hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

空っぽの自分

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

これまで自分が人に優しくした事が誰かの期待に応える為の行為だったと思えて、自分は空っぽだと気がついてしまいました。

最近は「いい人」と言われるたびに何か後めたい気持ちになってしまいます。
そしてそんな中身の無い自分に心からの友人や恋人がいるわけがない、出来るわけがないと思ってしまいます。

現に親友だと思っていた旧友とは今では連絡も取れないし、彼女がいた試しもありません。

どうすればこの虚しい日々を変えられるでしょうか、お力を貸して下さい。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

空っぽなのは大いに結構なのではないでしょうか。

長田様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人の為と書いて「偽」となりますが、実は「人の為」にすることなど、所詮は「偽善」だとぐらいに思ってしておくに越したことはありません。慢心を諫めるためにも。

それでも、善い行為は大切です。仏教でも当然に推奨すべきこととなります。

何もやらないよりかは偽善でもしておいた方がはるかに良いでしょう。

また、「情けは人の為ならず」と申しますのも、必ずそれが回り回って自分の為にもなるからです。

仏教的には「自利利他」とも申します。

空っぽなのは大いに結構なのではないでしょうか。仏教では「空」や「無我」は大歓迎になります。

「これが自分だ」などと強く固執して変な我、自信や慢心、偏見を持っている方がよほどたちが悪いです。

自分という存在は、因縁(原因と条件)よって変化していくもの。できるだけ良い因縁を調えていくことで、良い結果へと向かっていきたいものでございます。善い行いもその一つですよ。しっかり良い因縁を調えて参りましょう。

長田様のお幸せを祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


質問者からのお礼

御回答ありがとうございます。
偽善でも良い、空っぽでも良いと仰ったお陰で何か心の奥にずっと溜め込んでいた物がこれから消化できる様な気がしました。

自利利他、忘れぬ様に生きていきたいと思います。本当にありがとうございました。

「虚無感・空虚・毎日が虚しい」問答一覧

空虚で思いやりのない自分を変えたいです。

25歳にもなり、空虚で思いやりのない自分に戸惑っています。どうかアドバイスをお願いいたします。 物心ついた頃から父が鬱状態にあり、本来明るく楽しい性格という母は情緒不安定になっていました。 明るく思いやりを持って接してくれてたかと思うと、些細なことで機嫌を崩し、物置に閉じ込めたり扉に追いつめて殴ったりしてきました。 なぜそんなことをするのか聞いたところ、「口答えするな」「私も親にそうされた」のような理由にならない答えが返ってきました。 それでも同時に大きな愛情を感じていたので、私は母を愛していました。 家族の均衡を保つ為に、おどけたり母の望む良い成績を取ったりと全力を尽くしていました。 辛いことを忘れるようにしていたら楽しいことも忘れるようになり、辛いという感覚を消すようにしていたら楽しいという感動や物事への期待がなくなりました。 小学高学年の頃父が自殺し、残った家族で母の実家に戻った後、母は3年ほどひとしきり暴れ(この時期が1番キツかったです)、ある日突然憑き物が落ちたように本来の明るく快活な母に戻りました。 物心ついた頃から私の人生の中心にあった問題がぽっかりとなくなったことで、酷い虚無感に襲われるようになりました。 辛い記憶がぶり返し、落ち着いてきた母に幼少の頃された事が辛かったと言ったところ、母は私を「狂っている」と罵り、幼少の私にしたことを「お前の妄想だ」と言いました。 私は無かったことにはさせまいと家の中で母を罵るようになり、それから就職して1人暮らしするまで、無駄だと知りながらずっと母に「辛かった」という事を認めさせる事ばかり考えていました。 その後1人暮らしを始め、いろんな人と交流したいと思うようになりましたが、上手くいきません。 いつもどこか寒々しく、他人事のような気持ちです。物事に熱中することもできず、人を常に疑いの目で見てしまいます。 人への思いやりももはや無く、何をするにも適当です。 今でも昔身につけた、物事を忘れる癖が抜けてくれません。 今ではあの長い、虚無感と向き合ってばかりいた年月を他のことに使っていれば良かったという後悔の念で一杯です。 25歳にもなって何も無い自分が恥ずかしいです。 今からでも自分を持ち、人を信じつつ思いやりの心を持つ方法はありますでしょうか? どうかよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

生きてる事が虚無に感じます

私は今何を目的に生きればいいのかわかりません 元々私は人とのコミュニケーションが苦手で 高校ではそのせいで1年生でいじめにあってしまい不登校になって結局中退してしまいました 先生も親もなにもしてくれませんでした この件で元々苦手だった人付き合いが更に苦手になった気がします その後は通信制の高校に進学しましたが学校自体を信用出来なくて不登校になってしまいました コンビニバイトもスーパーのバイトも数年間しましたがなにをしても失敗ばかりでバイトの先輩やお客さんにも迷惑をかけてしまってました そのせいもあって仕事の面接に応募するのも「また失敗ばかりして迷惑かけてしまう…」と思ってしまい半年くらい働けていません 最近では他人の目線がとても怖くて外にすら月1で出る程度まで少なくなってます 親に相談しても「それは甘えだ」としか言われなくて辛いです 例えるならビルの屋上から飛び降りろと言われてるようなもので本当に怖いのです しかし親に頼ってる現状は変わらなくて これからこの先の未来もこんな辛い思いしてずっと何十年も生きなきゃならないと思うと死んでしまう方が楽なのでは?と思い始めてきました 趣味という趣味も無く、夢も無くて学歴も経験も何も無い空っぽな自分が辛いです 今は毎日がただただ無駄に時が流れていくだけで虚無そのものなのです 親に相談しようと思っても同じ答えしか返ってこなさそうで怖いですし誰を頼ればいいのだろうと思って調べてたらここを見つけました 長々と語ってしまいましたが こんな私でも生きてて良いのでしょうか?どういう考えを持てば変わることができるでしょうか? またもう20歳を超えてしまった私が今から頑張ったら普通の人レベルの人生になれますでしょうか? 長々と申し訳ありません、難しい質問になってしまってるかもしれませんがよろしくお願いします

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

毎日悲しく虚しいです

孤独な人生でした。今年で25歳です。 抜け出したいと思って、今日まで必死で生きていたのですが、最後に信じた恋人と別れた事で、この運命は変えられないとわかり、絶望してしまいました。 5歳の頃に両親が離婚し、父親に引き取られましたが、父親には離婚の原因となった再婚予定の女性がいたこともあり、育児放棄され、一人暮らしをしていました。当時は家に一人でいることが自分の当たり前だったので、寂しいと思う気持ちすらありませんでした。私は父親にずっと、世界で一番愛していると言われていましたので、それを信じていました。 私は、早々に家を出て、働きました。 仕事は充実していて、仲間にも恵まれました。 大人になり、父親に再会したときに、「寂しい思いさせてすまなかった」と謝られたとき、私は、ただ寂しい思いをさせられていたのだと、ようやく知りました。 家族と、家族として暮らしたことがありません。 私は小さい頃からずっと、1人で戸締りをし、1人で寝起きし、1人でご飯を食べて過ごしています。 いつかは、素敵な人と結ばれて、子供を産んで育てて、温かい家庭を築けるのだと、そう願っても良いんだと信じて来ました。 けど、失恋くらいで、大袈裟かもしれませんが、私はやっぱり1人で生きていくしかないのかなと思うと、この寂しさや虚しさが一生続くかもしれないのだと思うと、涙が止まりません。 恋人には、一人で生きていきたいと言われて振られてしまいました。 これまでお付き合いした方に、別れ際にまで一緒にいて欲しいなどと、食い下がるようなことはありませんでした。 ですが、別れを決めた彼の気持ちが分かった上で、あなたにだけは一緒にいて欲しい、私を選んで欲しい、どうか1人にしないでほしいと言ってしまいました。 結局、お別れを覆すことは出来ず、泣き腫らし、生きる気力もありません。 私は、孤独が恐ろしいです。 年齢を重ねる毎に強くなっている気がします。 いつかはこの手をとって、ずっとそばにいてくれる人に会える、その時まで生きようと決めていました。 けどもう、なんだか疲れてしまいました。 どの道孤独しか用意されていない人生なら、と、歩くことが出来なくなりました。 塞ぎ込む毎日です。生活費も遅かれ早かれ尽きてしまうのが分かっています。 寂しくてたまりません。 消えてしまいたいです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

ただ無為に生きている

わたしは26歳女で会社員をしています。 恋人もおり、収入もそれなりにあり、身体に大きな問題もなく、生きています。 ですが、自分自身生きることにあまり意味を見いだせておらず、積極的に「生きたい」と思えません。 かといって積極的に死にたいわけではなく、「痛みを伴わずに死ねるなら死にたい」くらいの気持ちしかありません。 多くの人間が当たり前に願う「長生きしたい」「子孫を残したい」などに共感できず、ただ死ぬのは痛いから惰性で生きています。 かつては家族に対して不誠実な行いをした父親に対する怒りや、恵まれた環境に生きる人への反骨精神のようなもので精力持って生きていたのですが、いまはもう、父親とはほぼ縁を切りそこそこの学歴と職を得て、そういった負の原動力も消えました。 今生きているのは惰性です。 恋人のことも、抱きしめたときの温かさに心地よさや愛しさこそ感じますが、それが「だから長生きして一緒にいたい」とつながりません。 あたたかくて、いまこの瞬間の心地よさに包まれて目を閉じて眠り落ちて朽ちたい、そう思ってしまいます。 わたしはなぜ、こんなにも空っぽのまま生きているのでしょうか。どうしたら、活力が生まれ、生きることに向き合い丁寧になれるのでしょうか。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

人生の虚無感が拭い去れない

時々、人生の全てが虚しく感じて、猛烈な自殺衝動が訪れます。30分くらい経てば衝動は消えていって、憂鬱な気持ちだけが残ります。 そうなると、全てが嫌になってしまいます。昔からずっと馬鹿にされてきたこと。友だちがいないこと。ずっとスクールカースト最下層だったこと。不登校になったこと。精神の病気になったこと。通信制高校に転校したこと。体力不足であること。自分の性能が低すぎること。目を引くような美人でないこと。異性からも同性からも蔑ろにされること。自分に直さないといけないところがたくさんあること。今、大学でやらないといけないこと。将来、厳しい社会で働かないといけないこと…。 愚かだと思われるかもしれませんが、私は社会に出て働くくらいなら、死んでしまいたいと思ってしまいます。もちろん社会に出たら楽しいこともあるのではないかとは思いますが、私は人間関係を上手く構築できず、魅力がなく、馬鹿にされて生きてきたので、このまま毎日孤独で嫌な気持ちを抱えながら働くんだと思うと、消えてしまいたくなります。みんな、社会は学校より厳しいと言います。今より厳しいのが社会なら、どう生きていけば良いのか分かりません。 生きる意味はありません。朝起きると自分が生きていることを責めながら生きています。じゃあ、自殺しようかって思っても、中々実行できません。死なない理由を探してしまいます。「生きてたら何かいい事あるかも」とか、「ゲームのサービスが終了するまでは死にたくないな」とか。自殺は二度失敗してます。親を泣かせました。最初から生まれてなかったことにならないかなぁって思います。 マイナスの感情ばかり吐き出してしまって申し訳ありません。でも、私は弱く、近くの人間にこの苦しさを相談できません。涙が溢れて、泣いているうちにアレルギー反応のように体が痒くなって、ブツブツができて、息がしづらくなります。この世から拒絶されてるみたいで、苦しいです。 自分を救いたいです。生き方を教えていただけませんか?

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

容姿だけ褒められて虚しい

容姿を褒められて虚しい 聞きたいことは、他人からの承認ではなく、自分で自分を受容するにはどうすれば良いかということです。以下、その考えに至った理由です。 表題の通り、容姿を褒められて虚しい毎日です。初対面の人には必ず「綺麗だね」「かわいいね」「色白で綺麗なお嬢さん」などと言われます。中学生から60代のおばさんまで男女問わずです。 人に見られる仕事(教育系)をしておりますが、遠くから「あ、あれが言ってたかわいい人?」「あの先生かわいいよな〜」など、ひそひそ話しているのを1日に何回も聞きます。男子生徒と話していると「先生かわいいからなんでも言うこと聞く」「年上の女って感じでかわいい」など直接言われることもあります。舐められていると思います。 既婚男性の間で「私さん、いいよね」「いやいや、お前やめとけよ〜(笑)」などと言っているのを聞いたことがあります。流されやすく、彼らのうちの何人かと不倫してしまったこともあります。そんな自分が嫌いです。断れない、心が弱い自分が嫌です。この点についてのお叱りもいただきたいです。 彼女がいるのに出会うたび「私さん、かわいいわ〜」「かわいいから許す」「私さんは俺の彼女〜(笑)」など何度も言ってくる上司もいます。最近、容姿を褒めてくる男性全員が敵に見えてきました、、 彼らは性欲や何かしらを満たしたいだけなのはわかりつつ、褒められて嬉しい自分がいます。しかし、他人からの承認を支えにしていてはいつまで経っても虚しいことも理解しています。これでは幸せに結婚して暮らしていくことは無理です。 しかし、どのようにして自分で自分を認める、受け入れれば良いのかがわかりません。どなたか、他者の評価に頼らず自分を律する方法を教えてください。もう限界です、よろしくお願いします。

有り難し有り難し 32
回答数回答 2

立ち上がる気力も動機も、もはやない。

朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。そう信じてきた。 思春期の到来と同時に、心の裡にある虚無感と自殺願望に気付いた。 人は無意味に生まれ無価値に死ぬ。だが今死ぬのも怖い。生きるに足る何かを自身で見出さねばと決意してから20年が経った。 何度も膝が屈した。 不登校になり高校は辞めた。だが、何かを見出すためには外と接点を維持しなければと高認を受け大学へ行った。 就活に折れ何年も家にこもった。それでも社会に出て広がる視野もあるだろうと公務員になった。 虚無感も自殺願望も消えてくれなかった。 情熱は無く、熱意は無く、意欲は無かった。 心理学や哲学をかじった。アドラーとニーチェは劇物だった。 ある日唐突に恋人が出来た。歓喜した。無辺の海原を彷徨うが如き人生に、共にゆく同志が現れた! 彼女もまた人生に悩んでいた。陰鬱な話題も多かったが、共に解決していけると信じた。 別れを切り出されたのも唐突だった。 何を間違えたのだろうか。 仕方ない。それが彼女に必要な事ならば身を引こう。どうか幸福を掴め。私は応援したい。そう伝えた。 「応援とかいいから。とにかく別れて」 それが返答だった。 愛おしいのに憎い。「愛憎」の意味を知った。 人はこうも真っ直ぐに他人を呪えるものか。人はこうも醜くなれるものか。 親らしいことを何一つせず消えた父にも、いじめパワハラを繰り返されたかつての同級生や職場の上司にも、こんな憎しみは抱かなかった。 結局、罵詈雑言の応酬で15ヶ月の泡沫の夢は醒めた。 出会いがあれば別れがあるもの。でもきっと次の出会いが。恋愛は人を成長させる。 そうなのかもしれない。 痛みを知るからこそ人は優しくなれる。 仰るとおり。 癒やされるには傷が必要で、幸福を知るには不幸が必要で、善行を成すには悪行が必要だ。 出会いにはもれなく別れがついてくるし愛情と憎悪は表裏一体。 満たされるには、飢えていなければならない。 生きるために死に、死ぬために生きる。 もうたくさんだ。 得れば失う。そんなものは賽の河原だ。穴堀の拷問だ。 夜明けは無い。掴んだと思った幸福は手から零れていった。 海原だと思っていた人生は無間の闇だった。 20年足掻いてはみたが、いい加減幕を引きたいと思う。 朝の来ない夜はない。きっとそうなのだろう。それがただの夜であるならば。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る