主人が他人から命を奪われた苦しみ
主人は他人から命を奪われました
身体も半分なくなりました
即死でした、ほんとにこれからの
人生を夫婦で楽しみにいたので
どれ程の無念だったか…残った私も
いつでも私を一番に思って愛情をくれてた唯一の主人が殺される形で突然逝ってしまったのです、結婚30年目でした、あの事故から2年が経ちますが、私自身は未だに何も受け入れられないし、人との関わりも何を話したらいいのか、病気ならそのままを伝える事は出来ると思うけど、こんな経験はあまり話せる物ではありません
上手くできないし、でもわかって欲しいと思ってしまって、でも無理だと知っての繰り返しで色々悲しいけど思い知りました、その度孤独感に襲われます、ゆっくり進めばいいよと言われて、それしか出来ないと
それでもなんとかありったけのエネルギー使って頑張れーと奮い立たせて来ても経験してない人との距離は縮まりませんでした、それでも
くよくよしてると主人が成仏出来ないよ、なんて言われて
経験してみなよ、好きでそうしてる訳じゃないんだ、心がもう無理なんだよ❗と怒りにも似た感情が出てきてまたそれが私を苦しめます
生きる事じたいを頑張らないといけない…殺されてなければほんとは
今も元気で普通にしてられたのに…
と憎しみも増幅します
ほんとに毎日何かと葛藤して
それでも感情をコントロールしながらなんとか生きてます
何年こんな思いが続くのか
何も悪くない私達がどうして…
でも主人にはちゃんと成仏して穏やかでいて欲しい、ちゃんと供養もしてますし、お花、ご飯、お水を供えて祈ってます、愛する人の命を他人から突然奪われる、この世でこれ以上の苦しみってあるのでしょうか?
私はちゃんと主人に届くようにいきて行けるのでしょうか?
正直疲れて何もかも捨てたくなります、経験して初めて知る苦悩と葛藤でこの先に光は見えません
あるのでしょうか?
ただただ真面目に生きてきたのに
なぜ?どうして?、わからず
救って欲しいです
主人が他人から突然命を絶たれました、その日からの葛藤、苦しみ、寂しさ、憎しみ、今までの自分ではいられない程の感情に押しつぶれてます、生きてくのが辛いです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
明けない夜はない必ず明けます
突然旦那様を亡くされ、ショックと悲しみに暮れた日々をお過ごしなのでしょう。
事故ということで、覚悟ができるような時間もなくお別れとなってしまったことになかなか現実が受け入れられないことでしょう。
四十九日、一周忌、三回忌と供養をすると共に、生死について向き合い残された遺族の方々の、生き方について修行する大切な期間となります。
事故により亡くされた。
これは殺めようとして故意にそのようになったわけではないわけです。
考えの上では命を奪われたとなるわけですが、事実だけ見れば亡くなったということです。
私たちの命は生まれた瞬間から死ぬることが決定します。10分後の命すら保証されてないのが人生です。
私も身近な人が交通事故で亡くなり現実を受け入れられなかったという経験があります。
仏教は赦しの教えです。事実を受け入れること。生き生きと生活できることで、残された人も生きながらに仏となれる教えです。
今は無理に赦そうとしなくても良いです。泣きたければ泣けば良い、時間をかけてきちんと供養という修行を続け、事実は事実として、思いとは別のこととして受け入れられた時に、真の大祥忌を迎えることができるでしょう。
今は思いと事実がごちゃごちゃになって苦しいのだと思います。
憎みたくもないでしょう。苦しいですもんね。
全部ここで吐き出して、はすのはに気持ちを置いていってください。
飲酒運転の被害者が起こした富士の樹海の奇跡
奥さんと子供を飲酒運転の暴走車に奪われたある男性の話。(実話)
その事件は当時、全国的に有名になったそうです。
愛する家族を奪われ、絶望したその男性は富士の樹海に行ったそうです。
死のう。
そう思って奥へ奥へと足を進めていったそうです。
するとそこに若い人がいたそうです。
「年齢は?」
「25歳」
「なにをやったの?」
「…。」
男性はその25歳の同じく自殺を試みようと富士の樹海に入った相手に説教をしたそうです。
まだ死ぬべきではない。
25才だったらまだまだやり直せる!
男性はその25歳の人を連れて樹海を飛び出したそうです。その後、ウチのお寺の坐禅会におこしになられて、事の成り行きをお話になられました。
凄い話だなぁと思いました。
死のうと思った人が人を救った…。
私自身もこの人間だけは許せないという人がいます。ある人の一生を狂わせた人です。
ですが、その人をいくら嫌っても恨んでもそれによって起こることは自分の心が苦しくなるだけです。
人は向かう先を変えられる心を持つ。
あなたもご主人との関わりの中で沢山の思い出があったはず。
そこであなたは貴方の思いを浄化するためにも、あなたの負の思いの向かわせ先をきちんとしなければいけないと思うのです。
私はその人を許せませんが、許せないということをやり続けていたとします。そうすると私の心が暗くなり、周りにも悪影響を及ぼします。
私もあなたの文章を読んだときに可哀そうだなぁと思いましたが、あなたがその人を憎悪し続けることにも読んでいて辛いなぁと思います。
そのぐらい、人が人を恨む、許せないと思うという意思・言動・行為は強いレベルの負の影響力を生むということでしょう。
ですが、その富士山の樹海に入った方はなんと、その負の経験から今度はアンタはそんな目に合わせたくはない!と自分も自殺しようとしたのに同じ自殺者を救ったのです。奇跡的な話です。
この話の趣旨・お伝えしたいことのメインは何か。
その人のなした働きを見なさいということなのです。
その人だってあなたと同じく、つらいつらい、くるしいくるしい、苦しいですよ。私だって同じです。
ですが、その彼は救いの働きをした。
私も彼の立派な働きを学び、人を恨み続けるよりは正すべきを正し、助けの働きを生むようにしています。
彼の富士の樹海で起こした救いと導きの奇跡は今も私を勇気づけてくれます。
念仏が心を落ち付けてくれるかも
南無阿弥陀仏と念仏を称(とな)えて、阿弥陀仏の力でご主人が極楽浄土に往生できるように、そしてあなたも来世で同じく浄土に生まれられるようにと、願いましょう。
ご主人のことは、仏様にお任せするしかありません。
ところで、脳のリズム運動には、セロトニン神経のはたらきを整え、心を整えてくれる効果があるそうです。
なーむあーみだーぶなーむあーみだーぶ
と一定リズムで念仏を数分間でも唱えてみましょう。
また、般若心経などのお経を唱えてみるのも良いです。
怒りや悲しみを伴う妄想雑念に支配されがちな意識を、念仏などの心を落ち着けるエクササイズにスイッチしてみてはどうでしょうか。
信仰!とか仰々しいもののように考えず、脳のエクササイズ、ヨガみたいなものとして楽しんでみてください。
質問者からのお礼
あんな亡くなりかただったので
勿論供養は何よりもしたいと強く思います、でもそれすらもコロナで
法要さえも普通にはできませんでした、ただただ悔しいです、思いが届いて欲しいと願うばかりです
ありがとうございました