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正義感?が強すぎる旦那について

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有り難し有り難し 36

タイトル通りなんですが
例えば外で赤信号で渡る人に怒り出します。
クソジジイ(ババア)車に轢かれて死ねばいいのにと言い放ったりします。

話を逸らしたり「やめろ」と言ったりしてもやめずそれは一時的なものにしかならず、モラルのない人を見るとその人に聞こえるように言い出して、だんだん恥ずかしくなって来ます。
車の中でも「なんだあのクソババア運転下手くそ何やってるんだ、馬鹿じゃないの?死ねばいいのに」と何度もいいます。
イライラするのは危ないから変わると言ったら、イライラなんてしてないと言います。

バイクや自転車にも敵意剥き出しで幅寄せしたり速度超過してでも強引に追い越してしまいます。
「路側帯に首の辺りに来るよう、ピアノ線しとけばいいんだよ」流石に怖くなりました
車の中のものは親に聞かせようと思うので録音するつもりです。

そのくせ自分のミスは「やっちゃったぁ〜ごめーん☆」って感じです。

三匹猫がいますが、猫にも容赦ないです。
物を落としたりしたり、すぐ流しへ連れて行き水を頭にかけて怒鳴りつけます。
動物虐待で警察呼ぶよという時もあります。

この手の人はどう接したらいいのでしょうか…
結婚前はそんなことやらなかったんです。
私の身内(弟、叔父さん叔母さん)の前では尻尾を出しません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

警戒は必要

旦那様はどうも、正義感が強いというわけではなく、「自分の思い通りにならないものが嫌い」と言ったほうが良いかと存じます。

年齢が年齢ですので、今からの矯正もかなり難しいところですので、
「この人は、自分の思い通りにならない時は不機嫌になる人なんだ」という認識で接することが良いでしょう。

あなたとも関係が良い時はよいので、何も気にしなくて良いでしょうが、一旦関係が悪くなった時にあなたに矛先が向かう可能性を警戒しておくに越したことはないでしょう。
具体的な事例が起こらないことをお祈り申し上げます。

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有り難し
おきもち

日蓮宗の僧侶、啓誠(けいじょう)と申します。 修行に失敗し、一度は腐り切ったり、同僚とぶつかったり、挫折挫折の仏道人生を歩んでおります。 だからこそわかる、答えられることがきっとあると思ってHasunohaに戻ってまいりました。 精一杯、皆様のお役に立てるよう頑張ります。

彼がしていることの攻撃性を丸く削る

正義で人をズバズバと斬ってはいけませんね。
しかもそれは正義ではなくエゴルール、マイルールというべき独善的な自称正義です。だから正義と言ってしまうことも正義という概念に失礼なので正義とするべきものではありません。💦
正義の定義はどうでもよいですが、いずれにせよ正義は行き過ぎると危険思想になります。
人々を苦しめる人を懲らしめるような勧善懲悪ものの正義であれば許されるでしょうが、勧善懲悪モノの主人公ですら「( ゚Д゚)KSBBA」とは言いません。)
アンパンマンやプリキュアぐらいのナチュラルな正義であればOKです。👌周りのみんなに迷惑をかけているバイキンマンを懲らしめるアン🅟ンチはバイキンマンが翌週もピンピンして出てきていますので許される範囲でしょう。
ですが、今の世界はおかしな正義が蔓延しています。
私も僧侶業界で人権という分野の闇で気づいてしまって以来、世の中で人権という形で広められているものはウソばっかりだから気をつけてね💖というメッセージを日々発信しておりますが、闇が深すぎて一般人には理解もされ難く真実を伝えるサイドが悪者にされてしまいリスクが高いです。「人権と環境と平和」。これらは表向きは正義であるように見えても裏にはものすごい闇がびっしりと…!(; ゚Д゚)
結構お坊さん、いい人すぎて騙されている人多いのです。
だからこそ正義は危険。
それは正義という概念が自分の正義の為に相手を殺傷するようになってしまうからです。
これを機に彼と正義の夫婦間と人間性のクオリティを高めるために論じてみてはいかがでしょうか?
正義でウクライナ砲撃、市民殺傷。
正義で自国民を飢えさせ、正義でミサイル脅迫、正義で日本人拉致、正義で逆ギレ。
正義でチベット侵略、正義でウイグル人弾圧、正義で臓器狩り医療。
正義で平和の祭典ジェノサイド五輪。
歴史では悪、不正義、非人道的とされたことにも世界中が沈黙しています。
これは言い換えれば世界にまっとうな人道主義が機能しなくなっているという事でしょう。だからこそあなたも彼の為にも動くべきです。
間違った正義は危険思想であり、お互いの関係も悪くなるからです。
結論:人としてあるべき高い人間性とはそういう正義ではいけません。
今後別れるならともかく、これからも一緒に暮らすのであれば、まともな人間性に導いて差し上げることもパートナーの責務。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございました

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