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修行に行った彼。仏教が憎いです

回答数回答 2
有り難し有り難し 40

閲覧ありがとうございます。

自分の中で仏教に対する憎しみ(逆恨みのようなもの)があり、どう付き合っていけば良いのかわからず、
ご助言をいただければと存じます。
仏教に帰依する方々が集う掲示板でこのような質問をしてしまう非礼をどうかお許しください。

私は現在20代前半の社会人で、学生時代からお付き合いしている彼が雲水修行をしております。
その彼に対する恋愛感情、会えない時間に対して、
修行のせい、仏教のせいと思ってしまう自分がおり、苦しく思っております。

彼の実家はお寺で、彼は跡取りとして育てられました。
お寺の跡取りを嫌がり逃げ出す御子息も多いと聞いていますが、彼は特に抵抗もなく入山いたしました。
ただ、話を聞いていると本気で仏教の道を志したい、解脱したいといった様子ではなく、雲水修行も住職になる資格を得るため、嫌々入山したようです。

私がここで仏教に対し敵対心を持ってしまう理由として、以下の2点が挙げられます。
①彼のように生活のために嫌々修行を行う人間が多く(もちろんハスノハの皆さんは違うと思っております。回答を拝見する限り、仏教への信心がとても伝わってきます)、修行が形骸化している。
②寺を継ぐことを期待され、他の道を選べなかった彼への感情(日本の仏教が廃れないように世襲制のような形へ発展していったのは理解できますが、子供の人生を縛ってしまう点が気になります。また、義務で修行を終えたような人より、本当の意味で修行をされた方がお寺を継ぐべきと考えてしまいます。そのような現在の仏教のあり方にも憎しみを感じてしまいます。)

特に①について、形骸化した修行のせいで彼と引き離されているというような逆恨みの感情があります。

彼とは結婚を前提にお付き合いしており、入山前にはご両親にもご挨拶をさせていただきました。
しかしながら、仏教を逆恨みし自分の目の前の感情しか見えていない私がお寺に入ってやっていけるのかと苦悩しております。

特にこういったクリスマスなどの時期、カップルを見るととても寂しく苦しい気持ちになります。
彼に会えない、形骸化した修行のせいで…と被害者面をし、自分の寂しさに対し仏教へ責任転嫁をしようとする愚かな自分がいます。

こんな自分が嫌です。
何かアドバイスを下さい。

2021年12月24日 12:57

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

有り難うございます

拝読させて頂きました。
あなたのお気持ち読ませて頂きました。あなたのご質問は本当に有り難く感じさせて頂いております。有り難う御座います。そしてあなたのお気持ちとてもよくわかります。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
立場は違えども私もあなたの様に仏教やお寺が大嫌いでしたし、とても憎んでおりました。修行が嫌で嫌で仕方がなかったですから何度も逃げ出しました。私が修行したお寺は東京芝公園の東京タワーの下にある増上寺と京都東山の祇園の東にある知恩院です。どちらも繁華街の直ぐ近くです。本当にその本山のお寺に入ることが嫌でした。親からも祖父母からも言われて泣く泣く修行に入りました。
修行中はクリスマスシーズンもあります。修行でお勤めしている中でも東京タワーや東京プリンスホテルや他からクリスマスソングが聞こえてきます。お寺の境内では若いカップルが楽しいそうにデートしています。私達修行僧は外の人々とも一切会話することは許されませんし、俗世界から遮断されます。ただどうしてもそんな光景は目に入ってきます。カップルの楽しそうな嬉しそうな姿を見て本当に憎んで呪ってやりたいという情念が私の心に溢れていました。知恩院の山の中腹の宿坊の窓から眼下には夜の祇園の賑やかな光がまたたいています。その光景を見て何度も何度も逃げ出したいと涙したこともあります。
ですからあなたのお気持ち痛い程わかります。
あれから月日は流れて私は今仏教もお寺も憎んではいません。全ての人を救い導いて下さる拠り所として、信じて生きています。詳細は省きますが、私はそういう時やそういう気持ちがあってもいいと思っています。人生は本当に紆余曲折があり何度も間違いや失敗を繰り返し、本当に辛く苦しい思いをするものです。その様な辛く苦しい人生の中で仏教は生きる道や希望や目的を与えて下さいます。ただ昔それがわからなかったのです。それでも少なからず自分が気が付かない中でも仏縁があり仏様のお導きがあるのです。
あなたも今は憎いでしょうし、恨みも呪いもあるでしょう。それでもいつかあなたの中でも仏教やお寺を見直す機会や時が必ず訪れます。あなたにも彼を通して仏縁がもたらされているのですからね。
あなたも彼もこれからの未来を心から豊かに潤いに満ちた毎日を大切な方と一緒に安心して生き抜いいかれます様に切に仏様にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2021年12月24日 13:44
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「ファンシィダンス」

トロサーモンさま

周防正行氏監督の映画「ファンシィダンス」(本木雅弘氏・鈴木保奈美氏等出演)を是非ご覧に。

形骸化してます。はい。

まあ、あとは、実際に仏道に入った縁は様々にそれぞれであっても、結局は、真なる「発心」があるかどうかが問われてくるところとなります。

それにより、仏道を歩む姿勢、態度、考え方も変わり、真に仏道を歩む者となることだってありえないわけではありません。

とにかく、しぶしぶ、いやいやならば、「ストレス」が半端ないです。

そして、ほとんどがそんな感じな者たちなものですから、その「ストレス」がぶつかり合い、まあ、それはそれは醜い世界となることも。

ある意味でそれも「修行」です。

でも、癒やしや拠り所があれば、耐え抜くこともできるでしょう。

彼には、その癒やし、拠り所となっているのではないかと思いますよ。

きっと貴女さまの存在は彼にとって、今は相当大きなものでしょう。まあ、あと少しの我慢です。会えない時間があるからこそ、色々な有難みもわかるというものです。

先で坊守となられたならば、(真なる)仏教による力をまた色々な場面で実感なさられることもあるかと思います。あまり憎みすぎないように願います。(日本仏教における制度の問題は憎んでもよいですが。。)

合掌

2021年12月24日 13:14
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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

eishun様
ご回答ありがとうございます。
ストレスのぶつかり合いで過酷な環境となることもつらく感じます。そのような閉鎖的な環境が、数年前にニュースになったような暴行などに繋がることもあるのかなと考え過ぎてしまいます。
私の存在が彼の癒しになっているはずだというお言葉に涙が出ました。ありがとうございます。
結局仏教の形骸化はこじつけの理由に過ぎず、「彼を奪われた」と感じてしまっているのだ思います。
形骸化している、いないの次元ではなく、それが日本の仏教の現在あり方であり、理想を押し付けケチをつける自分の矮小さに気が付きました。
日本仏教を侮辱するような書き込みをしてしまい、大変申し訳ございませんでした。
視点を変えることができました。

この度は誠にありがとうございました。

Kousyo Kuuyo Azuma様
ご回答ありがとうございます。
修行中のクリスマスシーズンの描写、脳裏に浮かびました。きっと世俗から遮断された疎外感、羨み等、私の想像が及ばないところだと存じます。そのようなつらく苦しい修行を乗り越えられたことは本当に素晴らしく、大変なことであったと思います。本当にお疲れ様でした。
一番辛いのは修行中の雲水の皆さんです。それなのに私は自分の辛さばかりにフォーカスを当て、自分で選んだ道であるにもかかわらず、悲劇のヒロインぶっていました。とても視野が狭くなっていたと恥ずかしく思います。
正直に申し上げますとすぐに仏教への憎しみを捨て去ることは難しく、憎しみを捨て信心を持つ未来を想像できません。ただ、Kousyo Kuuyo Azuma様が仏教への憎しみを捨てられたエピソードをお聞きし、自分もいつかそうなれるかもしれないという希望になりました。つらくても大嫌いでも、私も仏教の勉強を重ね、いつかくる未来に歩み寄りたいと思えました。
この度は誠にありがとうございました。

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