人より優れていたい認められたい思いが強い
「人と比べない」「自分らしく生きる」ことを理解して受け容れることができたきっかけを教えて頂きたいです。
私は今、大学生をしています。私は大学院に残って将来は研究者になりたいと考えています。そしてそれが私の「やりたいこと」です。
しかし昨今の情勢や文系で大学院に進学することへの将来的な不安があります。そして、一番問題なのが「やりたいことはあるけれど、社会的に成功したい、認められたい」という感情も心の奥にはあります。
別にお金をたくさん稼いでやりたいことがあるわけでもなく、ただ「年収」というわかりやすい比較対象で他の人より優れていたい、悪く言えば内心で威張っていたい感情があるのだと思います。天の運でたまたま少し良い大学に入れただけなのに、それ相応の名声名誉を得たいと考える自分が情けなく思うときもあります。人と比べてもただ虚しいだけであろうし、「職業に貴賎なし」という言葉もその通りだと思います。
しかし言葉を知って頭で理解した気になっていてもどうも心の中で完全に「受け容れる」ことがなかなかできません。どうにかして「人と比べる」ことをやめて自分らしく生きたい、自分の目標のために生きたいと思っています。
ぜひ、どのようにしてこの感情に向き合っていけばよいのか教えて頂きたく思います。よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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苦・無常・無我を理解する
プライドの煩悩は誰にでもあるので仕方ないです。
かなり修行を積んだ聖者でもプライドの煩悩はなかなか消えないそうです。
だから、プライドの煩悩をいきなり完全に消すのは難しいと理解した上で、「プライドは煩悩である。煩悩は悩み苦しみの原因である。」と気付くように心がけましょう。
あと、自我への執着についても気付きましょう。
そのためには、苦・無常・無我の真理を理解する方が良いです。
生きている限り苦しみは無くならない、ただ苦しみ(目の前の宿題)の形が変わっていくだけだ。
全てのものは瞬間ごとに浮かんで消えていく無常であり、「俺は私は」と認識する心も感情も細胞も無常で、瞬間ごとに新しい自分に生まれ変わっている。
私達が頭で考える概念(俺・お前も)は無我であり、実体の無い夢・幻みたいなものであり、執着に値しないものだ。
このようなことを理解して、「私は私を素晴らしいと思いたい、私は私という存在を守りたい」という生物特有のプログラミングさえも絶対ではないと知るようにしましょう。
あとは、他者への慈悲(怒りを捨て可愛いいと思う)を意識することも、自分にばかり向いている興味を逸らせるのに有効でしょうね。
質問者からのお礼
ご返事ください誠にありがとうございます。
確かに自分の文章を読み返すと「自我への執着」が強いと気がつきました。
お答えしていただいたお言葉にはとても感じるところがありました。何度も読み返して時間をかけてしっかりと理解していきたいです。本当にありがとうございます。