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自分の失言を過度に後悔してしまいます

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有り難し有り難し 22

昔から人と会話した後、一人になるといつも自分の発言を後悔します。

「もっと言い方があったんじゃないか」
「つい言った一言が相手を嫌な気分にさせてしまったのではないか」

など、考え出すとキリがなくなって気分がと物凄く落ち込みます。言ってしまったのは自分で、悪いのも自分なので誰のせいでもないですし、その会話の途中で直ぐに謝る事も出来ずもやもやしてしまいます。

自分の失言に対して相手はそこまで気にしていない、との言葉をよく見かけますが、私は、相手に失言を気にしているかどうかすら確認出来ない程口下手で臆病です。

先程も、グループで課題を割り当てる際に早いもの順で決めていったのですが私が選ぼうと思っていたのを先に取られてしまい、全て決まってから、

「○○とられた〜、いいなー」

と半分冗談の様に笑いながら隣の人に言ってしまいました。その人はまだ交流があるので良いのですが、その近くにいた同じく私が選ぼうとしていた課題を選んだ人はそこまで親しい訳でも無いのに、こんな心無い発言を聞かせてしまって嫌な気分にさせたのではと今とても落ち込んでしまっています。

わざわざ後で謝りにいく程の事では無いかと思うのですがそれでもその人や周りにいた人達に不快な思いをさせてしまったのでは、陰口を言われているのでは、嫌われてしまったのでは、と頭の中で堂々巡りしています。

この様な事が日常的にあるのですが、何かいい気持ちの切り替え方や、失言をしすぎない心の持ち方などありましたらご教授いただけると幸いです。

2021年10月25日 12:07

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失敗がないと人生を失敗する。失敗と気づくは成長の過程と考える

拝読させていただきました。

咄嗟に出てしまった発言は時間と同じで戻せることはできないものですよね。

「脳で思考したこと」を発言しないことを意識することで改善につながります。
また、反射的に反応することに鈍麻していることもあります。この鈍麻は自身でも自覚していかないと気付かないものです。人は誰しも何かしらあるものです。いわゆる一つの「癖」と捉え自覚してみてください。

“人は癖はあって四十八癖、無くて七癖”
と、昔からいうように人には日々の積み重ねる経験に癖が付いていきます。この癖とは一つの習慣性ともとらえることができますので「良い・悪い」はありません。
モノマネされる芸能人などは、癖を真似られているものですよね。

生きていくということは迷惑をかけたらダメと思うのではなく、生きるということは何かしら迷惑をかけるものだから、他人から迷惑行為があったときに許せる感性を気付かせてくれたととらえてもらえればいいと思います。

タイトルで記しました
「人生に失敗がないと、人生を失敗する」精神科医・随筆家である斎藤茂太 氏(1916-2006)の有名なお言葉です。
人生には、人々と出会い、経験をしていく中で、これからの人生に必要な授業(経験)だったのだと思うことがこれからも幾度とあります。

咄嗟に反応してしまうのは「頭(脳)」で感じたことであり、「心」で思ったことは行動に人は移るものです。脳で感じたことを喉もとから口に出すのではなく、喉もとから心に一度置き換えてから口に出すことを可否していけば変化していくと思います。

他人から悪く見られているのではないか?と意識していますが、実は相手は瞬間的なものです。相手に遺恨的な発言でなければ、こういうキャラなんだと感じてもらえるものです。時には険ある言葉も人生には武器になるときもあるものです。
釈迦は
「沈黙する者は非難され
 多く語る者も非難され
 少し語る者も非難される」
と、真理を説いてくれています。
ようは、どの時代においても文句(非難)を言われない人は存在しないと言うのです。だから、私だけが非難ゴーゴー浴びていると思わないことが大事です。
肝心なのは非難に遭わないようにするには、失敗があったときに自覚しながら発言を慎んでいくことが善となり、苦悩はその人には訪れにくいということです。

参考程度にしてくださいませ。

合掌

2021年10月25日 22:12
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。
ついぐっと落ち込んでいた気持ちも戻り、冷静になって拝読させていただきました。
頭の中では分かっていても、実際自分以外の人から直接言葉を頂く事で安心することが出来ました。お忙しい中ありがとうございました。

「コミュニケーションの悩み」問答一覧

伝えるのが真心か、伝えないのが賢さか

怪我をしてしまい、治療院へ約2ヶ月ほど前からお世話になりました。 その院は門前の仲見世通りにあり、初夏に新しくできたばかりでした。 怪我した当初は、適切な処置で仕事を休むことなく大変良かったのですが… 一向に治療が終わる気配もなく、次、また次の予約で、施術や接遇マナーについても少々気になる点はありました。 例えば、相手に接している間に業務連絡や他の患者さんの所へ行くなど、その場を離れる時は必ず手を離す前にひと声かける、一連の動作の中で、なでる、トントンとたたくなど、患者の心身の緊張を緩めるための手の置き方があるのですが、元々痛めた部分を拳で普通に叩いて響いたり、単純に重くのしかかるだけの雑に感じられる置き方、などの違和感です。 治療学を学びに学会へ参加したり、手技を生業としていた自分の中で経験者として備わった常識との隔たりに、日に日に不信が膨らみました。 ある日、施術中に「今度、ハロウィンの仮装をするんです」と他の患者さんへ話す声が耳に入りました。 怪我直後は応急処置に助けられた反面、ずっと長々通ううちに質が薄れていき、施術や接遇マナーに疑問が生じていた矢先でしたので ハロウィンの仮装をした治療家に、お預けするのは気が進まず、理由は伏せて「卒業」を告げてきました。 大変残念そうな感じでしたが、寺院や大きな神社のある門前町の仲見世に院を構え「地域の人々に貢献する」という建前と、施術の質が伴わないこと、治療行為と仮装(仕事と遊びをごちゃまぜにする)が受け入れ難かったこと 真心が手から伝わらなかったこと それらを伝えずに去ったこと、それで良かったのか、時々心に浮かびます。 年代は20代前半の方ばかりで、患者さんを集める能力や、予約に繋げるノウハウがあることはわかります。 ただ、肝心の施術の質が…(あくまで私の感覚ですが) 繁忙してくると何か大切なものを忘れてしまう…、応答もマニュアルがあることが察せられますし、一生懸命なのはわかりますが 驕れる者は久しからずに思えてなりません。 (クリスマスケーキを売るために、商売人がサンタの格好をするのはわかるのです) プロフィールにも書いた通り、志もあるので、今回のことは学びに繋げたいと思います。 下手にクレーマーになるよりは、それで賢明な選択だった、大人になった、そうけじめをつけたいです。

有り難し有り難し 9
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師弟関係でいつも同じような壁にぶち当たる

お世話になっております。 自分自身と習い事の先生との関係が昔から同じパターンを繰り返しており、少し苦しくなってきたので相談させていただきます。 私は4月から大学で教えるようになり、自分の未熟さ、ダメさを思い知らされると同時に、先生といえども完璧な人などいないし、皆、弱さを隠して生きてるんだな、だから誰に対しても完璧を求めるのはやめよう、と思えるようになりました。 私自身は、これまでピアノの個人レッスンで、芸術的には尊敬できるけどすごく癖の強い、モラハラとも言える先生に師事したことがあり、そのモラハラが嫌になってやめてしまったことがあります。ピアノそのものの技術的なことをほとんど教えてもらえず、人生教訓的な話や、愚痴や、私に対する否定発言が増え、辛くなってしまったからです。 そして今は、ピアノではないのですが、あるスクールに生徒として通ってます。その先生が、普段はすごく優しくてピュアな心の人で、レッスンも楽しいのですが、時々、私の性格や生き方をバッサリと否定する発言をしてくるようになりました。といっても、根拠なく言ってるのではなく、私のレッスンでの取り組みや発言から、私の弱さを見抜いているようで、全く的外れではないのですが、お説教のような、やや脅しのような発言が増えています。モラハラとまではいきませんが、なんだか以前のピアノの先生との体験を思い出し、息苦しさや威圧感を感じます。この先生は、教えるべきことはちゃんと教えてくれているので、前のモラハラ先生とは違います。でも似ているところとして、どちらの先生も、実は自分に自信がなく小心者なところ、そして、私が何気なく言ったことや質問に過剰に反応してムッとするところ、私が反論すると気を悪くしてその場からいなくなること、など。つまり、ちっちゃい奴らなんです。どちらも男性なのですが。 私はなぜいつも、ちっちゃい先生を引き当ててしまうのでしょうか。私は確かに質問が多いですが、先生というのは、質問されるのが嫌なのでしょうか。それでも、今の先生にはまだ教えてもらいたいことがたくさんあるので、今去ることは考えられません。完璧な人間などいないとわかってますが、こういう先生と、教わるべきことを教わりながら、どう関わっていけばいいか、ぜひアドバイスをお願いします。

有り難し有り難し 7
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せっかちな老人

私の仕事場の老人ホームに、認知症ではあるのですが、食事やトイレ、歩行も自分でできる方です。女性です。先日業者による床清掃があり、その方にもちゃんと説明をして、3時まで終わらない事も伝え、それまでは別のフロアーに移る事も伝え、本人もわかったと返事をくださり、一緒にフロアーを移りました。すると1分もしないうちに、まだですか?と尋ねてくるので、同じ事を説明し、待ってもらいましたが、また、まだですか?と尋ねてこられ、今度は少し休みたいと言うので、自分の部屋ではないけれど、誰も使っていない部屋を用意したのですが、自分の部屋じゃないと騒ぎだし、落ち着かなくなったので、1人の職員が老人と一緒にその場を離れ、違う場所に歌ってもらい、そこでもまだですか?横になりたいと、騒ぎだし、職員も手におえないほどになってしまい、1時間早く床掃除も終わり、老人を自分のフロアーにもどし、お茶とおやつを食べていただき、なんとか落ち着いてもらいました。そこへ、私があまりにも1人で騒いでいたのを知っていたので、老人にどうして、静かに待ってもらえなかったのですか?みんな静かに待っていたんですよ、と伝えると、じゃ私が悪かったのねと言うので、思わずうんと言ってしまいました。すると、わかったよと大声を出し私に手を出してきたのです。あなたが1人で騒いだ事によって、1人の職員が、休憩も入らず、ずっと一緒にいてくれたんですよと伝えあまりわがまま言わないで下さいと伝えると、私がわがままなの?と言い、そうだよともつたえました。みんなと一緒に静かに待っていてくれればこんな事にならなかった事も伝え、迷惑をかけた職員に操ってきました。なので、ちゃんと謝ってくれて、ありがとうねと言葉をかけると、あんたはあっちいっててといわれ、私の事をすごい目でにらんでくるのです。その老人はこっちからの話しを理解できない人ではないし、せっかちな所、わがままを言っている事に気がついてほしかったし、少しでもいいので、そういう所を治してほしかったので、ちょっときつめに言ってしまいました。普段は職員に甘えてくるし、他人には嫉妬してくるし、自分の言った事をすぐにやってほしい人なので、なんでもハイハイと聞いてしまった所もあるので、ちょっと甘やかしてしまった所もあり、自分のわがままを全部聞いてもらえると思ってしまったようでせっかち待てないわがまま対処対策願います

有り難し有り難し 25
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ