過去の悪行に後悔
私は中学生の頃、芸能人や有名人に対して好きか嫌いかを投票するサイトを見ていました。
そこであろうことか私は、数名の芸能人に嫉妬で嫌いと投票してしまいました。
そのサイトは、投票すると好き嫌いのパーセンテージや、コメント欄が見れる仕組みだったのですが、コメント欄は誹謗中傷だらけで酷いと最近話題になっていました。
私は、コメントはしなかったものの、嫌いと投票してしまったことに非常に後悔しています。
不特定多数の人から、嫌いと投票されたらどれ程辛いのか少しでも考えれば分かるはずなのに、そんな事も考えず、浅はかで愚かな行動をしてしまった自分がおぞましいです。
嫌いと投票してしまった芸能人を見る度に、罪悪感や自己嫌悪、申し訳無さで苦しくなります。
その芸能人が、私のせいで、傷付いたり追い詰められてしまって、今後の人生に悪い影響を与えてしまったらと考えると、自業自得ですが、罪悪感と不安で押し潰されそうです。
その芸能人のSNSを、辛くなりながらも、チェックして、幸せに生きているのかを見るのが日課になりつつあります。
しかし、無理やり幸せそうに振る舞っているのでは無いかと思ってしまい、不安で不安で仕方無いです。
ただただ幸せに生きていてくれることを願い、2度とこんな事をしないようにして、反省と自戒の念を込めて生きようと思いますが、毎日が不安で怖いです。
そもそも、反省とは具体的にどのような事をすれば良いのでしょうか?毎日不安で怯えながら生きる事が反省に繋がるのでしょうか?
また、この事は家族に打ち明けるべきでしょうか?それとも、1人で抱え込むことが正しい選択なのでしょうか?
乱文でごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
観自在
ご相談ありがとうございます。
悪趣味な投稿サービス…というと少し度が過ぎた言い方ですが、まぁある程度の匿名性を保った上で言いたいことを言えるあのような「場」というものは、これからも残るのでしょう。何のサイトかは察しがつきます。
最近はヤ○コメやガー○ズちゃんねる等もあわせて、いろいろな類似サイトが同時多発的に台頭していますね。その昔は2ちゃん○るくらいしかそういう発言をする場所がなかったはずですので、ネット社会は2000年代に入って想像以上に一般化が進んだと言えます。
ただこうなってきますと、利用する側が一定の責任を負う場面も出てくるでしょうし、逆に見ず知らずの他人からいわれのない誹謗中傷を受ける可能性も考えられるわけです。
今は全世界の人間が全て「発信者」となって双方向に権利や主義を主張し自由に表現できる時代ですから、その反動も然りといったところでしょう。
芸能人の方々なら大丈夫、というと語弊がありますが、我々が利用する上記のような投稿サービスについては特に重要視していないはずです。
言動があまりに酷ければ本人または所属事務所から正式な働きかけや法的な措置が粛々と行われるだけです。
直接的に芸能活動を阻害するような行為にさえ及ばなければ、彼らは特に気にも留めず通常の業務を遂行するのみです。
そもそも芸能界のような世界で生き抜くには、そんなヤワな精神ではつとまりませんから、ご心配は無用です。
好きとか嫌いとか思うこと自体は、悪いものではありません。
人は皆違うのが当たり前なのですから、当然好みの違いだってあるはずです。
問題はその先ですね。良くも悪くもそれを「表現」したときに自分がどう思ったか。
良い気持ちになれなかったのなら、それは翻って「私が私を傷つけた行為になってしまった」ということになりますね。
なので、今すべきことは「自己のコントロール」だと思います。
そのサイトのような荒れ地に足を踏み入れるには、少し耐性が必要かも知れません。
先ずは不安の元から距離をとったほうが良いかと存じます。
ご家族でも、ご友人でも、ココでも良いので、心の中身をその都度外へ吐き出すようにしてみてください。
貴女なりのちょうど良い心身のバランスが見つかりますように。合掌。
質問者からのお礼
御回答頂きありがとうございます。お礼が遅くなってしまい、申し訳ございません。
仰る通り、今後は自己のコントロールができるように、ネットからは少し距離を置いて、他の人も自分自身も傷つくような、ネガティブな表現をしないように気を付けようと思いました。
丁寧な回答をくださり、本当にありがとうございました。