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不思議な夢を見ました

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質問させて頂きます。

 不思議な夢を見ました。最近、近親の者が亡くなり、悲しみに沈んでおりました。

しばらくしたある夜、夢の中に三叉仏と名乗る仏様がいらっしゃいましたが、何も仰せにならずにそのまま去って往かれました。仏教に詳しくないので、一体どういった仏様であろうかと、いろいろな仏教の本を読みましたが該当する仏様を探し当てることはできませんでした。

それからしばらくしますと、また、夢の中に仏様がいらっしゃいました。そして、『現在、過去、未来、すべての生命の幸福を祈りなさい、そうすれば、貴方に幸せが訪れますよ』と仰いました。1~2カ月くらい前の話です。

夢での話があってから、仕事の合間など、時間を見つけ、そういった祈りを行うようになりました。

昨日の夜も、そうやってお祈りしながら就寝致しておりますと、夢の中の空中庭園の様なところに仏様がいらっしゃいまして、『貴方の誓願は確かに聞き届けましたよ』と仰いました。

仏様に願いを聞いて貰いましたら、私の体は地面の上に立っておりました。しばらくすると、自分の体は、地面の上を飛ぶように走りだしました。地面の上には村の様な町の様な景色が広がっており、その間を、時速20km、40km、100 km、200kmと段々加速して飛んで行きました。

およそ200 kmになってもさらに加速し、音ぐらいの速さにまで加速しました。これ以上加速できないくらいになりますと空中に大きな白い光が現れまして、自分の体の中にこれまで味わったことがないような言葉では言い表せないような多幸感が全身を駆け巡りました。白い光は空半面を覆うぐらいの光になり、そこで目が覚めました。

この夢はいったい何なのでしょうか?これからどうすればいいのでしょうか?初めてこういった不思議な体験をして非常にびっくりしております。三叉仏とは一体どんな仏様なのか、実在の仏様なのか?教えて頂けませんでしょうか?宜しくお願い致します。私の家の宗派は真言宗です。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夢の意味

貴方の菩提寺(檀家になっているお寺)が真言宗とのことですね。

真言宗ではその昔、何かの大事な儀式の前や弟子の資質を判断する一助に、師匠は一定の条件下で弟子の見る夢を数日に渡り細かく聞き出すと言う項目があったと本で読みました。
現在はそのような事はありませんが…。

貴方にとっては深い意味がおありになるのだと思います。

ただ、これだけはお伝えしておかねばなりませんが、
見た夢をあまり口外なさらないことです。
真言宗と言うと霊感バリバリokという態度であると思われがちですが、
真言宗の全てのお坊さんがそうであるわけでは無く、
そういった話しを安易に口にする事を大変嫌う場合が多いのです。

貴方が、本当に信頼出来る人にのみお話しください。

たとえ、どんなに凄い夢を見ても、それは貴方にのみ意味が有る事です。安易に人に話す事で迷いや誤解を生じさせ、かえって貴方にとって良くない事になってしまう場合が多いのです。

>三叉仏とは一体どんな仏様なのか、実在の仏様なのか?<
との事ですが、全ての仏さまは貴方の心の奥でつながっています。

余談ですが、三叉仏の文字を読んで私は奈良の金峯山寺の蔵王権現が頭に浮かびました。
過去・現在・未来の三世にわたる衆生の救済を誓願して出現された仏さまです。
機会がありましたらお参りされてもいいかもしれませんね。

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個別相談可能
仏道に入門して40年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さんだと思っております。 法昌という法名で、和歌山県の高野山の西禅院が所属寺院ですが、 普段は東京都町田市のマンションで手作りの密壇でひたすら修行を続けている  はぐれ行者です。 伝法灌頂も中院流の一流伝授も授了させていただいております。 娘を持つ母であり、一家の主婦でもあり、親の介護もあったりします。 エッセイや文章、そして漫画家として漫画も描いております。 イーハトーブクリニック萩原医師の指導をいただきヒプノセラピスト(催眠療法士)でもあります。 基本的に隣のおばちゃん的な、でも変わった尼僧です。
ご相談可能な時間はその日ごとに違うので、いくつかご都合を書いてくださいね。 人生で悩んだ時に、最善の答えを与えてくださるご神仏と、あなたは心の奥で必ず繋がっています。ご自身の心の中からご神仏のお答えが受けられるようにアドバイスをさせて頂きます。 ◆著書:「神さま仏さまがこっそり教えてくれたこと」「迷いをすっきり消す方法」「幸せを呼ぶ仏像巡り」

この夢はあなたの感じるままに・・・。

 ワシは夢について、不思議な力や心理的作用があるとは思えませんが、あなたがその夢を見たことにより人生が前向きになったり、自分を見つめ直す契機になるなら、この夢はそういう意味があるかもしれません。内容云々より、自分を見つめ直すいい時期と捉えた方が良いと思います。
 もしこれがいわゆる悪夢なら、あなたはどうしてましたか?人生に絶望しましたか?たかが夢と捉えましたか?夢で良かったと捉えましたか?そのことも踏まえてください。
 三叉仏とは不勉強のワシには解りませんが、あなたの想像力の豊かさを知りえました。これからもこの想像力を捨てずに人生を送ってください。
 追伸
 あなたの望んだ答えではないかもしれませんが、このような不思議な夢を僧侶以外の如何わしい人たちに語ると詐欺などに引っかかる可能性も無きにしも非ずですので、そこのところは冷静に判断して下さい。

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目指せ!となりのお坊さん あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのではありません あなたの悩みを解決するお手伝いを私がするのです ちょい悪坊主を目指しています。尊敬する人は一休さん。
ここだけの話し  どんな些細な質問でも回答します! ・私の目指す僧侶は一休さんのようなちょい悪坊主です。時には常識にとらわれずとんでもないことを言いますが、しっかり受け止めて下さい。私もしっかりとあなたの質問を受け止めたいと思います。 ・先ずは30分からで、システムに慣れたら時間を延ばしたいと思います。

夢は壊さない方が良いのでそっとしておきます。('ω')ノ
それとは別に申し上げます。
あなたは生き方として菩薩の道を歩む、ということです。
すべての生命の幸福を祈る道、実践が菩薩道、菩薩行だからです。
舎利礼文に「利益衆生 発菩提心 修菩薩行 同入円寂」
衆生を利益し、菩提心を発さしめ 菩薩の行を修し、《皆》同じく円寂(涅槃)に入らしめん、とあります。
仏弟子であっても無くとも、人間が究極的に目指すべき精神が、
「人々を利益し、向上心を起こさせて、自分も相手も救われる行いをなし、みんな同じく心安らかになりますよう」という誓願、実践。誓願は誓願だけではカラ念仏。生き方になってこそはじめて力になる。
聖人偉人と言われる方は、仏教徒でなくともこういう生き方をされています。
それは自分の人生をふかく掘り下げて、どう生きるべきかということを究極的に問い詰めた結果ではないでしょうか。それを外れてよこしまな道をゆくべきでしょうか、何もせずに平平凡凡と自分の為だけに暮らすべきでしょうか、それとも菩薩、仏の道を歩んで悟り、安楽を求め、広めるべきではないでしょうか。
それがΨ三叉Ψ、三つの道の分かれ道でもありましょう。
あなたが観た夢は、夢は夢ですが、それは深層心理からくるものでしょうから、あなたが歩むべき道を指示してくれたのではないでしょうか。
人間は本心、本能的にどこに進むべきかを、命のDNAは知っているのです。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

夢判断について

ko-様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

夢判断に関しましては、確かに密教における灌頂の際に実際に行われることがございます。

日本の真言宗や天台宗などにおいては灌頂の際に行われているのかどうか詳しくはわかりませんが、例えば、チベット密教においては、カーラチャクラ灌頂や胎蔵界曼荼羅灌頂、金剛界曼荼羅灌頂などの際に実際に行われています。

しかし、それも正式な方法があり、以下はかなり省略してですので、正式にはしっかりと灌頂導師のご指示を受けてのことになるかとは存じますが、灌頂初日の夜に、その日に頂いた加持されている吉祥草を枕やマットレスの下に敷いて、寝始めは右脇腹を下に横になっての寝相にて、心を安らかに静めて、灌頂のご本尊を思い浮かべながら、三宝帰依と共に菩提心と空性の理解を心に留めつつに眠りにつくことが必要となります。

そして、実際に明け方に見た夢がその判断の対象となります。

しかし、良い夢であろうが、悪い夢であろうが、あまり囚われないことが大切であり、いずれにしても良い夢を見てもあまり慢心を起こさないこと、悪い夢を見ても、変に落ち込む必要もなく、菩提心と空性理解の滋養、あるいは慈悲・利他心の滋養へと繋げることが肝要であるのではないかと存じております。

ko-様も、この度は仏様に関する多幸感を感じられる夢を見られましたのは誠に良いことですが、それで何か変に囚われを起こすのではなくて、この度の吉祥なる夢見により、より一層に、三宝帰依、菩提心と空性理解の滋養、慈悲・利他心の滋養へと繋げることが良いのではないかと存じております。

また、夢の扱いにつきましては、下記の問いにてもお答えさせて頂いておりますのでご参照頂けましたらと存じます。

問い「実母の死」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972230.html

『・・夢は結局、幻でしかなく、またこの世の現実も「夢幻の如く」であることを理解することが、仏教においての「空」を理解する上でも大切なこととなりますので、この機会に少しだけでもお知り賜れましたらと存じております。・・』

川口英俊 合掌

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最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

大鐵様、回答頂き有難う御座います。
自分を見つめ直す良いきっかけとして、これからの生き方を考えたいと思います。

丹下覚元様、回答頂き有難う御座います。
舎利例文を初めて知りました。解説もわかりやすく、大変勉強になりました。カラ念仏に終わらないように、少しでも実践していけたらと思います。

法昌様、回答頂き有難う御座います。
これからは、不思議な夢をみても安易に口外しないように致します。三叉仏は、Ψの様なものをお持ちでしたので、蔵王権現かもしれません。

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