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病気と向き合えない

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有り難し有り難し 13

お坊さんへ
初めて質問させて頂きます。

私は自己免疫疾患を患っています。治る病気ではないので、一生付き合っていかなければなりません。しかし、病気と向き合うことが怖く、また元々の面倒臭がりな性格から、通院は適当になっていました。

更に、3年前に支えてくれていた祖父が病院で「殺してくれ」と家族に訴えながら亡くなった現場を見て、病院に通うのが怖くなり、悪化して、どうしようもなくなるまで治療を拒否してました。

最近、仕事や慣れない祖母の介護、祖父の死の悲しみなどのストレスが重なり病状が悪化し、緊急入院となりました。

検査の結果、腎臓を悪くしてしまい、食事の制限も必要になりました。退院はできましたが、薬の副作用や食事制限などで、このまま生きていけるのか不安な日々を過ごしています。
病気と向き合い、治療していかなければならない事はわかっていますが、どうして私だけが、と考えて毎日泣いて過ごしてます。

薬の副作用で心臓はずっと運動後のように速く、少し動いただけで息切れ、大量に汗をかきます。また、血圧を下げた影響で立っていると船の上にいるようなふらつきに襲われ、長時間の活動が出来ません。ほとんどベットに横になっています。
元々、食が細く、薬で身体に負担がかかった影響もあり、食べても毎日痩せていき、骨と皮の身体を見るのが辛いです。

病状が落ち着けば良くなるのかもしれませんが、こんなに副作用で苦しいのに治療を続けていけるのか不安です。また、いつ悪化するのか怯えながら、通いたくない病院に行く事も苦痛です。

どうすれば病気と向き合い、治療を続けられるのか?
何か心持ちを変える方法があれば、教えて頂きたいです。

纏まりのない文章で申し訳ありません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

病気という状態であってもわが身と心を不幸に向かわせない強さ

病気の痛みをとって差し上げることができなくてもうしわけありません。
少しでも心が軽くなればと思い回答させていただきます。
まず、あえて、
病気と向き合い治療を続けなければ「ならない」、
病気と向き合い治療を続けなければ「いけない」。
こうしなければならない、いけない、という心を一度完全に捨てる。
この意識があなたを苦しめてしまっているのかもしれません。
治りたいのに、治らない。治せない。
治らないけど治療を続けなければ今よりもつらくなる。本当につらいことですよね。
だから、変えられない状況を無理に「変えよう」とする気持ちや姿勢から、
あえて、いずれ人は死ぬとしても、今日だけは過去よりは悩まない、苦しまない、暗く考えて24時間を損なわないようにしよう!と志すのです。
私もあなたも死亡率100%です。人類誰もがいつか死にます。
わたしは人生、いろんな人に騙されたり、酷い目にあわされたり、山あり谷ありで体もあちこち病気を抱えております。昨日もチベット人やウイグル人を助けてあげたいと思い、〇国の残虐非道な現実を少しでも日本人に知っていただきたいと思いSNSで投稿したらアカウントが一か月停止になりました。まさに理不尽。不条理。ですが、生きているだけで丸儲け、息を吸うたび安楽、吐くたびに安穏になる方法はあります。
ちょっとした心のおさめかた、やすらい法、心のしずめ方です。
説明すると長くなるのでいつかお電話を頂ければと思います。お金も不要です。我々僧侶の仏道修行とは、人間が「どうすれば幸せになれるのか」の具体的な方法の追求でもあります。それが求道、求法というものです。
仏教の説く人間の持ち前の最高最上の心の「もちよう」とは、わが身になすことを「なく あらせしめる」ことでもあります。
ああ、この状況を何とかしたい、何とかしたいと思えば思う程、なぜ自分だけがこんな目に…とかなしくなりますよね。かわってあげられずにごめんなさい。
ですが、私もある病気をしたとき10秒に1度の割れるような頭痛に襲われたことがあり、とても苦しかったです。病は異なりますが気持ちはわかります。
体の苦痛は薬やより良い食事で。あなたの体に不足している成分を摂取することで今よりは良くなる方法もきっとあるはずです。心を安らかにさせたいときはお電話を頂ければその方法をお伝えさせていただきます。どうぞ、それまで安静に。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

丹下 覚元様 回答をありがとうございます。
覚元様のように気持ちに寄り添って頂ける方がいるだけで、救われるような気がします。
覚元様が仰ってくださるように、1日1日、前の日よりは少し悩まずに過ごそうと思います。今は苦しいですが、身体は生きようとしている。体質を改善できれば少しは体調も良くなると信じて、生活を見直したいと思います。家族の世話になってばかりで申し訳ない気持ちもありますが、精一杯、毎日を生きたいと思います。
慈悲深いお言葉、本当にありがとうございます。

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