罪悪感と後悔と自己嫌悪
私は、5年前当時高校生だった時にに児童ポルノに該当する物をダウンロードしてしまった事があります。
当時とても精神が落ち込んでおり、悪いと分かっていながらやってしまいました。
しかし、何ヶ月か経った後にやってしまった事の重大さに気が付き、ダウンロードした物をに削除しました。
もう前の事なので、処罰されたりする事はありませんでしたが、人に言えない事をしてしまった事実が何よりも辛いです。
つい最近まではその事を忘れていたのですが、ふと自問自答が始まってしまいそのまま罪の意識が重くのしかかる日々が続いてしまっています。
また、当時見ていた映像も一緒に蘇ってしまい、さらに自己嫌悪に陥ってしまいした。
自分より下の年齢の子供をそういう目で見て何とも思わなかった自分が何より気持ち悪くて仕方がありません。
そして何よりも世の中の逮捕されている犯罪者と同じ事をした事実が辛いです。そのせいで、子供を見るだけで罪悪感が出てくるレベルになってしまいました。
もう過ぎた事で、それ以来はまた同じ事をしてないんだからいいと自分をなだめましたが、それでもやってしまった事実は消えないと思ってしまうという繰り返しです。
私は一体どうしたらいいのでしょうか?
そして、この過去の罪をどう自分の中で処理したらいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
唱え続けることからが始まりです。
拝読させていただきました。
世の中はすべて『因果の法則』によって成り立っています。
因・・・原因
果・・・結果
この連続が日常にありとあらゆる縁により縁起の原因が起こり、結果へと赴いていきます。
とにかく「因」を踏まないこと。
これが答えです。原因を作らなければ、何も生じません。そこで、またダウンロードしたいという気持ちとの葛藤があれば、また別の処方が必要となってきます。
過去に起きたことは懺悔しなければなりません。私たち僧侶は日々懺悔より読経は始まり、新たな一日を過ごしていきます。
①仏様をイメージし、誓願します。
②懺悔文
我昔所造諸悪業
(がしゃくしょぞう しょあくごう)
皆由無始貪瞋痴
(かいゆむし とんじんち)
従身語意之所生
(じゅうしんごい ししょしょう)
一切我今皆懺悔
(いっさいがこん かいさんげ)
・観音さまの真言をお唱えください。
オン アロリキャ ソワカ 3回
※現代訳
「私が昔からなしてきた様々な悪しき行いは、すべて始まりもない太古からの貪りと怒りと愚かさを原因として、身体と言葉と心によってなされたものである。それら全てを私は今みな懺悔する。」
※すぐに暗誦(記憶)できる懺悔文にご真言です。
とにかく繰り返し、一日一回行っていきましょう。日々の繰り返しを重ねていくことで、何か過去のことを精算できる機縁に気づくかもしれません。
◇釈迦はこのように説きます。
「過去は追うな。未来を願うな。今を生きよ」
「過去は捨てよ。未来を待つな。今を生きよ」
hasunohaへ懺悔されたことも一つの公懺悔であり、これを機に勧善懲悪の善心を起こしていけば少しずつ消え去っていくでしょう。
また、他の僧侶からの返答も待ってみてください。
取り急ぎ、参考程度までに。
合掌
質問者からのお礼
こんな卑劣な私の懺悔を聞いてくださってありがとうございました。
ダウンロードしたいという欲求はもう既に無くなっているので、あとは自分の過去との葛藤を、日々教えて頂いた懺悔文を唱えていきながら今を生きていこうと思います。ありがとうございました。