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みんな大好き 論破やカネについて

回答数回答 2
有り難し有り難し 73

ひろゆき氏や堀江貴文氏のお金の考え方について。
今更ながら彼等の考えは間違ってはいないと個人的には思うが、お坊さんの立場では彼等のような人達をどう捉えているものなのでしょうか?

例えば、ごく一部引用すれば
ホリエモンは有り金なんて全て使え。そもそもお金なんて要らない。なんでお金が欲しいんですか?という考え。FIREなんてボケ真っしぐら。非常に同意。
仏教ではお金はこの世でだけのただのツールに過ぎない。という点でも合致している?

みんな大好きひろゆき氏はネットライブでみんなの質問に片っ端から論破し、たしかに間違った事は言っていないし同意。だが。。

お金が沸くシステムはとっくに確立され、日常生活は節約とほぼお金を使わない生活だそうです。素晴らしい。

両者ともお金に振り回されない考えは素晴らしいとは思います。自分には到底マネーできませんが。

現世は先の短いご老人方の既得権益(政治家含む)が間違ったルールを作って貧困者から血を吸う仕組みになってる為か、どうも若い世代にお金が行き渡ってないし、今後も同じ黒歴史を繰り返す事でしょう。

2022年1月24日 8:49

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「論破」にはあまり興味がありません

こんにちは。

あなたが挙げているご両名が、世論に一定の影響力を持っていることは存じています。「みんな大好き」かは分かりませんが、他者を「論破」する姿勢を好ましく思う人がいるのは事実だと思います。

ただ、私はこのご両名の言っている具体的内容を知りませんし、この先も恐らく聞くことはないでしょう。人生という限られた時間を何に使うか、そう考えれば考えるほどお二人の主張に割ける時間、優先度は限りなく低いです。そうですね、仏教を聞く時間、お参りする時間、家庭のことに掛ける時間、趣味の時間・・・具体的に考えるほどにご縁が無さそうです。

お釈迦さまは、人間はあればあったで悩み、無ければないで悩むものだと説かれています。お金、所有物、皆そうでしょう。自分中心にものを考え、自分を飾り立てんと苦悩する人間の姿は紀元前も、紀元後も全く変わりません。その根本的な苦悩について仏様と共にどう向き合っていくか、これが目下のそして人生全体の課題であり続けます。

議論は大切です。
意見を交換することは相互理解の第一歩ですから。

しかし、「論破」というのは、正「論」で相手を「破」るという行為です。正誤を明らかにする目的のものです。「論破」が「みんな大好き」というのは、この相手の誤謬をやり込めたことについての喝さいがあるからだと思います。

政治、経済、社会の在り方に議論があるのは大変結構です。

しかし、それは互いに成熟して高め合ったり、理解しあったり改善を図るために行うべきのであって、自らを正、相手を誤とする(時にそれは自尊感情を満たすという意味で中毒性を持ったものです)ために行うのは大変危ういことです。

それは、ともすれば、先の述べたように自らを飾り立てるためにする、いわばためにする議論になります。つまり、論理武装をすればするほど、ますます迷いを深めることに陥るという幣が「論破」には含まれていると思います(ただし、このお二人がそうだとはいいません)。これは「論破」する人も、「論破」を心地よく思う人どちらとも考える必要のある注意点だと思います。

これらの危ういバランスに自覚的になるために、まずは仏教は基本です。自らの煩悩の在り方を仏様に見せていただく必要があるからです。このため、私は「論破」する人にはあまり興味がなく、時間を割くべきとも思わないと申しました(字数制限)

2022年1月24日 10:29
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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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正論や正義の剣よりも 何だかよくわかんねぇけど癒される花🌸

正論を追求していくとどうなるか。
結局、論。言い分。主張。
もう少し言えば「そういう言語表現がなりたって周りの人は何も言えなくなっちゃうけどみんなが笑顔にはなってない」ということに尽きませんかね。(*´▽`*)
論としては立派なのです。
ディベートとしては実に優秀。スグレモノ。結果至上主義としても誰も文句は言わないものでしょう。
ですが、それが学校教育や家庭教育になるとなるとパパやママとしてどうか。
別にお金や論破力がなくてももっと人から好かれるのは何もつんつんしたことを言わないやさしいばぁちゃんだったりするもんです。
お金をいっぱい集めた人たちが豪遊するお店も結局は優しいことを言ってくれるおねーちゃんだったりすると、お金よりも偉大なのはやさしい癒しの力。お金払ってでも本心が欲しがっているお金では手に入らなかった本当の愛。やさしさ。
人間は自分を守る心があるからこそ、守るためにも攻撃的にもなり、バシッと正論・正義を突き付ける見事な武器やスキルも身に着けるようになる。
私は昔の坊さんが僧兵になったり、少林寺拳法とかイミフでしたが、中国や日本の昔の歴史を勉強したり、今の世界の現実を見つめてみると「防衛は必要だ」と考えを改めるようになりました。勿論、攻撃的なことはおかしなことです。ですが、世の中が悪意やご都合主義や独りよがりな正義やご立派で強大な偏狭主義思想に染まっていって、そっちの勢力が主流になっていくようなことがあったら、きちんとそういうモノよりも立派な精神できちんとした防衛を持たなければ、口の上手い権力を持った人間に世界中の良いものまでもが破壊されてしまうと感じました。
世のなかには誰だって正義の心や世直し精神を持っているアツい人がいる。あるいは、菩提心、求道心、救済精神を持った厚切りソウルな人もいる。でも、私の友人がそうでしたが、その正義心や世直し精神を不完全な主義思想に扇動されて、自分たちを守って、育ててくれたものに対してまでも攻撃的になってしまうようになれば、それはちょっと違うと思うのです。剣や刃は人を傷つける。ですが、花は人を傷つけない。せいぜい花粉症ぐらいなものでしょう。
どっちが前とか後ろも無い。存在自体が無常にして無我。もともと名も無く、相手を選ばず誰かを癒す。そういう活動、そういう存在に目を向けていく。すると、ん、論じゃねぇな🌼ということがわかる。

2022年1月24日 10:55
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

いつも丁寧なご回答頂き感謝致します。この質問について自分がフワッと抱いていた事を明確に言葉にして頂き霧が晴れました。また質問中「みんな大好き」というのは「?」を付けた方が良かったと自己反省してます。お察しの通り皮肉を込めて記しました。

◼️釋 悠水さま
「論理武装をすればするほど、ますます迷いを深めることに陥る」という回答部分には特にハッとさせられました(勿論、良い意味です)
基本は仏教。わたしも以前仏教を知ってから、知る前と後とは「全て」の物事に当てはまる、改めてホント日常に役に立つ教えだなと痛感しました。
でも日々わたしが目にする功利主義的な考えに心が揺らぐ事があり質問いたしました。基本は仏教。忘れそうになる前にまた読み返します。感謝致します‼︎

◼️丹下 覚元さま
「正論や正義の剣よりも 何だかよくわかんねぇけど癒される花」
なんて温かみのあるお言葉でしょう。本来誰しもある心なんですかね。
回答内容を拝読し我に帰りました。永久保存の有難い文章で感謝いたします‼︎
初心に戻り励みになりました。また一歩づつ歩んでゆきます。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

有り難し有り難し 12
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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

有り難し有り難し 10
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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ