hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去に戻りたいといつも思うことがつらい

回答数回答 3
有り難し有り難し 155

結婚して2年目です。
私は社会人になってからよく昔に戻りたいなと思います。
中学生ころ、犬を飼い始めて実家でみんなで暮らしてた頃、大学生のころ、社会人になり最初の支店は楽しかった、、などいつも思います。
今が幸せではないとは思いませんが、今の生活と比べるとなぜか過去に戻りたいと思ったりして、ブルーになります。
仕事も転勤をし、前の支店とどうしても比べてしまいます。あの頃はみんなで笑いながら楽しく仕事して、終わった後もみんなでご飯など行っていました。今はただ面白いこともなく喋ることもなく、嫌な仕事をして終わった時には疲れ果てていて、帰ります。
仕事をするからにはやりがいを見つけて向上していきたいと思っているのですが、やりがいも見つけられず、過去と比べる自分が嫌です。私は前向きに未来を楽しみに生きていきたいと思っているのですが、充実してないせいかなかなか思うことができません。きっと、充実していたら毎日、未来が楽しくて仕方ないと思います。毎日充実して、過去に戻りたいと思わず、いい思い出として思えるようになるにはどうしたらよいでしょうか?
よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

たまにはそんな思い出に浸るのも良いですね

 温かい思い出があるというのはいいものです。
 たまにはそんな思い出の中にゆったり浸るのも良いのではないでしょうか?

 私にもあります。昔の楽しかった思い出。ああ、あの時に戻れたらって。
 でもね、細かく思い出してみると、その時はその時で結構辛かったり大変だったりしていたんだよね。人間の脳というのはうまくできていて、悪い事は忘れて、いい思い出だけが残ってさらに美化されてしまったりしているんだよね。
 だから、もしかしたら、将来、今のあなたの状態を懐かしく思うことがあるかもしれませんよ。

2ちゃんねるから出た名言を紹介します
「十年後にはきっと せめて十年でいいから戻ってやりなおしたいと思っているのだろう。今やりなおせよ。十年後か二十年後から戻ってきたんだよ。今。」
https://www.facebook.com/holyjicom/posts/211027439006716

 あなたも、10年後、20年後に、今を懐かしく思うために、10年後、20年後から戻ってきたと思って、この「今」を楽しんでみてはいかがでしょう?

{{count}}
有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoha回答僧登録。 好きな言葉は「和顔愛語」。和やかな顔と思いやりの言葉という意味です。曹洞宗開祖道元禅師は、愛語には世界を一変させる力があると仰っています。回答には厳しい言葉を入れることもありますが、相手を思いやる気持ちがあってこその言葉と捉え、受け止めていただきたいです。 ※質問の答えについて、話の大筋は変えませんが、投稿してから誤字脱字を直したり、内容をよりわかりやすくするため、若干加筆修正することがあります。ご了承ください。 ※「お礼」は必ず拝読していますが、それに対して回答の追記は原則しないことにしています。ご了承ください。 ・回答する件数は減っていますが、ほぼ全ての質問とつぶやきに目を通しています。
話すのが苦手なので、原則不可とさせていただいています。どうしても!という場合は運営さんに問い合わせてみてね。

平凡である日々に有り難し

淡々と仕事を熟すだけの退屈な日々が一転。家が火事になる。入院するほどの病気が見つかる。家族に不幸が出る。仕事を失う。一寸先は闇。あり得ない話ではありません。
過去の楽しい日々もいいですが、退屈ながらも不幸ではない今を有り難しと思えたならば、いままで気付かなかった幸せが見えてくるものです。

{{count}}
有り難し
おきもち

「平等」という嘘を信じるな。 仏はこの世が不平等であり辛苦から絶対に逃れることの出来ない世界であるという。絶対に逃れることが出来ないにも関わらず、「平等」によって或いは「楽」によって人間が救われるというのは矛盾である。 不平等で辛苦極まりないこの世をあきらめ死後に救いを求めるのも人間否定そのものでお話にならない。 平等というのは自分が助かりたいという思いから生まれた自己優先の魔界の教えである。仏教はそうではない。 人を助けることを優先にすれば自分も救われるという考えだ。 人のために活きることで不平等が不平等でなくなり、辛苦が辛苦とも感じなくなるのである。 世のため人のために働いてみる。 「有り難う」 その言葉で、人はそれまでの苦労が苦でなくなるのである。 これが仏教の真の教えである。 生温い癒やしなどまったく意味がない。 積極的に人生を切り開くための教えに耳を傾けるべきである。 お寺やこのようなサイトの利用は一回にとどめなければならない。何度も相談するということは、まったく良くない傾向である。 お坊さんから聴く「仏の教え」によって生きる力を得て、二度とお寺に相談する必要がない幸せな人生を手に入れて欲しい。 本来ならば実際にお寺に足を運び相談すべきである。ここでご縁のあったお寺さんに必ず足を運ぶべき。それが億劫ならばその程度の悩みだということ。本当に切羽詰まっている人は必ずお寺に足を運ぶ。 その観点からご自身の悩みがどの程度のものなのかを推し量ってみることも有効であろう。 それと仏の教えが必要のない質問は無視する。なんでも応えてくれると思ったら大間違いだ。

人格成長すれば、ガキに戻りたいとは思わない

まぁ、人生に「いいとこ取り」はないですからねぇ。誰でも、何かを得れば何かを失います。
現在には、過去にはなかったものがあるはずです。

ところで、私は仏教を学び、「ためになった」と感じています。
だから、仏教を知らなかった頃には戻りたくないです。
人格成長こそ何よりの宝物ではないでしょうか。
仏教を学び、善いことをすればするほど、悩み苦しみを感じにくい善い性格になれて、人生が快適になります。
そうなれば、再び不快を感じやすい性格に戻りたいとは思わないはず。
是非、仏教を学んで心の宝物を右肩上がりに成長させてください。
飴玉1個を落としても泣きわめく幼児にはもどりたくないでしょう。
飴玉1個を落とした事実を余裕で受け入れられる大人になるほうが、人生は快適になるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
そうですよね。当たり前の毎日を幸せに思いながら感謝して生きていきたいと思います!

ありがとうございます。
前向きに善いことをし、人生を快適に生きていきたいと思います!

ありがとうございます。
とてもいいお言葉を頂きました。
未来からきていると思って、今を後悔ないように生きていきたいと思います!

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ