精神的に辛い時のヴィパッサナー瞑想
独学でとりあえずの慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想をしてますが,よく気分が落ち込みます。
私はコミュニケーションに問題があり人間関係がうまくいかないため、特にガクンと落ちた際にSNSや人間に過剰依存し悪循環に陥りどん底(酷い体のだるさ、微熱)まで気分が落ち込みます。
まず日々の瞑想を充実させる事は大前提ではありますが、上記のようなメンタル的などん底状態の際に行うヴィパッサナー瞑想は「精神的に落ち込んでいる」というフレーズで客観視したらいいのでしょうか。
全くもってやり方が間違っている場合もよろしければ他の方法などありましたらなんでもご教授ください。
どうぞよろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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使い分け
ヴィパッサナーは、まず、心身をリラックスさせてから行います。トイレを済ませ、空腹でも満腹でもなく、なるべく静かな環境を選んで、どっしりと座る、三時間でも四時間でもそのままいられるような状態を作ってから、心の中は、欲も怒りもとりあえずない状態にして、始めます。
つまり、プラスマイナスゼロからプラスを目指すのがヴィパッサナーです。ある程度熟練してから、日常生活でも「今は落ち込んでいるので、落ち着こう。しかも仕事はある。やるべきことは、これとこれとこれ。あれとそれは後回し。これ、これ、これ」などとテキパキこなせるようになります。
マイナスをゼロに戻す、それ以上に上げたいときは、ヴィパッサナーよりまず慈悲の実践です。自分が幸福であることが何より先です。具体的なことを考えずに、どうせ気分はすぐに変わりますから、ただ、幸福であるように、と念じます。集中します。それから他の生命、一切衆生の幸福も念じます。
慈悲の実践で気持ちが暖かくなってから、ヴィパッサナーをやるとよいです。心身を昔のエンジンで例えれば、まず暖機運転してスムーズに回るようになってから発進する要領です。
質問者からのお礼
藤本晃(慈照)さま
お坊様方からのありがたいお言葉身に染み入ります。しかもここまで具体的に実践のお言葉を頂けるとは思っておりませんでした。ありがとうございます。
慈悲の瞑想を甘く見ておりました。
まだアマチュア瞑想で歩く瞑想すら習慣化されていないので、座る瞑想は初めてすらおりません。
今が辛く気分はそのうちすぐに変わるというお坊様方からのお言葉ですら頭から居なくなっていた模様です。
素人ながらお坊様方に少しでも近くありますよう性根を叩き直すべく、精進して参ります。