空っぽの自分
これまで自分が人に優しくした事が誰かの期待に応える為の行為だったと思えて、自分は空っぽだと気がついてしまいました。
最近は「いい人」と言われるたびに何か後めたい気持ちになってしまいます。
そしてそんな中身の無い自分に心からの友人や恋人がいるわけがない、出来るわけがないと思ってしまいます。
現に親友だと思っていた旧友とは今では連絡も取れないし、彼女がいた試しもありません。
どうすればこの虚しい日々を変えられるでしょうか、お力を貸して下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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空っぽなのは大いに結構なのではないでしょうか。
長田様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
人の為と書いて「偽」となりますが、実は「人の為」にすることなど、所詮は「偽善」だとぐらいに思ってしておくに越したことはありません。慢心を諫めるためにも。
それでも、善い行為は大切です。仏教でも当然に推奨すべきこととなります。
何もやらないよりかは偽善でもしておいた方がはるかに良いでしょう。
また、「情けは人の為ならず」と申しますのも、必ずそれが回り回って自分の為にもなるからです。
仏教的には「自利利他」とも申します。
空っぽなのは大いに結構なのではないでしょうか。仏教では「空」や「無我」は大歓迎になります。
「これが自分だ」などと強く固執して変な我、自信や慢心、偏見を持っている方がよほどたちが悪いです。
自分という存在は、因縁(原因と条件)よって変化していくもの。できるだけ良い因縁を調えていくことで、良い結果へと向かっていきたいものでございます。善い行いもその一つですよ。しっかり良い因縁を調えて参りましょう。
長田様のお幸せを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
偽善でも良い、空っぽでも良いと仰ったお陰で何か心の奥にずっと溜め込んでいた物がこれから消化できる様な気がしました。
自利利他、忘れぬ様に生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。