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三世の因果について

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あるところで、「因果応報はありますか?」と聞かれたので、
「ある」と答えたら、「生まれたばかりの子供が虐待されて殺されました。
その子に責任はあるのでしょうか?」と聞かれ、「ない」と答えたら
矛盾だと攻撃されました。

確かに因果応報は善因善果悪因悪果ですから、あると思うのです。
しかし、三世の因果については、私は否定されるべきと思っていて、それは
それが差別などを肯定してきた歴史があるからです。

しかし、その人が言うにはあるえらいお坊さんに聞いたら、「虐待されて
殺されるのは(過去世の行いの結果だから)当然だ。」と答えたというのです。

それに憤りを覚えたのですが、確かに過去に「親の因果が子に報う」
みたいなことは盛んに説かれたとおもうのですが、それが差別を温存
することになったと思うのです。だから、私はそれは否定されなければ
ならないと思うのですが、現世の行いで来世の行く末が決まるという
輪廻転生がある以上過去世の行いで現世が決まっているともいえるわけです。

私の信仰は浄土宗ですが、それがベースにあり阿弥陀様の誓願により西方極楽
浄土を願生し、念仏するわけです。なので三世の因果を否定すべきか肯定
すべきか迷っています。どう考えたらいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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仏教の基本的スタンスはあくまで自業自得

こんにちは。

こういった問題で一番やっていけないのは、自分以外の他者の「因果応報」、「三世の因果」を語ることです。仏教の基本的スタンスはあくまで自業自得の観点から語られるべきです。

つまり、自分にとっての自分の業(行為)、自分の「因果応報」、自分の「三世の因果」を語るのは、自らが成仏する過程での問題意識として適切である。これを、自分以外の他者を指さして、他者の業、他者の「因果応報」、他者の「三世の因果」を語るのは自らの分を弁(わきま)えない他者に対する越権行為です。

だから、自分以外の「子供」の業を前提として虐待問題を語るのは、根本的に他者に対する越権行為です。また、その「子供」に対する仏教的価値観(しかも誤った方法論による)の押し付けになりかねません。

そういった、越権行為と仏教的価値観に似た誤った認識と論法を持った人々が「差別を温存」しかねない蓄積をしたのであって、仏教的価値観そのものが「差別」を助長したのでも、「温存」したのでもないのです。

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おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

親の因果ではなく自分の過去世

まず、親の因果が子に報いという考え方は仏教には無いと思います。
自分の前世や遥か昔からの輪廻転生の中で蓄積された業(カルマ)の報いはあると仏教では考えます。
ただ、虐待など相手(加害者)がいる出来事では、相手にも過去の業があり、被害者の責任だけではありません。
赤ちゃんが人間に生まれることができたのは過去世の業が良かった報いだと思いますが、親ガチャに外れることもあります。
私は、因果応報の思想が好きです。
現在の不幸や不運を「過去の自分のせい」だと思えたら、他人に怒りの矛先を向ける必要がありません。
あとは、自分のこれからの生き方をより善くするだけ。明るく前を向くだけです。
浄土宗では、過去世からの罪を懺悔し念仏を称(とな)えて、来世は極楽浄土に往生できますようにと願います。
私達の心(識)を植木鉢の土に喩えるなら、行い一つ一つは、植木鉢の土にどんな種(功徳や罪業)を蒔くかです。
結果、土には潜在的に多種多様な種が埋まっていますが、全てが同時に目を出すのではない。
今シーズン(この世)で目を出す種はいくつかあり、それがこの世での心身の「寄せ植え」です。
アーラヤ識という土壌には、まだまだ功徳や罪業が眠っています。
たまたま出会った他人(隣の植木鉢)の植物から影響を受けることもありますね。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

より詳細で具体的で明確な因果論でよりよい結果へ導く

引用返信させていただきます。
①あるところで~矛盾だと攻撃されたという話について。
👉(´-`*)これはざっくり過ぎる問答のように感じます。
因果関係というものは、事実に基づいた因果関係が「丁寧かつ詳細に」説かれることがなかったならば双方が誤解を生むだけです。より詳細な話し合いが必要です。
②確かに因果応報~歴史があるからです。
👉これも一方では因果論が人々を救う作用となり、一方では誤解や曲解によって差別が生まれたという作用になり、一方ではあなたのように疑問を感じる人がおられるという原因と作用と結果。それは説く人と解釈する人が生んだズレによって生じた問題のように感じます。仏教が差別をしたァ、差別を肯定したァという論は言い過ぎのように感じます。当時、誤って解釈した人たちが生んだ問題ではあっても現代の人が某極左団体のように仏教をおとしめる理由とさせるのではなく、より良い方向へ軌道修正する必要があります。なぜなら正義という言葉一つでも今の時代、戦争にもなれば、いじめをなくす作用にもなるのですから。政治の党員や学校の教員が変な事件を起こすということがあっても政治そのものが悪いとか教員そのものがいけないというわけではないはずです。
③しかし、その人が言うに~と答えたというのです。
👉子供には罪はないです。その虐待した人が過去に負の経験がありそれが悪因として悪く災いして子供を虐待してまったという説明ではないでしょうか?
④それに憤りを覚え~それが差別を温存することになったと思うのです。
👉だからこそ、そういう悪因・悪縁を断ち、善き因や善き縁を加えてよりよい結果を導くことが真の仏教的な精神ではないでしょうか。あなたが、今、ここでそれをやるためにも。私の回答もあなたにとってよき縁となれば幸いです。よき縁にするにはあなた自身も心の中で「良い方向に導こう」とする力こそが大事です。それが良い因縁。批判はあっても完全否定では誰も救われない。だから改善・改良案的に疑問や迷いを転ずるのです。
⑤だから、私はそれは否定され~ともいえるわけです。
👉来世とは一秒後も来世ですヨ?多くの人が死後の世界のこと思っていますよね?別に死後の世界のことだけではありません。限定しないほうが健全です。
⑥私の信仰は~
👉その現在の迷いの原因になっている思考が特定されれば正しい道理によって善導されます。

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おきもち

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今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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