祖父の死と身近な人の死への恐怖
こんばんは、夜分遅くに失礼します。
27歳女、一人っ子として生まれました。
父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。
現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。
本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。
数年前に最愛の祖父を亡くしました。
遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。
ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。
亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。
なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。
この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。
いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。
両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。
仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、
27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。
どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。
どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。
他人に勝手に期待する、その期待に応えてくれない(と感じる)と、勝手に落ち込む傲慢さ
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死ぬことがわかる事で・・・
九州の小魚さん、こんにちは。
死ぬ事が恐ろしくなったのですね。
素晴らしい事です。人間は必ず死ぬのですが明日自分が死ぬ事を多くの人は実感していません。明日も生きていると思っているからです。もし自分が明日死ぬとわかっていたら、嘆き悲しんで時間を使って死ぬよりも、少しでも時間を有意義に過ごせるように寝ずにでも、できる限りの事を全力ですると思います。その気持ちで人生を生きればどれだけ充実した人生になる事でしょう。ほとんどの人たちは自分を永遠だと錯覚して時間を無駄に過ごしているのです。
お釈迦さまも同じでした。王子さまの時に、死ぬ事が恐ろしくなって、信仰をはじめ、僧侶になったのです。そして厳しい修行で悟った事は、みんな素晴らしい心を持っているのに、迷いで苦しんでいるのだと気づいた事です。死ぬ怖さも同じ迷いなのです。今を精一杯生きていれば、怖い事を忘れていくのです。
小魚さんもその悟りへの道の第一歩に入ったのです。お互い、一緒に仏教を学んで死の怖さを乗り越えて行きましょう。合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
私が泣いてばかりいることで、祖父もきっと不安になるし 両親もきっとそうだと気づけました。やはり失う怖さはまだ有りますが、その時が来ても少しでも後悔をしないよう
真っ直ぐ自分にできることをきちんと行って、胸を張れる人間になろうと思います。