいてください。わたしだったら、いかに人がとやかく言おうが、たんたん、と自分を貫くだけです。hasunoha内でも過激な回答を繰り返しておりますが、淡々とやっているだけです。
「人の事を気にするのも、人の為にやることも、自分の事をやるにしても、全部、人のことのようであっても「自分をやっているだけ」でしょう。
一生涯人の事等は無く、自分のことしかないのですよ。(これが仏教の悟りの中身なのですよ)
人から何かを頼まれたって、やっているのは本質的に自分です。
人の為とか、自分の為とか、お金の為、~の為、なんてアトからくっつけた理屈です。
今この私の文書を観ているのもあなたでしょう。過去にも未来にも、後にも先にも、一生、自分のことしかない、と知ってください。私は仏教語を用いない主義ですのでタンタンと説いていますが、さりげない回答の中に仏教、禅の極意がちりばめられています。何度か読み返して頂ければ幸いです。

2014年6月2日 21:23
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

質問者からのお礼

法昌さま、回答ありがとうございます。
たぶん、「同じやるなら気持ち良くやるということ。」という部分が、いつも問題になっているという気がします。
介護・家事に限らず、仕事でも何でも、「気持ち・気分は関係なく、出来る限りのことを、やるべきことをきっちりとやる」という感じで行動して来ました。だから、「心を込めた方が良い」ということは何度も言われています。そんな私にとって、「笑顔・明るい声」は仕事で使う営業的なものであり、逆に無理することでありストレスになりそうです。
私にとっての「心体共に無理が無い状態」は、マニュアルに沿ったように素材や味や硬さなどを考慮して淡々と作業を行うことです。そして、私の喜びは「今出来る限りのことが出来た満足感」です。しかし、その姿が、周囲からは「無理している」と映ってしまう様なのです。
「出来る限りのこと」なので、裁縫など苦手なことはボタン付けなどの些細なことでも断るし、体調が悪すぎる時は惣菜などを買って来て済ませています。
それでも、周囲からは、「気持ちよく出来ないことはしないで良い」と言われてしまうので、「気持ちよくやっているように見せる努力」が必要なのか、「出来ることはやりたいけれど、我慢してやらない」方が良いのかと悩んでしまいます。 そのあたりに何か、ご意見を頂ければ助かります。

丹下さま、回答ありがとうございます。
私の文章が未熟なために、うまく伝わらなかった様子、言葉・文章は難しいですね。
私の感覚としては、「淡々と自分で納得できる範囲でやっているだけ」という感覚であり、不安はそんなに感じていません。しかしながら、物事の受け止め方は人それぞれであり、私の言動を周囲は「無理をしている、苦労をしている、辛そうに、可哀想に・・・」と見えてしまうようです。
私の感覚と周囲の感覚にあまりにもギャップがあるため、私の言動が周囲のストレスになっているのではないかということです。
そのあたりのギャップの埋め方をどうするべきなのか、自分と周囲とのバランスをどうするべきなのか、ということに対してのご意見を頂ければ、助かります。

「介護・認知症」問答一覧

認知症の母親の今後の介護について

初めまして、私は83歳認知症の母親の介護の事で悩んでいます。 14年前に父が他界し、それより母は一人暮らしをしています。 幸い身体が丈夫なので今まで仕事をしていましたが、コロナと認知症の進行により仕事は続けることが出来なくなりました。本人にはコロナで休みと伝えられている様です。 自動車も運転していたのですが、認知症の事もあり説得の上合意の下二人で処分しました。ですが、認知症のため、仕事がなぜ休み続きなのか、車がなぜないのかと毎日電話がかかってくるようになりました。 同じ内容で1~2分おきに何度もかかってきます。電話を取らないと着信が一日中とまりません。 母は昔から人の話を全く理解する事がなく何を言っても理解しません。仕事のことも「コロナが流行っているから仕事が休みなんだよ」と言っても「そんなはずない」、車がないことも「病気で先生や警察からダメって言われた」といっても「運転できるのになぜ」と自分の主張ばかり。 そんな状態で、今まで仕事で一人暮らしの時間を紛らわせちょっとの外出は車でしていたものですから、両方無くなったので散歩にもいかず家に閉じこもるようになりました。 何度も母のもとに通い現在の状況の説明や、バスでどこへでも行ける事、介護申請の手続きなどいろいろやってきました。しかし、認知症という病気からかやったことは全てリセットされ、毎日0からの説明になります。 また暇を持て余しているので私の家に行きたいなど言います。家に一人でいられないと言い、理由をつけて断っても納得せず、殺せだのなんだのと言います。 私には妻と子供が二人います。母は、性格的に自分の思ったことが全てだと思っているので何かにつけて恩着せがましく、金に無頓着なので散々苦労させられました。それをよく知っている私の妻は、母との関係を拒否しています。そのため、家に呼ぶことはできません。私も、1度呼ぶと母の場合要求がエスカレートする事は目に見えています。 そして、その際に断れば今までやってきたことを全否定されることも分かっています。私は母を無視したり、ないがしろにするつもりはないのですが、母の要求に全て答えてあげることはできません。出来る範囲でやってはいますが、要求された際に全て答えてあげることは不可能です。 母との付き合い方、今後どうしたらよいでしょうか?

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有り難し有り難し 17
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有り難し有り難し 30
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寝たきり認知症、要介護5の祖母の在宅介護中です。 今年の7月、祖母が脱水症状で9℃を越える高熱を出し、もうダメかと思いましたが何とか持ち直しました。 介護は孫である私がしていて、自分が気を付けなかったせいで脱水になってしまったこともあり、祖母に死んでほしくない一心で一生懸命看病しました。 そして峠は越えたかなという日に、祖母が頭の先にいる誰か?と話しはじめて、「あの世に行かないことにすればいいんだな?天国へ行かないことにすればいいんだな?」と言いました。 そしてかなりはっきりした強い口調で、「わかった!決まった!」と言いました。 それから今度は別の方角へ向かって、「私は絶対に天国へ行けないことになりました!絶対に行けません!だからあかりを消してください!」と言いました。 私はこれを聞いて、私が死んでほしくないと強く思ったせいで、本来死ぬはずだった祖母がその機会を逃し、そのせいで本来行くはずだった天国へ行けなくなってしまったのではないかと思いました。 最近も、死にたいと言ったときに、「死んだら天国へ行くの?地獄へ行くの?」と聞くと、「地獄だ。決まっている。」と言います。 人が本来の寿命より長く生きてしまい、そのせいで行くはずだった天国へ行けずに地獄に落ちるようなことはあるのでしょうか?もしそうなら、私は祖母のために何をすればよいのでしょうか? とても心配でなりません。

有り難し有り難し 10
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