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生への執着とはなんでしょうか

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以前読んだ仏教の本に、
お釈迦様は死への恐怖は、生への執着によるものだと悟った
と書いてありました。

では、なぜ生きるのが嫌になったとき、自ら命を絶つのが悪いことなのでしょうか?
失恋したり、仕事がうまくいかなかったり、自分のことが嫌いになって、いっそのこと死んでしまいたいと思うことはなぜいけないことなのでしょうか?

生への執着が悪いことであるなら、自ら命を絶つことは許容されるべきなのではないでしょうか?
こんなことをずっと考えてしまう自分が大嫌いです。助けていただけないでしょうか。

2022年2月7日 5:59

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今後の仏縁が深まることを願っています

こんにちは。

あなたが悩んでいることは伝わってきますが、お釈迦様の考えられたことについて少し整理する必要がありそうです。

お釈迦様は、自己中心に現実を思い通りにしようとする心の働き(煩悩)が、盛んになればなるほど現実との乖離に苦しむということを発見されました。平たく言えば、思い通りにしようとして思い通りにならない、これが苦しみの原因だと。

四苦八苦、とは、まさにその通りです。
ここでは、生老病死(四苦)にみに触れますが、いつまでも若くいたいと思うけれども老いなければならず、病みたくないけど病まなければならず、死にたくないけど死なねばならない。そして、その現実に生まれてこざるを得ないということが、有名な生老病死(生は生まれるということ)ということです。

あなたは、「お釈迦様は死への恐怖は、生への執着によるもの」という教えを説かれたから、「自ら命を絶つのが悪いこと」ではない、「許容されるべき」だという理解をしているようです。

少し言葉と理解の仕方に混乱があるようですが、お釈迦様は自らが必ず死ぬという現実を受け入れられないご自身の心(煩悩)と向き合って行かれたのです。自分と向き合っていく選択をされたのです。「自ら命を絶つ」という選択ではありません。

一方、あなたは「失恋したり、仕事がうまくいかなかったり、自分のことが嫌いになって、いっそのこと死んでしまいたい」と書いています。これは、表現を換えれば、自分が現実を思い通りにしようとして思い通りにならないから「死んでしまいたい」と言っているのであって、そもそも自分の心(煩悩)の働き自体に気がついていない状態のように見受けられます。つまり、現段階ではお釈迦様との死の向き合い方とは方向性が違うし、理解に差があるという状態です。

視点を換えれば、あなたはお釈迦様が気づかれたスタートラインに立とうとしている、とも言えます。是非、一度自分の縁のある宗旨の教えをじっくり腰を据えて学んでみてください。入門書籍を一度きちんと勉強するとだいぶ違いますよ。

今後の仏縁が深まることを願っています。

追記
お役に立てれば何よりです。
またご縁あったら質問してください。
一人で悩まずどんどん吐き出しましょう。
お大事に。

2022年2月7日 6:49
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おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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「我執」

タロウさま

仏教における誤解の一つにこの「執着」というものがあります。

正確には、「我執」と申しまして、この場合の「我」は、「実体」というもので、「実体執着」ということを仏教により対治していくことを目指さないといけないところとなります。

問題は、生や死、その他数多の個別的事象、個別的存在にあるのではなくて、生や死、それらを実体的なものとしてとらわれてしまうところにあって、それが故に生きようが死のうが、何をしようが、いずれにしても迷い苦しみになってしまっているということであります。

要は、本来実体のないモノ・コトであるにも拘らず、それらに実体があるとしての思考、行動そのこと自体が既に間違ったものとなってしまっているのであります。間違った思考、行動は当然に善いものではなく、大方、悪いものになってしまうため、業はいつまでも清らかにならずに迷苦輪廻をさまよう存在となってしまっているのであります。

この「我執」を打ち破っていくために必要であるのが仏教の智慧というものとなります。

真理を悟るための力であります。

そして、智慧の力を養っていくためには、「空」と「縁起」について、よく理解していくことが大切なことになって参ります。

生や死について考えることは別に構わないのですが、それらを実体的に捉えるのではなく、実体としては成立していないものではあるが、縁起として成り立っている、そのありようについて更に深く突き詰めていくことで、ではどうより良く生きていくべきか、生とは何か、死とは何かということが、更に明確に理解していけるようになるのではないだろうかと存じます。

是非、空と縁起という面からアプローチするようにして頂ければ有り難くに存じます。

合掌

2022年2月7日 10:06
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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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生と死はセットなので

どちらかだけを嫌ったりどちらかだけを欲しがっても、もう一つがもれなくついてきます。
 無常で刹那滅なので、すべての物事が一瞬しか続きません。生きられません。でも、ずっと続いています。ものすごい速さで生滅を続けて、生き続けているように錯覚しているのです。
 物質は原子や電磁波の器械運動なので今は措いておきましょう。
 心が繋ぎ止めている体は、水も食べ物も補給せずにほってほけば、一瞬ごとにこれも変化生滅し続けているのですが、一週間くらいで、体を保てなくなって死ぬはずです。
 しかし実際には、死にたくないし、のどの渇きや空腹が嫌で、食べて飲んで生き続けています。
 そんな生き方は嫌だ、と、自殺して体を無理に破壊すれば、何とか死ねます。しかし心が、本当は死にたくないので、また何かに生まれ変わります。心はこの体、この生き方が嫌なだけで、別の生き方が、本当は欲しいのです。その煩悩の力で、何かに生まれ変わります。
 悟った人は、生きることにも死ぬことにも執着がなくなって、しかし、体の寿命が残っていて、死にたい煩悩もないので、誰か他者のために生きてあげるのです。体の寿命が尽きたら、死にたくないとかまだ何かに生まれたいという気持ちがないので、それで完全に滅します。
 死にたい、は、あるいはこの生は嫌だ、は、煩悩なので、その強い怒りの心で死ぬと、次も良くない生になることが多いので、自殺しない方がいいよ、この世で解決するか、少しは成長して死んだほうが良いよ、と仏教では勧めています。

2022年2月7日 19:56
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おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
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だからみんな出家したりこの上ないことを求めた 僧とは勝友

「何か本当のことはないのか!?」
そういう疑問をもつ。
世の中なんだかおかしい。
狂っているのは自分だろうか?
そんな風に思える気持ちがあるものです。
そういう時こそが真実、真理、この世の最も大事なこと、この上ない価値あるものを求めるキッカケとなる良い機会・機縁だとおもいます。
当時、ビンボー学生で一人暮らしでコタツとギターといいちこの一升瓶と天下一品がオトモダチでした。
トイレも昭和の和式でしてね。お風呂もシャワーがないんですわ。
便所に悟りを開いた臨済宗曹洞宗のダブル印可をお持ちの「やりぬいた」昭和の禅僧のカレンダーや名言を貼っていました。何度読んでもイミフでした。
ところが、脳内優先順位が変わった時、それはスイスイ入ってくるようになった。
ある時、超絶イミフだった般若心経もわかるようになったとです。当時は「丹下は狂った」と思われていたでしょう。日記みたいに殴り書きした聖書みたいなのをもって大学の友達の集まりの場で「これこそが…」みたいな論を展開し始めたこともありました。死にたいことなんて何度もありました。でもそれも力にかわった。
(# ゚Д゚)こんなことで死んでたまるか!怒りが自分を救いましたね。怒りはエナジー。死ぬということを選択するぐらいならそれ以上のこと何でもできる!イノキ
そこで菩提心を発動、着火。
(# ゚Д゚)🔥どうせタヒぬなら悟りの内容を明らめちゃるわー!ゴゴゴ🔥
そこから図書館籠り。最初は仏教マンガから入りました。だんだん飽きてくる。もっとちゃんとしたこと書いてある本はないのか?理屈っぽい。
修行道場イクゾー!
親友の上野君と「前日から座り込もう!( ゚Д゚)(´-`)?」
勢いで筆頭組で上山。ですが待っていたのは私が求めていた悟りを求める場というより大学上がりの元気のイイ連中の我をへし折る為に体力を使い果たさせる場のような印象。同安居と調理場で先輩から隠れてタバコもらって料理酒を飲んでこんな話をしました。
「悟りとかって興味ない?」「…、なんだか、忙しくてそれどころじゃないよね…。」「そだよね…。」
人間には変な優先順位がある。アンタもシニテーと私と同じように思うことはあってもまだ死なずに済んでいる。もうちょっと、そこからガッツリ菩提心を奮い起こすとEです。するとものすごいことになると思います。「飯田トウ隠 井上義衍 井上貫道」🔍ご検索

2022年2月7日 18:47
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

釋悠水さま

ご回答ありがとうございました。
死んでしまいたいと思うこと自体が煩悩であるということに、はっと気付かされた思いがしました。
自らの生としっかり向き合い、ダメなところも良いところも全部ひっくるめて自分のことを好きになれるように頑張ってみます。

eishunさま

「空」と「縁起」についてのお話、大変参考になりました。
より良く生きて、良い行いができるように、深く考えてみたいと思います。
ご回答ありがとうございました。

みなさま
たくさんのご回答ありがとうございます。
思い込みやしがらみが解けて、少しだけ広い範囲で執着について考えられるようになりました。
大変ありがとうございました。

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