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浄土真宗での仏法僧の解釈は?

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浄土真宗では仏法僧はどのように解釈されていますか? あるいは採用されていない考え方だったりしますか?

付け焼き刃の知識で申し訳無いですが
仏→お釈迦様
法→御仏の教え、真理そのもの?
僧→サンガの方たちみたいな出家修行僧集団?
みたいな理解で良いのでしょうか…?
仏とは阿弥陀如来なども含む?としても浄土真宗では非僧非俗?
そもそも浄土真宗では釈迦如来はどういう位置づけ?
などの疑問があります。
お教えいただければ幸いです。

2021年9月7日 0:40

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

こんにちは。

浄土真宗僧侶です。
僧籍に入り、40年ほど経ちますが、
今まではゆるく考えていました。
でも、ちゃんと答えようとすると難しいなと思いました。

浄土真宗でも派によって、視点が異なる場合があります。
その上で。

仏→阿弥陀経如来
  観音・勢至菩薩、
  その他の諸仏.
  お釈迦様
  木辺派さんは毘沙門天も入る?

法→それぞれの派の宗門法規に書かれてますが共通してるのは
①お釈迦様の説法(お経)
  仏説無量寿経、
  仏説観無量寿経、 
  仏説阿弥陀経
②親鸞聖人の撰述
  教行信証(正信偈含む)
  浄土文類聚鈔 など
③七高僧の論釈
(親鸞聖人が讃えるインド、中国、日本の高僧)の著書
 浄土論、讃阿弥陀仏偈、法事讃、往生要集など

かなと思います。

僧→私は僧侶という肩書きとか資格で限定せず、参拝者やご門徒さん含むお念仏をよろこぶご縁のある集まり(サンガというか仲間的な)と広く捉えています。

親鸞聖人は仏か僧かと問われると人によって解釈が分かれそうですが、私は僧のお仲間として敬い慕う立場をとりたいなと思います。

お釈迦様は阿弥陀如来の教えを説いてくださった方、その教えが七高僧を通じて親鸞聖人に伝わり、令和の私たちに届いている。

という立ち位置で見ると戸惑いが少ないかなと思います。

参考リンクとして真宗各派の偏りがないように真宗教団連合のリンクを貼っておきます
https://shin.gr.jp/about/shinshu/

追伸。
各派の宗規を調べたら
仏は阿弥陀如来一仏である派がほとんどでした。

2021年9月7日 5:17
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質問者からのお礼

貴重なお教えをありがとうございます。

泰庵さま
たいへんわかりやすく説明していただいてありがとうございます。
仏法僧という概念は、私が考えていたよりずっと広いものなのですね。
とくに「僧→お念仏をよろこぶご縁のある集まり」ということで、疑問が氷解いたしました。
ご紹介頂いたサイトも参考にさらに学んでゆければと思います。
ありがとうございました。

「浄土真宗」問答一覧

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