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親の面倒

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有り難し有り難し 23

親元離れて30年経ちます。
最近父から仕事辞めてでも帰って面倒みてだの
言ってきます。
それだけならまだしも、過去の聞きたくないことを例にあげたり、人格否定してきます。
離れて暮らしているので自分心配するのは分かりますが、人格否定されてまで帰る気にはなりませんし、仕事がら帰れないのです。
 このまま言いたいこと言われて暮らすのも精神的にまいりそうですが、今後こちらの気持ち伝える場合どのように伝えれば良いのでしょうか?
 特に親を見捨てるのかと言われた際は返す言葉がありません。
それに対して病気になったら何時でも連絡してと返しても良いですが、逆に当てにされそうです。
 そこで手紙にして想いをつたえようかと考えてますが、親を見捨てるのかに対して
一言何と伝えれば良いのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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親の気持ちを受け止めるようなお返事を。

その言葉は、悲しいですよね。
子どもが自立して親元を離れていくのは自然なことですし、離れて暮らしていたら 親を見捨てていることになるのでしょうか。そのようにしか思われていないことに、とても悲しくなりますよね。

子どもを傷つけてしまっていることにも気づけないほどに、お父さまも 現状いっぱいいっぱいなのでしょうね。
 
地域包括支援センターなどへの相談や、福祉サービスを受けていく選択も必要ですし、親が子どもの元へという方もいるでしょうね。
現状には、やはり地元の福祉支援を受けながら、老後を地域が見守っていくことが出来たらと思いますよね。

親を見捨てるのかとの言葉に、こちらが反論しても親は怒りの気持ちが増すでしょうから。
こうやって話を聞いて、いつでも大切に想っている。見捨てるなんて気持ちがあるはずがない。どうするのがいいのか、福祉にも相談しながら一緒に考えていこう。
と、親の気持ちを受け止めるようなお返事をお伝え出来たらいいですよね。親だって、遠く離れ頑張っている子どもを、責めること、本当はしたくないはずですものね。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として、慌ただしく過ごしております。 ◆ゲートキーパー ご相談 駆け込み寺 (訪問は要予約。まずはメールでお問い合わせください) ◆ビハーラ僧、終末期ターミナルケア、看取り、グリーフケア、希死念慮、自死、産前産後うつ、育児、DV、デートDV、トラウマ、PTSD、傾聴、手話、要約筆記、行政相談員、小学校 中学校支援員としても、サポートしています。 ◆一般社団法人『グリーフケアともしび』理事長 【ともしび遺族会】運営 毎月 第1金・昼夜2回開催(大阪駅前第3ビル) 14:00〜,18:00〜 お問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com *この活動は皆さまのご支援により支えられております。ご協力をよろしくお願いします。 ゆうちょ銀行 口座番号 普通408-6452769 一般社団法人グリーフケアともしび ◆『ビハーラサロン おしゃべりカフェひだまり』 ビハーラ和歌山代表 居場所運営 問い合わせ申込⬇️こちらから griefcare.tomoshibi@icloud.com ◆GEはしもとサピュイエ 所属 (Gender Equality 誰もが自分らしく生きることができる社会をめざして)DV・女性支援 ◆認定NPO京都自死自殺相談センターSotto 元グリーフサポート委員長(2018〜2024) ◆保育士.幼稚園教諭.小学校教諭. レクリエーションインストラクター.中学校DV授業 10年間 保育 教育の現場で 総主任として勤めた経験も生かしつつ、お話できることがあれば 幸いです。 いつも あなたとともに。南無阿弥陀仏 ここでは、宗旨を問いません。 まずは、ひとりで抱え込まないで。 来寺お問い合わせは⬇️こちらから miehimeyo@gmail.com ※時間を割いて、あなたに向き合っています。 ですので、過去の質問へのお返事がない方には、応えていません。お礼回答がある方を優先しています。 懇志応援も宜しくお願いします。 ※個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺への いきなりの電話相談は受け付けておりません。また夜中や早朝の電話もご遠慮ください。 法務を優先させてください。
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どんな家庭であってもお互いに人間性を向上させ合う気持ちを持つ

人間はいくつになっても年を取らない、変わらない部分があります。
それは「言われて嫌なことがある」「嫌なことは嫌」ということです。
つらいことはつらい。
くるしいことはくるしいものでしょう。
それは「お互い=あなたもおとうさんも」どちらもいくつになっても変わらないものです。
そして「親子関係」はいくつになっても親と子の立ち位置・関係は変わりませんので、あなたが50を過ぎても親子関係で「それをすると子供(あなた)が傷つく」ということが実際にダメージとしてあるわけですから「そこ」を文章にして親御さんにお伝えしてあなた自身を否定するようなことを「どうかこれからはいわないでほしい」と文章と会話できちんと伝えるとよいでしょう。
それは条件にしても良いでしょう。
お父さんだって、体が言うことを聞かないから苦しい、つらい。
そこをケアはするけれども、人生の終盤に入っておられるのですから、お互いに静かに安養安静に暮らしたい。だからお互いこちらを傷つけるようなことを言わないでほしい、そういうことは良いことではないということをきちんとわかってもらうことです。
分かってくれないかもしれませんので、3回、7回と伝えてわかっていただけるようにするだけです。
あなたもあなた自身を否定されるようなことさえなければ何も問題のない親子関係であったはずでしょう。
そして、親御さんもおそらくは昭和の初期の方?でしょうから、戦前戦後の大変な苦境の中でのお育ちゆえに言葉が乱暴だということは「いたしかたないことなのだ」「(そんな中で自分を育ててくれた)」と弁えることも大切です。
❝観恩・感恩❞きちんとあなたも時代のご苦労を鑑みる、慮る、配慮する、思いをはせるということをあなたはあなた個人で繰り返してみてください。
そして、どんな乱暴な言葉であってもそれをあなたがストレートに受け取らないことです。言葉を受け止めるのに必要なのは善導の心。その人の人間性が高まることを祈り、自分も悪言を受け取らない。
あなたが言われたのではなく、お父さんの人生観で思ったことをただ独り言としてつぶやいただけなのだと念ずることです。
あなたの親御さんもおそらくはそのお父さんや先代さんたちに厳しく育てられたのかもしれません。
今の自分自身の人格は三代前、四代前からくるものであると私も師匠からよく悟らされたものです。正確に罪はないのです。

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました。
アドバイス頂いたことを参考に前向きに取り組んで参ります。

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