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できる範囲での仏教でいいのか

回答数回答 1
有り難し有り難し 13

短期間に多くの質問をして申し訳ありません。

hasunohaに出会って、自分の心と
向き合うための知恵や方法を少しずつですが知ることができました。
特に死生観や生きる意味については
お経にしめされている教えや、hasunohaでの問答で
少しずつ道が見えてきたような気がして、
仏教の教えや考え方を取り入れて生活したいと
考えるようになりました。

そこで自分は、書籍などで仏教の作法やお経を調べて
実践しやすいものを生活に取り入れてみたのですが
家が檀家ではないし、近所にお寺が少ないので
自分がしていることが仏教的によいのかがわからなくて、
自分が読んだ本についても、今までの学の範囲内で
意味を考えているかもしれないので
もしかしたら解釈が違ってしまっているかも、と不安です。
生兵法は大怪我のもと、のように
檀家でない人、制式に入信していない中途半端な人
が仏教の教えや作法などを生活の中に取り入れても
効果はないのでしょうか?
信仰はどこから有効なものなのでしょうか?
また、今後自分がどうしていくべきか
(どのように仏教と付き合い
生活の中に生かしていくべきか)
を教えてください。
この質問が、今の仏教に対する冒涜のようになってしまっていたら
申し訳ありません。
乱文失礼しました。

追伸 今自分がしていること

寝る前に念仏を唱えて、阿弥陀さまにその日のことや
次の日のことについてご報告させていただくこと。
同じように空いた時間に念仏を唱えること。
お経や教えを心に留めて日常生活をすること。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その真摯な態度で、仏教以外のことにも取り組んでみて下さい…

 「仏教に執着しないで下さい」「信じてすくわれようと考えないで下さい」
 正直、あなたの真摯なご相談に浅学の私が回答することは出来ないと思いました。だったら回答しなきゃいいのですが、上の二つの言葉が頭から離れなかったため、その言葉だけお伝えしようと思いました。
 お釈迦様は仏法を筏(いかだ)に喩えていらっしゃいます。「悟りという岸に至るまで筏として用いるのが仏法ではあるが、悟りに至ったならば、その筏はもう必要ない。捨てさるべきものである」とおっしゃるのです。「要らなくなったら仏法さえ捨てよ」とおっしゃっているのです。
 仏教は「本当の生き方」を説きます。ただ『仏教の教えや考え方を取り入れて生活したい』…仏教を生活の手段や、より良い人生を送るために「利用する」となると、仏教の本質から外れてしまいます。
 浄土真宗では、私は「より良い人生を歩みたい」という「煩悩」を持つ者であるが、そもそもそのような思いが煩悩なのであるから、末通ることは無く、そのような思いこそがかえって自らを責め、追い立て、悩ませる。そんな私は阿弥陀仏にお任せ致していくしかないのだと頂きます。
 わたしはしっかりしていない…だからこそ「阿弥陀仏」がしっかりして下さっている。そして私を浄土の仏のいのちへと導き続けて下さる…そのことを喜ばせて頂きます。
 仏様を信じるのも我が心…紛れもなくそれは我が「煩悩」です。だから「仏を信じる心=信心」すらも仏様より賜るのが浄土真宗です。
 自分が一生懸命に仏様を思い、追いかけていたら、実はすでに後ろから追わえ取られていた、すでに仏様のおすくいの中にあった…と頂くのです。親鸞聖人は、そのように私の持つ思い違いをはっきりとご指摘なさいます。
 ここまで多分、あなたのご相談への回答にはなっていないかと思いますが、思うところを書かせて頂きました。
 あなたの仏教への真摯な態度には頭が下がります。
 ただ同じだけ、仏教以外の「学業」「運動・スポーツ」「芸術」等にも興味を持ち、それらに真摯に取り組んで下さいませ…。そこから学ぶ生き方が、多分に仏教的であることは多いのです。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

小林 覚城先生
ありがとうございます。
自分が今まで遠いと思っていたものも
実は近くに、または既にそこにあったのだという
お教えは自分の考え方を変えさせるものでした。
今後は勉強や芸術にもより懸命に取り組みたいと思います。
ありがとうございました。

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