成長の仕方
こんにちはななみです。
何をするにも緊張します、自信が持てません、ずっと子供のまま
人はどうやって成長するのでしょうか?
体は食べて飲んで寝れば勝手に成長します、でも心は?精神はどうやったら成長するのでしょう?自分は体だけ成長して心、精神はたぶん小学生の頃のままだと思います。
小学生の頃のイジメが原因か人が少し怖いです特に同い年の人、よく先生に怒鳴りながら怒られてたので大きい声、怒鳴る人間がめちゃくちゃ怖いです。
自分は今働こうとしています、もし働けたらいろんな人と関わることになりますめちゃくちゃ怖いです。
自分でもこのままじゃダメだと思っても面接に行って面接してくれる方と一対一になるとめちゃくちゃ緊張します、面接終わった後なんか喉がカッサカサになるくらいです。
精神的に成長したいですでも成長のしかた成長のさせかたがわかりません、どうやって心、精神は成長するのでしょうか?
一分一秒を無駄にしてると感じている
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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成長とは何なのか?
成長って不思議ですよね。
多くの人が、成長はしなければいけないものだと思っているかと存じます。
何故、人は成長をしなければいけないのでしょうか?
何かができるようになるため?
何かを獲得するため?
私も成長しなきゃ、成長しなきゃ、という衝動に駆られて成長を追い求めた結果、スキルやできることが増えても
心は成長するものではないということがわかりました。
成長欲は大きなドライブになりますが、心の観察の妨げになる場合もあります。
この「成長至上主義」ではない世界があることを認識することが大切であるとも思います。
成長ではなく「捨てていく、放していく」という世界があることを仏教によって学びました。
心や精神というものに対しては、「成長」という言葉よりも「観察」という言葉の方がふさわしいかもしれません。
どんな経験をしても、怖いものは怖く、辛いものは辛いです。
心や精神は、成長して何かできるようになるというわけではなく
心は、自由自在に変化する捉えがたい存在である、ということを認識した方が
怖さは楽になるかもしれません。
心は同時に、楽しさや幸せも感じられるように出来ています。
同じ世界でありながらも、幸せを感じるシャッターを開けられるか、恐怖を感じるシャッターを開けるか。
その違いだけなのかもしれません。
少なくとも、恐怖を観察出来ているななみさんは、心の観察が出来ているように思います。
小学生位の精神性、それはそれで素晴らしいです。
純粋無垢な、その心こそ、ななみさんの宝であると私は思います。
成長というのは、評価軸が変わることを指すのかもしれません。
右肩上がり至上主義からの脱却が、人生をより素晴らしいものにしてくれるかもしれません。
ななみさんなら、いつか怖さも楽しめると思いますよ。
物事の真理に目を向ける
叱られること嫌ですよね。私も嫌です。
でも、叱られてもそれはその人から見てその行動がアウトだったというだけ。
人間的に否定されたわけではありません。仮にそんなことを言われたとしても、その人の価値観の中で言っているだけの話です。
大切なことは、他人の価値観、自分の価値観、思想に振り回されないことが大切です。「大人」とはダイニンと言います。つまり悟った人。物の真理を見極めた人です。
世の中の多くの人は大人にはなりきれていない人ばかり。自分の強い信念や価値観をもってそれに従っていろいろな人とぶつかりながら生きているだけです。
あなたは、そんな中で本当のダイニンになるべく、修行したらいいと思います。物事の真理、ジブンとは何かを追究し見つめることです。
人の価値判断、好き嫌い、損得以前の事実、リアルに眼を向けることです。
思いより先にある事実。そのことに気づくと人の考えに振り回されることはなくなるでしょう。それはそれとして、強く生きる力が付くし、どんな環境にも柔軟に対応しながら自由に生きることができます。
仏道はそうしたことを実践から学ぶ道であります。自分が救われ、周りの人まで幸せにしてしまうほどの力があなたにはあります。
禅を学び、実践しましょう。
想像することより先にまず行動。実践して体で感じるのです。
救いはあなたの眼の前にあります。充たされていないという思いに振り回されているだけですから。
人にどう思われているか、どう評価されているかは問題ではないです。
あなたがやる仕事のクライアントが信頼してくれること相手のために尽くせることそういう気持ちが大切なのです。
結果は自然と後からついてきますから。結果を求め目標にせず本質を見抜く力をつけていきましょう。気になったらまず、私のホームページやSNSをチェックしてみてください。
正しい繰り返しによって少しずつ成長する
体は成長するといっても、その後は年老いて病気になって死ぬだけです。花が種から花開いて萎んで枯れるのと変わりありません。植物は土に還り、体も、埋めて土に還したり、焼いて、しかし骨を土に還したりします。そうやって何度も生まれては死に、生まれては死に、を繰り返しています。成長?ただのサイクルですね。これは植物や体という物質の話です。
動物や人間には、心もあるようです。体を使って、一人ひとり、それぞれ、いろんな行動をします。その生命としてうまく生きていくために、学びます。動物なら獲物の撮り方を学ばないと、そしてそれで成果を上げないと、すぐに飢え死にします。人間も、仕事をして対価をもらえる程度の学びをしないと、そして、卒業したら働いて食べないと、すぐに飢え死にします。
この学びが、大事なのです。まずは、とにかく教えられるとおりに学ぶ。知識を吸収する。それから、自分の頭に入ったかどうかを試験でもして確かめる。最後に、特に技術などは実際にできるかどうかをやってみる。仏教でも、このように学ぶべきと言っています。聞・思・修と言います。
学びのコツは、分かるまで、できるまで、何度でも繰り返す、です。最低限必要な読み書き計算と、後は、やってみて合わない、なかなかできない分野ならあきらめて他のより簡単にできる分野を学びます。
うまくやるためには、ある一点に集中する力と、同時に、目の前に起こってくるいろんな出来事をその都度テキパキとこなす力が、両方必要です。昔のゲーム機のモグラたたきのような能力です。どちらも、繰り返しによって育ちます。飽きたなあ、とか、つまらないなあ、ではなく、これをきちんとこなすのが自分の仕事だと、繰り返し身に着けるのです。
悟りを目指す修行も、繰り返しです。師匠に教わって、ただ座ったり、歩いたり、目の前の現象を捉えようと集中したり、悟るまで何度でも繰り返します。
悟れなければ、そのうち体は死にますが、心はまた何かに生まれ変わって、新たな生を繰り返します。
巧みになるまで繰り返し学び、人と接する中で、育て教えてくれる親や先生への敬意、仲間やライバルや伴侶とのお互いの敬意、子供への責任感、などがきちんと生まれるようにします。善悪の道徳を心に持つことは必須です。本能的に分かりますから、これは悪いからやらない、これは善いからやる、などと心を磨くことも繰り返します。
質問者からのお礼
お礼が遅くなってすみません。
自分なりにお礼の言葉を考えてたら遅くなってしまいました
子供っぽい今の心、精神はそのままに観察して、悟り、見極めダイニンになる……ダイニンに俺はなれるでしょうか?頑張ってみます。
邦元様
小野常寛様
藤本晃様
ありがとうございました