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供養とは

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10年前に交通事故で母が亡くなりました。そのあと、母の仏壇と独り暮らしだった父を姉が引き取っています。ただ、亡くなったときに姉と父と私と色々もめて ものすごい大喧嘩をしたのをきっかけに姉とは絶縁状態です。父ともほとんど連絡していません。姉の事は面倒を見てくれているのは感謝してます。でもそんな状況で10年たっているので 仏壇に手を合わせに行くことが出来ません。なので その代わりに毎年お正月に母と同じ干支をまつってあるお寺に初詣を兼ねて手を合わせています。それだけでは供養にならないでしょうか。私の地域では先祖崇拝の意識が高いので、供養が不足しているとよくないことが起こると言われたりします。私なりに今の状況で供養するとはどんな心構えでどんな事をすれば良いのか、、、
修行のお忙しいなか 質問を読んでくださり有り難うございます。宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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供養の仕方

質問拝見しました
お姉さんとは絶縁状態で仏壇にも手を合わせていないとのことですが、いつもお母さんの事を思って自分なりの供養しているとのことですが、それだけでも供養にはなっているとは思いますが、十分ではないでしょう。
お母さんの生前はお姉さんとはどのような関係だったのでしょうか?
いつも喧嘩をして口も聞かない関係だったのか。それとも喧嘩もする普通の姉妹だったのか。
どちらにしても、親なら姉妹仲良くして欲しいと思いますよ。
私も子供がいますが、いつまでも仲良くしていて欲しいと思っています。
それが親の願いです。

そこで提案ですが、怒られても なじられても追い返されても、仕方ないと思って一度お姉さんの所に行ってみてはいかがでしょうか?

姉妹そろって手を合わせてくれれば、親としてこれ以上の供養はないと思います。
お母さんの本当の供養をしたいと思われるなら、行動に移してみてはいかがでしょうか。

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私は日蓮宗 今治 寺町法華寺の住職をしております讃岐英昌(サヌキ エイショウ)と申します。 今現在 しゃべって話せる僧侶を目指し精進しております。
相談時間は基本30分とし、30分を経過すると一度、電話を切らせていただきます。

親子3人で分かち合えるのが一番なんですが・・・

何とかお姉さまと分かち合えることはできませんかね?お姉さんだってきっと、あなたと分かち合いたいという気持ちでいっぱいだと思いますよ。ご先祖様や亡くなったお母さまへの何よりの供養ではないでしょうか?姉妹なんですから、途中いろいろなことがあっても、分かり合えるように思うんです。それが二によりのお母さん孝行ではないでしょうか?ここは、あなたが我慢して、お姉さんごめんなさいと、謝ってみてはいかでしょうか?ご先祖様もお母さまも喜びますよ。ここにこうしてご相談されたのもそうしたご縁のように思えてなりません。「お姉ちゃん仲よくして!!」って。それ以上の供養ってありますか?
何故喧嘩になったのか、事情は分かりません。でも、後ろ向きに生きるよりは、未来に向かって新しい親子、姉妹の関係を築かれたらいかがですか?
本来仏教でいうところの「供養」とは意味が違うように思われます。 供養は、仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げることをいいます。日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多いですが、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともあります。本来は仏さま、教え、そして、僧侶と「ご縁」があった事を感謝する行為が供養ですが、私達がこうして生かされている「ご縁」を喜ぶ意味があるんですよ。
これは様々な命のご縁と関わり合いを持っているという事に感謝すればそれが供養です。
先祖や水子を追善供養の対象にされる場合は、「たたり」をなすような怨霊として、「先祖霊」や「水子霊」とよんでいます。供養とは、「尊敬すること」、「礼拝すること」、「尊敬をもって受けとること」
などの意味なんですよ。ご先祖さまやお母様に生かされている今の自分に感謝して精一杯生き抜くことがご先祖さまやお母様へのご供養ですよ。
皆様のご多幸を心よりお祈り申し上げます。
追伸
言いにくことをお話しいただいてありがとうございました。その家庭家庭で奥に秘めたいろいろな問題があるものですね。仏教は反省=気づきと感謝が基本だと思っています、そういう見地に立てば、あなたは十分にご自身を顧みられていますし、仏様やご先祖さま、お母さまから許され、愛されてますよ。
ご自宅で毎日感謝されることで十分に供養されています。
ご家族の皆様のお幸せを祈ります。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向きに楽しく愉快に生きていくためのヒントを自分自身も考え続けながら、また少しでも皆さんのお役に立てればと考えています。できるだけ、わかりやすく簡単にお答えしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。現在も整骨院をやっていますが、医療福祉関係の仕事に長年従事してきました。他に、知的障がい者施設の仕事に関わらせていただいています。また、イジメや引きこもりなど子どもたちのために何かできることがないか、現在模索中です。フリースクールをお寺で開講予定しています。仏教特に浄土学は死ぬまで研鑽だと思っていますが、居眠り専門なのが、課題です。

妻子を布施す

法華経には仏に妻子を布施すると説かれています。妻子つまり身内に仏の仕事の手伝いをさせると。
仏の仕事とは南無妙法蓮華経を世の中に弘めることです。あなたが南無妙法蓮華経と時を惜しまず声を惜しまず唱えることが仏の仕事を助けることになります。その姿がそのまま亡くなった方を供養する結果となるのです。これを因果倶時(いんがぐじ)といいます。
普通は原因が生じた後に結果が出ると言いますが、南無妙法蓮華経は原因と結果が同時に生じるのでお題目を唱えるあなたの姿はそのまま亡くなった方の成仏の姿になるのです。
どうぞこの機会に正しい方法を知り正しく供養をなさってください。

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「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

供養とは仏さまの恵みを分かち合うこと。

お気持ちをお察しいたします。お母さまを偲ばれて供養をされるお姿に感銘いたします。
端的に申し上げますと、供養とは仏さまの恵みを分かち合うことです。仏さまになられたお母さまを偲び、お母さまの思い出や業績を分かち合うことを供養と申します。
供養には、決まった形はありません。あなたさまが、初詣にお母さまと同じ干支をお祀りするお寺へ行って、手を合わせることも立派な供養です。
お父さまのことを思う気持ちやお姉さまとのことは、すぐに解決しようとせずに、ご自分の心が清浄であり続けることが、一番のお母さまへの供養となります。

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質問者からのお礼

私の気持ちを察して頂き、有り難うございます。2年前に私から電話しましたが拒否されました。説明不足ですみません。でも もう一度機会があればまた話してみたいと思います。感謝の気持ちを忘れずに。有り難うございました。

追伸のお言葉 有り難うございます。初めての質問で書き方が慣れておらずすみません。もめた原因も書いていませんでしたね。交通事故だったので多額の生命保険が入ったからです。私は分けてもらうつもりはなかったのですが、姉は昔から私に嫉妬心があり、生命保険も絶対に妹にあげたくないとむきになっていて、何だかんだと散々な文句の言われようでした。売り言葉に買い言葉で私も色々と言い返してエスカレートしていきました。結局 保険金は父が全部 受け取り、そして全額 酒やスナック通い ギャンブルなどで使いきってしまいました。四十九日までの法事では姉がやりたい放題で私はずっと文句を言われるか無視されるかで辛かったので、お金を使いきった父を軽蔑し、ケンカしながらの法事のやり方をした姉にもずっと嫌な思いしか向けていませんでした。2年前に拒否されても気にしていませんでした。でも10年の節目に、皆様のアドバイスを読んで、やはり私にも悪いところもあったし、感謝の気持ちも足りなかったと気づかされました。こんな相談 人には言えなかったので、今回 皆様のそれぞれのお言葉、本当に有り難く思っております。

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