安楽死と怖い気持ちがあります
大事な人や家族の動物が、病気になったり苦しそうだったりすると、とても辛いです。
辛そうなのを見たくないから離れるという話を聞いて、なんてひどいことをと思います。
ただ、やっぱり辛いから怖いし、みんないつかは死ぬのだから、それならどうすれば楽に死ねるかを考えてしまいます。
たとえば、処置するのに麻酔をかけないといけなくて、麻酔にリスクがあってそれきりになるかもしれないと言われた時、麻酔をかけてそのままいけるなら苦しくないからその方が良いのではないかと思ってしまいました。
精一杯生きるべき、というのはわかるんです。
でも充分頑張ったと思うし、一緒にいたいと思うのは私のエゴも多いと思います。
うまくまとめられなくてごめんなさい。
どうして、大切な存在が弱ったり去ることを思うと怖くてつらくて離れたくなったり、そこから早く解放されたいと思う気持ちとずっといたいと思う気持ちと、ひどくて矛盾した気持ちになるのでしょうか。
また、極端な言い方になってしまいますが、楽に眠るように殺してあげる人は、相手のためになら良いことをしてあげていると思ってしまうのはおかしいでしょうか。
生きる中でさまざまな経験をするし、中には良いことや楽しいこともたくさんあります。
辛い経験をすることで幸せをより鮮やかに感じられることもあると思います。
でも、もし本人がもう終わりたい、楽になりたいと望む場合、それを叶えてあげるのは悪いことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
与えられた生命を見守ること
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちやお考えもとてもよくわかります。そうですよね、亡くなられるご本人も痛みや苦しみのさ中におられるのであれば楽になってほしいと家族の皆様も思われるでしょう。或いはご家族の皆様もその様な姿をただ見ているしかないのもとても辛くなってしまいその場を離れたくなってしまいますよね。あなたのお気持ちを心よりお察しします。
最近では終末医療の緩和ケアもだいぶ進んでいますし、緩和ケア病棟での介護もあるでしょう、慣れ親しんだ自宅にて終末を迎える方々も増えているかと思います。
その様な中で亡くなりゆく方々の少しでも痛みや苦しみが和らぎ与えられた命や毎日を心穏やかに生き抜いていく様にと対応がされていることが増えているのではないかとも思います。
「安楽死」という言い方が本来正しいのか私にはわかりませんが、「辛いなら楽になるように毒薬等にて殺してしまう」というのは行き過ぎた行為ではないかなと私は思います。亡くなりゆく方々自身が様々な延命治療はしないという判断は望ましいとは思いますが、敢えてその生命を断ってしまうということは罪だと思われます。恐らく殺人として社会の中でも扱われるでしょう。
亡くなられていく方々の本当の気持ちや生き方や死に方は本人でしかわかりません。死にゆくその刹那刹那では「生きたい、辛い、楽になりたい、もう死にたい」という思いが寄せては返す波の様にあふれてくるかと思います。その中でどの段階の願いなのか思いなのかは周りの方々では分からないと思います。そして「安楽死つまり殺す」という判断は周りの方々でも医療関係者でもできないと私は思います。
私の母も3年前に自宅で亡くなりました。訪問医療看護で担当の医師や看護師や介護の皆様に支えられながら生き抜いていきました。途中痛みが辛かったので麻酔を増やしていきましたし、体力がどんどん落ちていき普通に食べることも出来なくなっていきました。看ている家族もとても辛い思いを抱えながら世話をしていました。もう見ていられないと思う瞬間も幾度もありましたが、できるだけ家族で世話しながら終末を迎えました。最後の姿はとても穏やかで多くの方々に声をかけていました、母の目の前には仏様や夫や両親やご先祖様が優しく迎えに来てくれていました。
亡くなる姿を見せて往くのも生き様です、残された方々への大切な贈り物や人生の教えです。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
亡くなる姿をみせることも、大切な贈り物、とても納得できました。
その姿をみせてもらうことで、いつか自分が旅立つときの気持ちの準備ができるし、より良い見送り方を学ぶのかなと思えました。
行きたい、楽になりたい。
いろんな気持ちが押し寄せるというのも、本当にそうだと思います。
それを受け止め、寄り添って、飲み込むお手伝いをしてあげられたらと思いました。
辛い、と思うこともありますが、ちゃんと見守ることで気持ちに区切りがついたり、理解できるようになったりするのかなとも思えました。
とても落ち着いたし、救われたと思います。
ありがとうございました。