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四十九日

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9月に主人を亡くしました

亡くなり葬儀まで3日間、我が家で夫婦水入らずの時を過ごし、その後家から運ばれる時には寂しくて辛くて、もうすぐ大好きな主人の顔を見ることも触れることもできないという事実に絶望でした

荼毘にふし、遺骨を祭壇におき、御花と御供え(お菓子や飲み物)を毎日して、毎日お話したりしてました。

葬儀が終わり、周りの家族が私にかわり四十九日法要の手配や納骨の手配をしてくれました。(先祖代々のお墓があり、そこに納めます)

四十九日法要のやり取りや、仏壇等の準備をしている時は『主人の為に』と少し前向きになれていた気がします

ですが、お墓に名前が彫りおわりましたと写真付きの連絡をもらい、それを見た瞬間に
『あと1週間で主人が家からいなくなっちゃう』と悲しくて涙がとまらなくなりました

お墓に掘ってある名前が、主人の新たな家の表札の様に思えて、もう私と一緒にいないんだという気持ちになりました

納骨なんてしたくない
ずっと私の側にいてほしい

だけど、四十九日法要の為にみんな動いてくれていて、あと1週間なのに今更納骨したくないなんて言えません
(手元供養で小さな骨壷やペンダントはあります)

御墓に納めた後は、主人はもう側にいないのでしょうか?

とっても優しい主人だったので、私が悲しんでいたら、前向きに生きれなかったら、主人は成仏できないのでしょうか?

主人の為に前向きに成りたいと思う気持ちはありますが、何をしていても虚しくて早く主人のもとへ行きたいと日々思います
(自殺願望はありません)

私はどんな心持ちで四十九日法要を迎えたらいいのでしょうか

私は主人の為に何かしてあげれますか?

長々と読み辛いことと思いますが、よろしくお願い致します


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

骨より胸の内

>御墓に納めた後は、主人はもう側にいないのでしょうか?

そんなことないよ。
真宗では『往生』といいます。
喪失ではないです。

私の寺では無理に49日と決めず、家族がもう大丈夫というまで手元に置いてもらうようにしています。
49日よりも早く納骨を希望される方もいます。様々です。

といっても喪主の意向や地域、宗旨の違いもあります。それは仏道の習慣でなく人の都合で整えられた習慣ですから、違う視点から回答します。

お釈迦様は亡くなる前に『肉体は父母より生まれ食によって保たれるものだから滅びるのは仕方ない。でも教えは滅びない。これからは肉体ではなく教えを依りどころとせよ』と話されました。
納骨するのは骨でありご主人さまの全てではありません。

私は生前のお釈迦様や親鸞聖人に会ったことはありません。
でもお釈迦様や親鸞聖人の心は消滅することなく令和の私のところに至っています。

ご主人との思い出、ご主人に支えられた日々、ご主人からもたらされた恩恵は遺骨でなく、ポンさまの胸の内に在るものです。
墓(ハウス)に眠らせるものでなくポン様の心の中が住処(ホーム)です。

主人さまのところに往くことだけでなく、ご主人さまが還る居場所をご自身の中に用意することもポンさまができることです。

49日はまだ泣いてていい、悲しみに浸っていいと私は思っています。
それだけご主人さまの存在は大きいものだったんですよね。
100カ日法要を卒哭忌といって涙から卒業する節目ということもあります。
単なるカルシウム以上の意味があるとはいえ、骨だけが全てではありません。

ご主人さまの『存在』の往く先は墓でなくポンさまの胸のうちです。
心のフィルターに大切に留めてくださることを願います。

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現代の遺骨は遺品の一つ

と考えてよいと思います。
 49日法要の時に墓に収めようと言っていたのは、まだ野焼きで骨髄など残り衛生的に問題があるので、なるべく早く土に戻そうということでした。
 今は、お骨はカラッとカルシウムだけ残り、とても衛生的です。しかも、釈尊のお骨もみんなが欲しがったように、大切な人の体です。普通の遺品よりも重みがあります。気が済むまで、お手元、枕元に安置してよいと思います。
 拙寺では、今どきはご夫婦二人分揃ったら納骨しましょう、と言っています。仲の良い伴侶は、やはり一生の友です。もう気が済んだ、と思えるまで、お手元にある方が精神衛生上善いと思います。
 ご家族、ご親族にお気持ちを伝えてみてください。
 納骨するまで魂がさまようなどということはありません。心は心で、亡くなるととっくにどこかに生まれ変わって頑張っておられます。お骨は、遺品の一つです。

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宗教儀礼は故人の「人生の節目」でもあります。

 ぽんさん。私なりに拝察いたしますが、あっという間にご主人との別れから日々が過ぎましたよね。川が上流から下流へ自然と流れるように、そして記憶が渦巻くように、大海へ・・・。これは事実、不可逆なのです。
 ご主人との決定的な別れ、その初めは、医科の先生が「死亡診断書」という紙で行政に証明しますが、実際には・・・、奥様のこころの中で自明に生き続けていますよね、一緒に。そして、ぽんさんにとって、ずーっと心の根底に流れる川の水源にはご主人の存在があるのだと思います。
 私も他の回答ではここまで文学崩れのようなことは書かないのですが。何かと私も感慨深いのです。正直、納骨を先延ばしにされる方も中にはいますよ。だから、言いづらいかも知れませんが、先延ばしにするのも実際的には可能でしょう(不可能ではないということ)。でも、あくまで「先延ばし」であって、もっと苦しくなるのかも知れません。心理学用語に「対象喪失」という言葉があるそうでして、まさにこれを受け止める日々にあるのだと思います。不愉快にお感じになるのかも知れませんが、仏道の法事の習慣というオーソドックスなレールに乗らせてもらって、節目節目をしみじみと味わい、ご主人との思い出を振り返りつつ生きる。
 ぽんさんがあすに生きるためのご主人からの課題なのかも知れませんね。回答らしくなくて申し訳ありません。読み物として何か感じとってもらえれば有り難い限りです。決して、ご無理だけはなさらないように、選択肢は閉じられたものではないですよ。

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質問者からのお礼

泰庵様

納骨してしまうと、主人が私の元からいなくなってしまう気がしていましたが
『私の心の中が住処』と言っていただけて、主人はこれからも私と共に生きてくんだと思えました。

ありがとうございました。

清水 光明様

様々な法要を主人の為に行いながらも、その不可逆的な流れに私の心が追いつかず、今回質問させていただきました。

目の前の《納骨》という事にとらわれてしまいましたが、私のこころにいてくれてるんですよね。

主人を思い、日々を生き、再会した時に課題を渡せるように、私のペースでページをうめていきたいと思います。

ありがとうございました。

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