真言と地獄
先日もご相談したのですが愛染真言を唱えた後に元彼と付き合えました。ですが満願と同時期に彼の女友達が事故死してしまっていた事が判明しました。
私が真言を唱えたから彼が私の所へ来るべく彼女は変わりに亡くなってしまったのか。
また僧侶の彼を罵ってしまったり盗みや嘘など多くの悪いことをしてしまっています。
私は地獄地獄に落ちてしまうのでしょうか、、。
また自分では無間地獄行きだと思っているのですが仏教的に私の罪は何処に行くのでしょうか。
善行を積みたくても裏目に出てしまったり我が儘も治らず迷惑ばかりかけてしまっています。
それと最近地震が多発しておりその時に震災で亡くなってしまったら死後の行き場は極楽には到底いけない身分だなと。
地獄は存在しますよね、、
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
常に試されてるかな、我人生なのです。
拝読させていただきました。
真言を唱えたからとて、自身の内面に変化を及ぼすものでなく、自身がどのように捉えるのかが大切な点となります。
人間というものは誰もが宗教観点からだと地獄行きです。
また、来世のために今を生きるという考え方をもつ人もいますが、何よりも今を生きることを中心に切に生きていくことが大事な要となります。
因果の法則で成り立つ仏教
因果の法則で成り立つ世の中
因果とは「原因」+「結果」です。
ただただ単純な道理です。
しかし、連鎖しながら様々な事象が人生には見え隠れしながら、日々を過ごす中に不安が訪れます。それは過去に起きた出来事が現在という今を不安にさせ、未来というまだ来てもしない不安の間(はざま)の境地(心境)が不安を増強していくものです。
真言宗では加持を大切にします。
仏の力、仏を信じる力て簡易にとらえてください。
釈迦は
「過去は追うな。未来を願うな。今を生きよ。」と真理を説いてくれています。これが答えであり、どのようにとらえていく心構えが必要であるのか?
「過去に感謝。未来に希望。今を大切に生きる。」が答えです。
過去に執着する心をもつのでなく、過去に感謝できる今を生きる。また自然に生きることはすべてが過去となります。過去に感謝できる生き方をするには、いま後悔しない生き方をするようにすることなのです。それは①体の行い、②言葉の大切さ、③心の思い方で、多少の困難が訪れようと不安が減少や、不安は離れていきます。
真言を唱えたから、何が起こるのでなく、何が起こったのでなく、仏心を養っていく気持ちを取り入れていき、仏さまのご加護があると信心をもつことで、変化が生じていきます。
心配や不安は捨てること、捨てていくこと、過ぎ去ったと強く思うこと、訪れるのは今と未来だけです。
咀嚼しながら、深奥に読み取っていただけましたら、真理が観えてきます。
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※追記
善業(徳)を積むことにより、悪業は消滅していくととらえてくださいませ。
銀行の通帳だと、目に見える形で「貯金」が分かる。徳は目に見えないが心に貯金していきます。するとマイナス要素がなくなっていくと捉えてください。
日々の中に損得で判断せず、他人の賛同に流されず、正しいと思うことを積み重ねていくことが肝心です。
「赤信号、皆で渡れば怖くないですが、実際渡れば事故します。」
無財の七施
追記・・仏縁は、三宝帰依、極端には、「仏様は凄いなー、ありがたいなー」と思うことからでも構わないものとなります。「縁なき衆生は度し難し」。仏教、仏法、仏様との僅かながらにでもご縁を紡いでいくことが大切となります。その縁をより太く長くしていくものが、仏道となります。六波羅蜜の実践など。六波羅蜜の一番目にある布施における中での無財の七施もその一つとなります。気負わず、少しずつです。
りーさま
善行は最初からうまくいくことはありません。少しずつ前進して参りたいものです。何より志、しようという想いが大切です。
無財の七施というものがあります。これから是非心がけられても。
眼施(げんせ)「やさしい眼差しを誰に対しても向ける」
和顔悦色施(わげんえつじきせ)「にこやかな笑顔で誰に対しても接する」
言辞施(ごんじせ)「やさしい言葉、丁寧な言葉遣いで話す」
身施(しんせ)「身体でできる奉仕をする・清掃ボランティアなど」
心施(しんせ)「心配りをして相手の身になって考える・思い遣りの心を持つ」
床座施(しょうざせ)「席や場所を親切に譲ってあげる・電車やバス内等」
房舎施(ぼうじゃせ)「自分の家を親切に提供する・災害避難・戦災難民避難等」
また、前回にもご回答させて頂きましたように、どの世界においても、その世界は自分の無明と業(無明とその習気)により顕現する世界となります。
それは極楽へと往生できたとしても何ら変わりはありません。
極楽の報身報土への往生は凡夫では不可能ではありますが、極楽の化身化土へは凡夫でも、ある程度の善き因縁(仏縁や功徳等)によって往生は可能となります。
ただ、その極楽の化身化土上へと往生できたとしても、無明とその習気、業のありようによっては、そこが地獄と映えることも当然にありえるものとなります。もちろん、阿弥陀如来さまの化身による直接の教化を頂けることもありえるため、如来不在の世界に比べれば遥かにましとなるのではありますが。
とにかく因縁無くして結果無し。
善き因縁にできるだけ努めて参りたいものでございます。
合掌
質問者からのお礼
追記
ありがとうございます
私の素行の場合だと善行が怪我した雀を助けた位しかないので無間地獄の可能性が高いのでしょうか
元彼との関係進展の仕方が異様な程で本人の口からも何でこんなに好きって普段言葉に出さないのに と不思議がる程の事が起きてて愛染様のお力かと思っておりました。。 地獄行きは嫌です
真言成就とのお声も他者からあり法源様のお考えだとどうなのかを教えて頂きたく。。
地獄に落ちる夢を見てからリアルすぎてそれが暗示かのようで。
常に我が儘で目先の欲ばかり追い求めて邪教も信じてしまったりもしてました。
言うことも聞かないできたのできっと通帳は善より業のが貯金されてそうです、、、、。 仏さまは大好きで神社お寺巡りはしてましたがそれで仏縁とは限りませんし仏縁は僧侶やそれに近しい所で奉公している人ですよね
行く先がどうなるか分からない恐怖はあります
追記
エイシュン様ありがとうございます
以前に地獄に落ちる夢を見て余りのリアルさに行く末の暗示なのかなと。
鬼の姿はありませんでしたが人間が料理の具材にされてました。。
昔から仏門や神社お寺巡りが好きでよくやってはいましたがそれと仏縁は関係ないですよね、、。 盗みや嘘、邪教を信じる、僧侶の彼を幻聴の原因だと謗ったので極楽往生は難しいですよね。 今日にも巨大地震が来ると言われており先日の東北地震で入院中で奉公もできる身体ではないので難しいのかなと。。
こんな悪さするために産まれてきたわけではないのにと、、
仏縁は僧侶や仏様に支えるような近しい仕事してるかたですよね。。