親の面倒
親元離れて30年経ちます。
最近父から仕事辞めてでも帰って面倒みてだの
言ってきます。
それだけならまだしも、過去の聞きたくないことを例にあげたり、人格否定してきます。
離れて暮らしているので自分心配するのは分かりますが、人格否定されてまで帰る気にはなりませんし、仕事がら帰れないのです。
このまま言いたいこと言われて暮らすのも精神的にまいりそうですが、今後こちらの気持ち伝える場合どのように伝えれば良いのでしょうか?
特に親を見捨てるのかと言われた際は返す言葉がありません。
それに対して病気になったら何時でも連絡してと返しても良いですが、逆に当てにされそうです。
そこで手紙にして想いをつたえようかと考えてますが、親を見捨てるのかに対して
一言何と伝えれば良いのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
親の気持ちを受け止めるようなお返事を。
その言葉は、悲しいですよね。
子どもが自立して親元を離れていくのは自然なことですし、離れて暮らしていたら 親を見捨てていることになるのでしょうか。そのようにしか思われていないことに、とても悲しくなりますよね。
子どもを傷つけてしまっていることにも気づけないほどに、お父さまも 現状いっぱいいっぱいなのでしょうね。
地域包括支援センターなどへの相談や、福祉サービスを受けていく選択も必要ですし、親が子どもの元へという方もいるでしょうね。
現状には、やはり地元の福祉支援を受けながら、老後を地域が見守っていくことが出来たらと思いますよね。
親を見捨てるのかとの言葉に、こちらが反論しても親は怒りの気持ちが増すでしょうから。
こうやって話を聞いて、いつでも大切に想っている。見捨てるなんて気持ちがあるはずがない。どうするのがいいのか、福祉にも相談しながら一緒に考えていこう。
と、親の気持ちを受け止めるようなお返事をお伝え出来たらいいですよね。親だって、遠く離れ頑張っている子どもを、責めること、本当はしたくないはずですものね。
どんな家庭であってもお互いに人間性を向上させ合う気持ちを持つ
人間はいくつになっても年を取らない、変わらない部分があります。
それは「言われて嫌なことがある」「嫌なことは嫌」ということです。
つらいことはつらい。
くるしいことはくるしいものでしょう。
それは「お互い=あなたもおとうさんも」どちらもいくつになっても変わらないものです。
そして「親子関係」はいくつになっても親と子の立ち位置・関係は変わりませんので、あなたが50を過ぎても親子関係で「それをすると子供(あなた)が傷つく」ということが実際にダメージとしてあるわけですから「そこ」を文章にして親御さんにお伝えしてあなた自身を否定するようなことを「どうかこれからはいわないでほしい」と文章と会話できちんと伝えるとよいでしょう。
それは条件にしても良いでしょう。
お父さんだって、体が言うことを聞かないから苦しい、つらい。
そこをケアはするけれども、人生の終盤に入っておられるのですから、お互いに静かに安養安静に暮らしたい。だからお互いこちらを傷つけるようなことを言わないでほしい、そういうことは良いことではないということをきちんとわかってもらうことです。
分かってくれないかもしれませんので、3回、7回と伝えてわかっていただけるようにするだけです。
あなたもあなた自身を否定されるようなことさえなければ何も問題のない親子関係であったはずでしょう。
そして、親御さんもおそらくは昭和の初期の方?でしょうから、戦前戦後の大変な苦境の中でのお育ちゆえに言葉が乱暴だということは「いたしかたないことなのだ」「(そんな中で自分を育ててくれた)」と弁えることも大切です。
❝観恩・感恩❞きちんとあなたも時代のご苦労を鑑みる、慮る、配慮する、思いをはせるということをあなたはあなた個人で繰り返してみてください。
そして、どんな乱暴な言葉であってもそれをあなたがストレートに受け取らないことです。言葉を受け止めるのに必要なのは善導の心。その人の人間性が高まることを祈り、自分も悪言を受け取らない。
あなたが言われたのではなく、お父さんの人生観で思ったことをただ独り言としてつぶやいただけなのだと念ずることです。
あなたの親御さんもおそらくはそのお父さんや先代さんたちに厳しく育てられたのかもしれません。
今の自分自身の人格は三代前、四代前からくるものであると私も師匠からよく悟らされたものです。正確に罪はないのです。
質問者からのお礼
ありがとうございました。
アドバイス頂いたことを参考に前向きに取り組んで参ります。