主人について
昨年付き合ってもうすぐ10年結婚して6年になる主人を自死で亡くしました。
子供のことが大好きで子供もかなりのパパっ子で私にも子供にもとても優しかったです。
なのになんで自死を選んでしまったんだろうっていう思いが消えません。
全然そんな素振りがなかったとは言え、あの日主人を一人にしなければ今も隣にいてくれた気がします。
子供から大好きなパパを奪ってしまった、、、
母子家庭で育ったのでパパと子供が遊ぶ姿を見るのがとても幸せに感じていました。
なのに主人はもういない。
子供には自分と同じ母子家庭での生活を送らせることになる。
そして今まで主人に助けてもらっていた分自分一人で生活していくのがしんどいです。
子育ても楽しいと思える余裕がなくて毎日イライラします。
子供の行事では一人で参加して家族で参加している人達がキラキラ輝いて見えます。
自分の同年代の人達は結婚ラッシュで幸せモード全開です。
自分は一生この後悔とか喪失感とか孤独感とかと付き合っていくのかと思うと耐えられません。
子供達も寂しい思いをさせてパパとママがいる普通の家族を経験させてあげられないのが辛いです。
だから子供達と一緒に死にたくなります。ビルから飛び降りか電車にひかれるかしようかなって本気で思います。
けど子供の笑顔を見ると殺してしまっていいのかなと思ってしまいます。
そのあとにやっぱり死ぬのが怖くなります。
主人に会えると思えば死ぬのは怖くないのに結局死ねない自分が嫌です。
自殺した人は苦しむとかそおいうの信じたくありません。
頑張り屋で優しかった主人が苦しんでいてほしくないから信じたくないのです。
もうなんの言葉を信じればいいのかもわかりません。
まだ側に置いておきたくてお墓はたててません。
お墓の意味もよくわかりません。
お墓を建ててそこに骨を入れれば成仏するんですか?
お家に置いておいたらいつまでも成仏できないのですか?
子供と一緒に死んだらどおなるんですか?
家族四人でまたどこかで過ごせる保証があるのならすぐにでも死ぬのに、、、
結局自分はどおしていけばいいのかわかりません。
こんなことを考えている母親に育てられる子供が可哀想になります。
誰かまともな人に代わりに育ててもらいたくなります。
全部から解放されて消えたくなります。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
心の交通事故
本当に、本当に辛い思いをされましたね。
お悔やみ申し上げます。
自死は、心の交通事故だと思います。
人は死ぬために生きているんじゃありませんし、死にたい気持ちは本来ないんです。
だからmgさんが悪いわけじゃありません。
ご主人さんの心に思いがけない事故が起こってしまったんです。
だからといって悲しくなくなるわけではありませんよね。
生活や子育て、不安はあるかと思います。
それはお子さんも子供ながらに必ず感じているはず。
でも笑顔でいるのは、お母さんにも笑ってほしいからです。
お母さんであるmgさんが、少しでも笑顔を取り戻せるようになっていくと、寂しさも薄らいでいきますから。
お墓に関してですが、骨を入れれば成仏とかいうのではありませんよ。
気が済むまで一緒にいていいんですよ。
でも、一つ約束があります。
ご主人の死を受け入れない、悲しみだけでお骨と暮らさないでください。
「供養すればご遺骨変じて仏となる」といいます。
お骨にお供えとお線香をあげて、手を合わせることがお骨と一緒に暮らす条件です。
どんな形でも、家族を失うと心が乱れて何もかもどうでもよくなるのは普通なんです。
だから、mgさんはまともですよ。
あなたは一人じゃありません。
この先、お子さんと笑顔になれる機会はたくさんありますから。
今は辛いけど、耐えましょう。
どうしても心に溜まる悲しみなどの膿は、こうしてハスノハやお寺で直接お話して吐き出して下さい。
お坊さん方は、みんな貴女の味方ですよ。
旦那さまの命はつかながっている
-m-gさま
旦那さまを亡くされたとのこと。何か理由があって死を選択されたのでしょう。悲しいことです。自死を選ぶというのは、残されたものに苦しみを残します。本当にお辛いことでしょう。
お子さんも寂しい思いをしながらも、今の状況を受け入れ、元気に生活されているのではないかと思います。
成仏とは、そうした苦しみから生きながらに救われるということ。お子さんは人間の持つ本来生まれながらに救われているということを知らず知らずに実践することができます。
人間は大人になるにつれ、人と比較したり、過去と比較してりして羨んだり妬んだりします。時に喪失感を感じたり、怒りを覚えたり、します。このような感情を苦といいます。全て自分自身から沸き起こります。
こうした感情に振り回されず穏やかに過ごす道が仏道です。人間本来の生き方、成仏とは何かということを示す道です。
あなたの思い、感情とは別に事実、真理はあなたを救おうとします。ですから、旦那さまの後を追うことは、体がそうさせません。生きる道を示しています。お子さんは生きようとしています。あなたも生きようとしているはず。生きていれば必ず救われる道がありますから、大丈夫です。
あの世があるかどうか、それは行ったこともない私にはわかりません。しかし、仏壇、お墓、遺骨、そうしたものはあなたの救いになります。拠り所となることでしょう。
遺骨はできればお墓に入れてあげてください。近くにあると、執着し過ぎてしまう恐れがあります。思い出や過去との比較から苦しみを生む原因にもなります。勇気を出して、お墓でなくても、納骨された方が現実を生きることにシフトし易いということもあります。今すぐでなくてもいいです。検討してみてください。
旦那さまの命はお子さんやあなたの中で形を変えて今現在も生きています。これは間違えないこと。
不安になる時もあります、そんな時こそ、手を合わせ旦那さまを思い、声をかけてください。
質問者からのお礼
正念寺様
回答ありがとうございます。
心の交通事故と聞いて少し楽になった気もします。
お墓にあまりこだわりがなくどうするか迷い中 なんですがちゃんと供養できるようしたいと思います。
こんな私をまともと言ってくれて少しびっくりです。
円通寺様
回答ありがとうございます。
子供は生きようとしているのは日々の生活のなかでとても感じます。まだ小さいですが上の子は意志疎通が出来るので前しか見てないし進んでいくことしか考えてないのを感じますし、凄いな~って思ってます。
パパには会いたいけど死にたくはない
パパっ子だった子供がそう言っていました。
遺骨のことも分かりやすくアドバイスをしてくれてありがとうございました。一回忌までまだあるのでゆっくり考えたいと思います。
パパが死んだとき私は子供に
パパは死んじゃったけど〇〇の心の中にずっといるよって自分にも言い聞かせるように言ったんですけどその言葉がお坊さんから聴けてよかったです。ありがとうございました。
常在様
回答ありがとうございます。
すぐに編集してくれたみたいですが編集前の回答も偶然見ました。
やはり自死は苦しむんですか、、、
ストレートに書いてくれてありがとうございます。
話をきかない私になにも言うことはないのにわざわざ時間をさいて回答をくれてありがとうございました。
もし私だったらそういう相手には何も言わずシカトしてしまいます。
やっぱりお坊さんって優しい方なんですね。