旦那の自殺後、自分の人生
以前も相談させて頂きました。
心療内科にかかっていた主人が不倫をし許せなくて責めてしまい自殺してしまいました。
それから子供達と一生懸命暮らしていましたが、私はこのままでいいのか、また幸せになりたいと思っていました。
今年3回忌になりますがその前に彼ができ、私の親族には紹介し子供達とも良好です。
自殺してまだまだ悲しみの中にいる義理の両親にはまだ言えません。
3回忌が終わって少し経ってから言うつもりです。
薄情な嫁だったと言われるだろうか、不倫を許してくれればよかったのに、不倫される嫁も悪いと言われるだろうか、自分のことばかり考えてしまいます。
死んでほしくなかった、でも仲良く暮らすことは出来なかった。
私ももう一度幸せになりたい。
でも周りみんなが幸せになることはなく誰かが辛い思いをするのかと思うと憂鬱になります。
ここに住んでいる限り不倫相手とも会いますし辛いです。転勤族なので来年引っ越します。
心が落ち着かずにいます。
義理の両親を思うと苦しいです。
どのように考えていけばいいでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
新しい道をすすみましょう。
以前のご相談と回答も拝読いたしました。
ご自身で死を選んでしまうことは、亡くなられたご自身はもとより、身近な周囲の方それぞれに深刻な心のダメージを生じさせてしまう、とても悩ましいものです。
罪悪感でご相談者さまがご自身を責め続けても、お相手がおらず、許しを得るとか、理解されるという出口が見当たらず、心が彷徨ってしまいます。
この結果は、誰の責任でもなく、さまざまな状況が積み重なって起こってしまったことです。不可抗力です。ご相談者さまは、もう充分すぎるほど苦しまれました。
このままのお気持ちであることは、ご相談者さま、お子さま、ご家族さま、義理のご両親さまにとっても、良くないことだと思います。
3回忌という大きな区切りを期として、新しい道に進まれることが大切です。
新しくご縁と巡り会えたこと、転勤で引っ越されること、3回忌。条件が揃っていることがご相談者さまを後押ししています。
これほどの大きな罪悪感というものは、完全に無くなってしまうことは無いでしょう。新しく歩みながら、お悲しみとともに、お心を和らげていきましょう。
その苦を未来の糧に。
過去の相談文も拝読しました。私は新たな門出を祝福します。もう充分に苦しまれたでしょう。
故人の自死の原因は,当然ながらあなた様1人にはありません。故人の不貞や元々の気質など,多くの原因が重なった結果です。しかし,あなたの怒りの炎が故人を苦しめたこともまた事実でしょう。その炎がその後もずっと自他を苦しめ続けることも,もう経験されていますね。ご自身が幸せになることをためらうほどに。
その痛みを忘れないで下さい。この先,自他を苦しめることがないように,です。そして,あなた様の信ずる誠意に従い,故人のご両親に寄り添い,新たなパートナーと力を合わせ,子供たちと共に幸せな家庭を築いてください。忘れ形見の子供たちの笑顔が慰めとなる様に。故人も,きっとそれを望むと考えます。
故人のご両親が何を考えるかは分かりません。新たなパートナーのことをどの様に仰るかは分かりません。もし先方との関係で何か苦しむことがあっても,それは怒りの炎が,それ程までに苦しみを残し得るのだという学びの糧としてください。しかし先方の出方がどうであるかは関係なく,あなた様は覚悟を決める必要があるでしょう。故人の妻だった者として,あなた様が為すべきと考える誠意を貫く覚悟です。たとえ先方とあなた様との関係がうまくいかなくても,幸せな家庭を築くことが,故人の供養とも,ご両親の慰めともなるでしょう。その覚悟があなた様を守り,先へ進む勇気をくれます。
もし辛いことがあって抱えられなくなったら,またお話を聞かせてください。
どうぞ幸せな未来を。
大いなる容赦 人間世界の様相の大いなるながめ 人間みな同族
当時と今とくらべてあなたの人間性がどう変わられたかを見つめなおすとよいと思います。身と口と心の活動・行動・アウトプットをみつめなおしてみる。歌手が自分の歌声を聞きながら発声するように、自分が日頃行なっていることをやりながらもみつめる。瞬時の振り返り。即時のふりかえり。みつめ。見つめる事。自分がやっていることと、言葉、ここで記す言葉と、思っている事をちゃんと見る、みつめる勇気を持つ。
考え方の方向性や傾向、思うこと、いつもそういうことをイメージしてしまうこと。口にすること、行動。その習慣が変わらない限り、その苦しみからは救われないのです。
今もご自身でも書いておられるように自分の事ばかりをつい優先的に考えてしまうという哀しさが人間にはある。実はそれこそが問題なのでしょう。それが高まるとわが身を守るためには怒りや憎悪にもなる。時として人を追い込み、傷つける行為にもなる。あるいは、わが身を守るために安全ポジションを手放せないために、真実の向上がうまれないという悲しいループも生じる。仏教や仏道とは、そういうわが身可愛がりの心を離れるための教えであり、真の人間性の向上のためのアンチ・エゴ、アンチ保身の教えともいえます。ゆえに以下は我を捨てる覚悟で志を。
今もご自身でも書いておられるように「相手の家族にどうみられるか」ということをとっても気になされておられるでしょう。その心理はなぜ生まれるのでしょうか。どうして?どのように生じてますか?誰がそういう風に思わせるのでしょうか。どうしてそういう心がわいてくると思いますか?そんなこと考えたくないのにその心があなたの内側ですでに生じ、その心でハラハラする。それを禅では閻魔というのです。玻璃の鏡。真実の良心。エンマというのです。人間の本心は欺けないということでしょう。だって、自分がそういうことをやっていて、いざ法事の場であちらさん達と出会う場になると「気まずい」という心理が生じるのは正直な心情。あなたと旦那さんとの関係に何があったかは、存じ上げません。ここでは書ききれない言うに言えない「微細な」ことがあったはずです。ご自身は旦那さんの死後、二年で再婚。浮気と再婚は言葉も意味も全く違う。でも本質はどちらも優しい相手を求めたということ。やってることは同じ人間の様子。彼に向き合い彼を赦してから責めすぎて死に追い込んだことを改めて懺悔されては…。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
何度も読み返しています。
すごく弱い人と知っておきながら自分の感情をぶつけてしまいました。
罪悪感は一生残ります。
私が学ばないといけないことはきっと許すことなんだと思います。
なかなか出来ません。
でも頑張ろうと、思います。
考えさせられるお言葉、前に進む気持ちにしてくれたお言葉、ありがとうございます。
自分の人生を諦めずに生きていきます。旦那のことも受け入れていけるようがんばります。ありがとうございました。