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回答数回答 2
有り難し有り難し 18

数年前母が亡くなり、法要は父のみ行っています。お墓は地方(兄の家近く/既婚者)にあり、父がお世話になって帰ってくるのですが、お嫁さんへメールのお礼のみは失礼でしょうか

言い訳になりますが、兄弟の折り合いが悪く出来れば行事には参加したくないというのが私の言い分です  勝手ですみません


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

失礼なのかなと思う時点で、グレードアップして手紙を書きましょう。
誰かに言われて、ならいっか、の安易な納得はなるべくやめた方がいいもんです。

供養って、養うの文字にある通り「よくしていくこと」が大切なんです。
兄弟と何があったのかはわからないので言及しませんが、願わくはお母さんの供養として、兄弟との確執も「よくなって」いってもらいたいと思います。
分かり合えないまでも、一緒に母に手を合わせることができるくらいまで…

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれることができればと思います。 そしてこの縁によって仏教の良さを知って頂けるととても嬉しいです。

あなたのための法要ではない

亡くなった方のための法要です。
亡くなった方の事のみお考えなさい。
お母様を供養できるならあなたの思いなど、ハッキリ言ってどうでもいい。
何がなんでも供養したい。そのためなら我慢する。そんな必死さが感じられない。
法要にはたくさん人が集まります。しかし、法要がはじまれば亡くなった方と二人きり、一対一になるものなのです。心がお母様の方にだけ向いていれば親子水入らずになれるのですよ。

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有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

質問者からのお礼

ありがとうございます
手紙は、以前奥さんによくもらってたな・・と思いだしました
早速書いてみます。 母のお墓も見てもらっていることですし
少し気持ちが楽になりました  ありがとうございました。

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